『窮理通』
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全八巻から成る萬里の著書『窮理通』(きゅうりつう)は、日本における自然科学史に画期的な文献である。明治年間にオランダのグイド・フルベッキが『窮理通』の説を聞き、江戸時代の科学の進んでいたことに驚いたという。 萬里は算数学や自然科学を師について学んではいないが、日出藩郡奉行で、領内各地を調査し地誌「図跡考」12巻を記した二宮兼善に質問して多くの事を学んでいる。これによって22~23歳ぐらいの時に『窮理通』の前身ともいえる書を著し、師の脇蘭室に序文を依頼している。しかし誤りも多いことに気付き、40歳ぐらいの時に、再び蘭学を学び、門生で蘭語に長じていたものを長崎に遣わし物理書と辞書を入手し、蘭書を訳して『窮理通』を著した。『窮理通』は結局生前には公刊されず、没後の安政3年(1856年)に弟子の岡松甕谷によって内の三巻だけが木版公刊された。 『窮理通』に書かれているのは、原暦(暦法)、大界(恒星、銀河)、小界(太陽系)、地球、引力(光学、力学)、大気(気体)、発気(気象)、諸生(動植物、生物)からなっており、自然科学、特に物理の書物としては日本で最初部類に属するものである。
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