『突然変異』創刊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 17:29 UTC 版)
1981年4月、慶應義塾大学法学部在学中にキャンパスマガジン『突然変異』(突然変異社)を創刊する。小学校の盗撮や差別用語のクロスワードパズル(パズルを解くと皇太子の顔写真になる)といった鬼畜企画を始め、障害者や奇形、ドラッグ、ロリコン、皇室揶揄まで幅広くタブーを扱った。青山は『突然変異』創刊号の編集後記に以下の文章を寄稿する。 私にとっては、過激こそ手段。極端こそ美。極限こそ真実。この表現がどのように誌面に反映されるのか? まずは人を怒らせる事から始めよう。 その後『突然変異』は順調に売り上げを伸ばし、当時のロリコンブームに乗ってマスメディアからの取材も殺到、熱狂的な読者を獲得したものの『突然変異』に嫌悪感を抱いた椎名誠が同年8月に朝日新聞紙上で「こういうのは典型的なビョーキ雑誌というのである。ゴミ雑誌、ゴキブリ雑誌。バイキンをまき散らすだけの雑誌なのだ。書店はもっと中身をきちんと見て扱った方がいい」と一方的に断罪、糾弾する内容の批判文を発表する。これに追従する形で抗議や脅迫の電話が殺到し、直販先の書店が取り扱いを拒否するなどしたため、わずか4号で休刊に追い込まれた。一方で『突然変異』編集部は椎名に対し以下の批判文を誌上で発表した。 権威の頂点に立つ天皇も、弱者である精薄児も同じレベルでチャカしているわけで、そこには差別意識はないとハッキリ言っておきます。すべてを同等と考える上で、これは一つの試みである筈です。あなたが「良識」を振り回すなら、こちらにもこちらの「良識」があるのです。 翌1982年2月、青山ら『突然変異』編集部は『週刊プレイボーイ』『ヘイ!バディー』誌上にて公開挑戦状を掲載。椎名に決闘を申込み、上野動物園のキリン舎前にて待合わせをするも、椎名は現れずに終わった。
※この「『突然変異』創刊」の解説は、「青山正明」の解説の一部です。
「『突然変異』創刊」を含む「青山正明」の記事については、「青山正明」の概要を参照ください。
- 『突然変異』創刊のページへのリンク