萬里の学問的手法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 15:41 UTC 版)
「萬里の本領は文章にある」とする見方は生前からあった。彼は「古文」を唱道して後進に教え、その古文は荻生徂徠と異なり、文字ではなく文体を古体に則る。つまり、秦漢以前の文を模範とし、唐宋以下の文を骨力がなく軟弱であるとして軽んじた。たとえばその著書『井樓纂聞 梅岳公遺事』などは、「剄簡にして動かすべからざるの力あり」と評される。 安政3年(1856年)に刊行された『窮理通』の序文で岡松甕谷は「先生この書を選み、己に和言を以て二、三條を譯し、辰輩に授けて更に為すに漢文を以てせしむ」と述懐している。自然科学・物理という学問領域においても帆足萬里は、その思考・思想的な根本には、文体を古体に則ることに重きを置いていた。
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