『ストウ典書』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 02:24 UTC 版)
ストウ典書は、樫の箱に金属板を取り付けたクーダハに納められている。全体に人や動物を象った精巧な装飾が施されている。記銘を見ると、正面1面と両側面は1027年から1033年ごろのもの、また他の面は1375年ごろのものとされる。 現在は取り外されている下面は、銀箔張りの青銅で、中心に配された大きな十字の腕と外縁部にはアイルランド語の刻銘が彫られている。十字の中心は、おそらく面の修復と同時に、4つの葉状部のつけられた大きな宝石(現在は紛失)に付け替えられた(国立博物館曰く「過剰に装飾された」)。記銘はこれによって一部が失われたが、ほぼ再構されている。「希くはロラ修道院長マーガメン・オ・カハル、およびムースクリ・ティーレ王フィンド・オ・ドゥンガリーに祈りを。アイルランド王を称せしドナハ・マク・ブリーアンと、カッシェルはオーガナハト王マクリー・オ・ドナハ、ならびにこれを作りし者、クロンマクノイズの僧ドナハ・オ・タコーンの名を合わせてここに記す」十字と外周部の間の空間は、幾何学的な透かし彫りの板が、十字架の4端と外周の四隅には銀糸細工が施された小さな板が嵌められている。 側面の銅板は銀箔が貼られておらず、天使や動物、聖職者、戦士などの像が装飾的な背景の中に描かれている。新しく作られた銀箔張りの上面にも、大きな卵型の水晶とその他の宝石が設えられた十字が配されている。外縁部の銀板には記銘が刻まれ、十字と外縁部の間の領域には、磔刑のキリストと聖母子像、加護を授ける司教、そして本を抱える聖職者(おそらく聖ヨハネ)の図案が彫られている。記銘には、「希くは、ともに1381年に逝去したオーモンド王ピリブ・オ・ケネーディとその妻アーニャに祈りを。ロラのオーガスティン派小修道院長ギョラ・ルアオーン・オ・マコーンと、これを作りし者ドーナル・オ・トラリの名を記す」とある。記銘と図像の線を目立たせるためにニエロが用いられている。この技術は、ロラから50km離れたところのパトロンのために1370年代に作り直された『聖パトリックの歯』の聖遺物箱のものに類似している。現存する中世の彫金作品に同様のものはほぼなく、おそらくこの2つは同じ彫金師によって付け加えられたと考えられる。
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