『ウエツフミ』・「竹内文献」の相違点
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「ウガヤフキアエズ王朝」の記事における「『ウエツフミ』・「竹内文献」の相違点」の解説
『ウエツフミ』では、第74代ウガヤフキアエズの命も存在する。その幼少期の名前は「カムヌナガワミミの命」と書かれており、綏靖天皇(すいぜいてんのう)のことと解される(宗像本第39綴第4章)。のちに「ホホデミの命」と改名したとあり、日本書紀における神武天皇の別名をも襲名したと解される。この後、ウエツフミの記述は途切れてしまうので、綏靖天皇の治世や人物像についての詳細は不明である。 「竹内文献」では17代女帝には天津馬鞍之男尊という世幸男がいたことになっている。しかし『ウエツフミ』では17代女帝は生涯独身であり、アマツマクラノオノミコトは宿老級の大臣として登場し、女帝と結婚したような様子はまったくない。また『ウエツフミ』では48代と49代の間に、47代女帝が事実上の重祚をしているがこれは代数に数えられておらず、摂政あつかいのようになっている。しかし「竹内文献」では48代から49代に直接譲位したことになっていて、47代女帝が再登場したような記述はない。 『ウエツフミ』は54代の後半の記事から68代までの記事が散逸して失われてしまっている。吾郷清彦によると、「竹内文献」は歴史内容の叙述は『ウエツフミ』とまったく違っているものの、系図部分は『ウエツフミ』と一致しているため、『ウエツフミ』の散逸部分を「竹内文献」で補うことができるという。 「竹内文献」は天皇が天之浮船という空を飛ぶ乗り物にのって万国を巡幸する話と越中にあったという皇祖皇太神宮が頻繁に出てくるほか、ミヨイ国、タミアラ国という沈没した大陸や、ヒヒイロカネという謎の金属などが登場する。 しかし『ウエツフミ』には、「星の神々(惑星)が大鳥に乗って高天原(太陽系)を巡幸した」(宗像本第16綴第12章)という天体観測に基づくと考えられる記述や、「ニギハヤヒら十神が磐船で天降りした」(宗像本第41綴第16章)という旧事本紀と共通する伝承があるが、天皇が空を飛んで世界を巡幸したという描写は無い。そのかわり、神霊現象・神道の祭祀・天文学・産業技術・医学・政治制度・文学(歌謡)・外国との交渉・裁判記録・民間伝承など多岐にわたり、「竹内文献」よりもはるかに内容豊富でバラエティーに富んだ記事に満ちている。
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