すいぜい‐てんのう〔‐テンワウ〕【綏靖天皇】
綏靖天皇
手研耳命は神武天皇の東征に従い、政務にも明るかったので、その地位を得ようとして神八井耳命・神渟名川耳命らの殺害を目論んだ。
しかし、皇后である媛蹈韃五十鈴媛命の「狭井川よ雲たち渡り畝傍山 木の葉さやぎぬ風吹かむとす」という歌に啓示を受けて手研耳命を警戒した。
そして神八井耳命・神渟名川耳命らは先手を打ち手研耳命を奇襲した。
だが兄の神八井耳命は止めを刺すことができず、神渟名川耳命が代わって止めを刺し討ち取ったという。
このことから神八井耳命は恥じて後継者の地位を神渟名川耳命に譲り、自らは神に仕える身となったという。
神渟名川耳命は即位して宮を葛城高丘宮に移したという。
第2代天皇 | |
天皇名 | 綏靖天皇 |
読み方 | すいぜいてんのう |
名・諱等 | 神渟名川耳命 |
読み方 | かんぬなかわみみのみこと |
時代区分 | 神代 |
天皇在位 | 前581?年から前549?年 |
生年 | 生年不詳 |
没年 | 没年不詳 |
父 | 神武天皇 |
母 | 媛蹈韃五十鈴媛命 |
兄弟 | 日子八井命・手研耳命・神八井耳命 |
配偶者 | 五十依媛命 |
皇子女 | 磯城津彦玉手看尊 |
即位宮 | 葛城高丘宮 |
天皇陵 | 桃花鳥田丘上陵 |
所在地 | 奈良県橿原市四条町 |
綏靖天皇 桃花鳥田丘上陵
(すいぜいてんのう つきだのおかのえのみささぎ)
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