「6番目の男」
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「ケビン・マクヘイル」の記事における「「6番目の男」」の解説
1980-81シーズン開幕前のドラフトで、ボストン・セルティックスは全体1位のドラフト指名権をもっていた。当時セルティックスの社長を務めていたアワーバックにとってマクヘイルは是非ともほしい選手だったが、アワーバックは1位指名権をゴールデンステート・ウォリアーズとトレードし、ロバート・パリッシュと3位指名権を得た。アワーバックの読み通り、ドラフト上位指名権を持っていた2チームはマクヘイルを指名せず、セルティックスは3位でマクヘイルを獲得した。この一連の動きにより、1980年代のセルティックスの繁栄を支えるラリー・バード、マクヘイル、パリッシュの3名がチームに揃うことになった。 マクヘイルが入団した当時のセルティックスでは、同じポジションでセドリック・マクスウェルが活躍しており、マクヘイルはベンチから出場するチームで6番目の主力選手、すなわち「シックススマン」として貢献した。パリッシュ、マクスウェル、マクヘイル、バードからなる強力なフロントラインを擁するセルティックスは、このシーズンNBAファイナルでフィラデルフィア・セブンティシクサーズを破り、80年代で最初の優勝を果たした。効果的な活躍でチームを支えたマクヘイルは、新人のシーズンにオールルーキーファーストチーム入りを果たした。 続く数シーズン、マクヘイルは出場時間と個人成績を毎年伸ばしていった。彼の能力はまずディフェンス面で評価され、1983年にはオールディフェンシブセカンドチームに入賞した。これはディフェンスにおいてリーグでも優秀な10名に選ばれたことを意味する。
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「6番目の男」
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「ジョン・ハブリチェック」の記事における「「6番目の男」」の解説
この頃のセルティックスは、ビル・ラッセル、ビル・シャーマン、ボブ・クージーらの名選手たちにより4連覇を果たしていたところだった。新人のハブリチェックは控え選手としてチームに貢献、1963年にセルティックスは5年連続のリーグ制覇を実現した。 翌シーズンから数シーズンにわたってハブリチェックは控え選手だったが、チームへの貢献度の高さは明らかだった。ハブリチェックはシュートがうまく必要な時に得点することができ、リバウンドやパスでも印象的な数字を残した。ガード・フォワードの両方のポジションをこなし、ディフェンス面でも非常に優秀なオールラウンダーだった。スタミナに恵まれていることでも有名で、ニューヨーク・ニックスのレッド・ホルツマン監督は「これほどスタミナのある選手は知らない」と語っている。 キャリア前半のハブリチェックは、ベンチから試合に投入されるシックススマン(sixth man)としてチームの連覇を支えた。控え選手であるにもかかわらず、数シーズンの間ハブリチェックはチームで最も出場時間の多い選手であり、得点でもチーム首位ないし2位だった。「6番目の男」の果たした役割は評価され、2年目の1964年、そして1966年から1970年にかけて連続でオールNBAセカンドチームに選出されている。
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