「自分のことだけをする (余分なことはしない) こと」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 19:38 UTC 版)
「カルミデス」の記事における「「自分のことだけをする (余分なことはしない) こと」」の解説
9. カルミデスは、ある人(クリティアス)に聞いた話として、「節制(思慮の健全さ)」とは「自分のことだけをする (余分なことはしない) こと」という考えを提示する。ソクラテスは、それを「自分一人に関することのみを行うこと」と解釈した上で、それでは、読み書き、医療、建築、機織り、法律・国家といった他者と関わる人間社会の営みは成り立たなくなると指摘。カルミデスも認め、その話をした当人も自分の言っていることを分ってないのではないかと指摘する。
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「カルミデス」の記事における「「自分のことだけをする (余分なことはしない) こと」」の解説
ちなみに、本篇の途中でクリティアスの説として、「節制(思慮の健全さ)」の定義の1つとして持ち出され否定されている、「自分のことだけをする(余分なことはしない)こと」という規定は、「自分自身を知ること」と共に、後期対話篇『ティマイオス』内(72A)で「昔からの諺」の一部として言及されている。(「自分自身のことを行い、自分自身を知ることは、節度あるものにのみふさわしい」という昔からの諺は、至言である。) また、中期対話篇『国家』第4巻(433A-B)では、この「自分のことだけをすること」が、「正義」の「正しい定義」として言及されている。そして、こうした「正義」の規定は、「他の多くの人からも聞いてきたし、自分でもしばしば口にしてきたもの」であるとも、述べられている。 したがって、本篇『カルミデス』や『国家』『ティマイオス』などの記述を総合的に勘案すれば、「自分自身のことをする (余分なことをしない) こと」といった表現は、「節制/節度」や「正義」の意味する表現として広く認知/使用されていたこと、また見方を変えれば、それだけ「節制/節度」と「正義」は、近しい一体的/混同的な概念として扱われていたことが分かる。 なお、本篇『カルミデス』においては、この「自分のことだけをする(余分なことはしない)こと」という規定は、「自分一人に関することのみを行うこと」という意地悪な解釈が為された上で、「それでは社会的な営みが成り立たなくなる」と、「節制」の定義としては否定されることになるが、中期対話篇『国家』においては、「(国の守護者を含め) 各人の能力/適性に合った国家的な役割/職業を、着実に実行/遂行すること」、更には「魂の各部分が、分をわきまえつつ (「理知」が支配する形で) 調和し、一人の人間として統合されていること、そしてその状態を維持できるように判断/行動すること」という意味に解釈され、「正義」の定義として了承されている。
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