「自分自身を知ること」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 19:38 UTC 版)
「カルミデス」の記事における「「自分自身を知ること」」の解説
12. クリティアスは、先程の定義の不完全さを認めつつも、自分は、「節制(思慮の健全さ)」とは「自分自身を知ること」だと言いたかったのだと述べる。 13. ソクラテスは、「節制(思慮の健全さ)」が「自分自身についての知」であるとしたら、「健康についての知」であり「健康」をもたらしてくれる「医術」、「建築についての知」であり「家」をもたらしてくれる「建築術」のように、どんな美しい仕事を我々にもたらしてくれるのか問う。クリティアスは、「節制(思慮の健全さ)」はそうした具体的な技術知ではなく、計算・幾何学のように仕事の対象・範囲を特定できない技術知だと述べる。ソクラテスは、それでは「計算」技術知が「奇数・偶数の数量的関係」という「技術それ自体とは異なる対象」に対する知であるように、あるいは、「秤量」技術知が「軽重」という「技術それ自体とは異なる対象」に対する知であるように、「節制(思慮の健全さ)」という技術知は、「節制(思慮の健全さ)」自体と異なる何についての知なのか問う。 14. クリティアスは、「節制(思慮の健全さ)」は他の技術知と異なり、他の色々なものに対する知であると同時に、それ自身についての知でもあると述べる。
※この「「自分自身を知ること」」の解説は、「カルミデス」の解説の一部です。
「「自分自身を知ること」」を含む「カルミデス」の記事については、「カルミデス」の概要を参照ください。
- 「自分自身を知ること」のページへのリンク