「自身 (魂)」と「付属物 (身体)」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 16:27 UTC 版)
「アルキビアデスI」の記事における「「自身 (魂)」と「付属物 (身体)」」の解説
落ち込むアルキビアデスを励ましながら、ソクラテスは問答を再開する。 ソクラテスは「自分自身を気をつける」とはどういうことか問い、「自分自身の面倒をみる技術」と「自分の付属物の面倒をみる技術」は別ものであることを指摘し、アルキビアデスも同意する。 続いてソクラテスが、我々が「自分自身が何であるか」を知らないで(「自分自身を知る」ことなくして)、「自分自身を善くする技術」を知ることはできないと指摘すると、アルキビアデスも同意する。 次にソクラテスは、「用いる者」と「用いられるもの」、「使用者」と「使用されるもの」といった区別を持ち込み、それを人間自身に当てはめてみると「魂」と「身体」の関係がそれに相当すると指摘する。アルキビアデスも同意する。 そしてソクラテスは、人間の本質は「魂」にほかならず、人間相互の交わりとは言論を用いた「魂」と「魂」の交わりであること、デルポイの神託所に書かれてある「汝自身を知れ」とは「魂を知れ」と命じていることなどを指摘する。アルキビアデスも同意する。 さらにソクラテスは、こうして「魂の世話をする」ことが「思慮の健全さ(ソープロシュネー)を保つ」ことであり、「身体の世話をする」ことは「付属物の世話をする」ことで「自分自身を世話する」ことではないことを指摘しつつ、 アルキビアデスの「肉体」に愛着した者たちはアルキビアデスの「付属物」を求めただけであり、真にアルキビアデス自身を愛する者というのはアルキビアデスの「魂」を愛する者であること 「肉体」を愛する者はその花盛りが過ぎれば離れ去っていくが、「魂」を愛するものはそれが向上の途を辿っている限りは離れ去ることはない そしてアルキビアデスの「魂」を愛しているのはソクラテスただ1人のみであり、それが冒頭の「ソクラテスのみがアルキビアデスの前から去らずに残り続けている」ことの理由である ソクラテスは、アルキビアデスがアテナイの民衆によって腐敗させられてしまうことを恐れている ことなどが述べられる。
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