「暗黒の10年」と呼ばれた内戦(1991年-2002年)
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「アルジェリアの歴史」の記事における「「暗黒の10年」と呼ばれた内戦(1991年-2002年)」の解説
詳細は「アルジェリア内戦」を参照 1990年に行われた地方選挙では、アラブ的な失業者(ヒッティスト)などの支持を得てイスラーム主義勢力のイスラム救国戦線(英語版)(FIS)が全コミューンの半数以上で勝利し、FISが勝利したコミューンではシャリーアに基づいた厳格な統治が行われ、禁酒や男女の分離、そしてフランス化した中間層が主流をなすアルジェリア社会の批判が行われた。1991年12月に行われた初の野党の出馬が認められた総選挙の結果、FISは8割の議席を得て圧勝し、彼らは憲法を無効とした。これに対し、世俗主義を標榜する学生団体、女性団体、社会主義組織はFISを批判し、同様に世俗主義を標榜する軍部が翌1992年1月11日にクーデターで政権を握り、シャドリ首相を解任した。これが以降10年続くアルジェリア内戦の始まりであった。ヨーロッパ諸国がクーデターを支持したこともあり、1月14日にムハンマド・ブーディアフ(英語版)を議長とした国家最高委員会が設置され、3月12日にブーディヤーフはFISを非合法化して弾圧、選挙は無効とされた。そのため、ブーディアフは6月29日にアンナバで暗殺された。 政府による弾圧に対し、イスラーム主義者は1992年10月に武装イスラーム集団(GIS)を結成し、警察、軍部、知識人、世俗主義者を対象にテロを繰り広げた。1994年1月にゼルアールが暫定大統領に就任したが、ゼルアール時代にイスラーム主義組織のテロは激しさを増し、アルジェリアは大混乱に陥った。ゼルアールは1998年9月に任期を残して病気で辞任し、1999年4月に行われた大統領選挙でFLNから軍部の支持を得たアブデルアジズ・ブーテフリカが文民として34年ぶりに当選した。
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