「日本共産党だけができる音楽活動」の普及と組織化の提唱
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「日本のうたごえ実行委員会」の記事における「「日本共産党だけができる音楽活動」の普及と組織化の提唱」の解説
1949年1月22日、日本共産党に入党した女性ピアノ奏者と女性ヴァイオリン奏者、各1名が同党本部を訪れたことが、「アカハタ」1月25日号の記事で報じられた。関鑑子は記事の中で「青共の合唱団」(上記「日本青年共産同盟中央合唱団」のこと)に言及し、同団の活動が、ブルジョア楽壇とは異なる「日本共産党だけができる音楽活動」を日本全国に普及することである旨を語った。 “音楽の道はひとすじ” 若き女性二人 - かなでる “入党二重奏”若い女性の音楽家が二人、このほど共産党に入党した。ピアニストの川村登代子さん(東洋音楽学校卒)とヴァイオリニストの矢野ヒロエさん(東京音楽学校卒)の二人で、ブルジョア楽壇にあきたらない気持ちから、これまで中野区鷺宮居住の青共文工隊を指導してきたが、こんど入党するに至ったもの。22日、代々木の本部を訪れ、「わたしたちの愛する音楽をほんとうに人民のものにしたいのです。そのためにつとめることで、わたしたち自身も成長できると思います」と、こもごも語った。川村さん、矢野さんの入党について、関鑑子さんはつぎのように語った。「お二人とも有望な方で、大変うれしいことです。このお二人だけでなく、多くの若い女性の音楽家が入党して活動しています。また青共の合唱団の第1期生十数名も、それぞれ音楽活動家として全国にちらばって活動しています。この若い方たちの絶え間ない音楽技術の研究と大衆文化の実践を、ひろく正しく知っていただいたら、ブルジョア楽壇にあきたらないでいる若い優れた音楽家がきっと続々入党するでしょう。わたしたちは、党だけができる音楽活動について、もっともっと全楽壇に呼びかけなければいけないと思います」。 1952年12月21日、中央合唱団創立4周年記念音楽会を日比谷公会堂で実施。この催しを「1952年日本のうたごえ」と題したことが、翌年度からの「日本のうたごえ祭典」と、運動全体の名称由来になった,,。 1953年11月29日、「1953年日本のうたごえ祭典」を日比谷公会堂・神田共立講堂で開催。 1954年11月27日、「1954年日本のうたごえ祭典」を神田共立講堂・東京体育館で開催。 1955年2月13日、「日本のうたごえ実行委員会」が常設組織として発足。関鑑子が実行委員長に選出された。 1955年4月7日、日本のうたごえ実行委員会編「うたごえ新聞」第1号発刊,。 1955年11月26日、「1955年日本のうたごえ祭典」を両国国際スタジアムで開催 1960年5月、日本のうたごえ実行委員会、「われわれは新安保条約に反対する」との声明を発表。日米安全保障条約改定案の衆議院本会議での可決(同年5月20日)に対して。 1971年4月、日本のうたごえ実行委員会理論誌「季刊日本のうたごえ」第1号発刊。 1973年5月2日、実行委員長の関鑑子が死去。
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