「新生」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/24 14:43 UTC 版)
19歳の1912年半ば、藤村と関係を結び、藤村との子を妊娠する。 藤村は1913年4月にパリに留学。同年8月に藤村との子を出産するも養子に出された。この養子は1923年の関東大震災で行方不明となる。 藤村は1916年に帰国し、関係が再燃。「二人していとも静かに燃え居れば世のものみなはなべて眼を過ぐ」はその時のこま子の歌である。 その後で藤村は1918年、『新生』を発表し、この関係を清算しようとした。 1918年7月、こま子は家族会の決定により、台湾の伯父秀雄(藤村の長兄)のもとに身を寄せることになった。それ以来、藤村とは疎遠となる。 藤村はその19年後の1937年に「こま子とは二十年前東と西に別れ、私は新生の途を歩いて来ました。当時の二人の関係は『新生』に書いていることでつきていますから今更何も申し上げられません、それ以来二人の関係はふっつりと切れ途は全く断たれてゐたのです。」とコメントしている。 一方、こま子は後の手記で「(小説「新生」は)殆んど真実を記述している。けれども叔父に都合の悪い場所は可及的に抹殺されている」と述べている。 妻籠にいた1955年の初夏のころ、こま子は研究者の伊東一夫と対面し、叔父藤村をどのように思っているのか、という質問を受けた。これに対し「最初は叔父を怨み憎んでもおりましたが、だんだん年をとるにつれ、そのような気持はなくなってきました。むしろ今は、あのように、文学作品によって自己を貫いてきた叔父に尊敬をもつようになりました。叔父は世間で噂するようなひどいエゴイストではありません。思いやり深いところもたくさんありました」と話し、自身が必ずしも作品の犠牲になったとは思っておらず、作品が叔父との共同制作だったとも述べている。
※この「「新生」」の解説は、「島崎こま子」の解説の一部です。
「「新生」」を含む「島崎こま子」の記事については、「島崎こま子」の概要を参照ください。
「「新生」」に関係したコラム
-
株365の銘柄の価格は、株価指数に採用されている銘柄の価格をもとにして算出されます。株価指数に採用されている銘柄はその国を代表するような優良企業であることが多く、また、取引高も多く市場から注目されてい...
-
東京証券取引所(東証)では、規模別株価指数の算出のために一部上場銘柄を大型株、中型株、小型株の3つに分類しています。その基準は、時価総額や株式の流動性などによって順位づけしたものになっています。大型株...
-
株式の投資基準とされるPBR(Price Book-value Ratio)とは、時価総額が株主資本の何倍かを示す指標のことで、株価純資産倍率とも呼ばれています。PBRは、次の計算式で求めることができ...
-
株式市場に上場している銘柄を分類する方法の1つに、株価水準が挙げられます。株価水準では、株価の高い、安いによって銘柄を分類します。一般的に株価水準では、次のように分類します。値がさ株(値嵩株)中位株低...
-
株式の投資基準とされるPERとは、株価収益率のことです。PERは、次の計算式で求めることができます。PER=株価÷EPSEPSは、1株当たりの利益額のことで、「当期純利益÷発行済み株式数」で計算されま...
-
株式の投資基準とされるEPSとは、1株あたりの利益額のことです。EPSは、次の計算式で求めることができます。EPS=当期純利益÷発行済み株式数例えば、当期純利益が100億円で発行済み株式数が1億株の企...
- 「新生」のページへのリンク