「大脱走」
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「スタラグ・ルフト III」の記事における「「大脱走」」の解説
1943年春に英空軍のロジャー・ブッシェル少佐は、収容所からの大規模な脱走計画を考案し、それは1944年3月24日から25日の夜に実行された。 ブッシェルは英軍の航空兵が収容されていた北区画を統括しており、脱走委員会(the Escape Committee)を指揮して収容所の弱点と脱走機会を探ることに傾注していた。(脱走は捕虜の義務である以上、脱走の)計画を表明すべきという法律家である立場に基づいて、ブッシェルは脱走委員会を招集した。ブッシェルはその計画の規模で出席者を驚かせ、一人一人に脱走のためにあらゆる力を注入するという熱い決意を吹き込んだ。彼は力強く語った。 「この部屋にいる誰もが借りてきた時間を過ごしている。本来なら我々全員は死ぬべきだったのだ! 神が我々にこの余分な時間を生き長らえさせてくれているのは、ドイツ野郎に生き地獄を味わわせてやるためだ……。北区画では脱走用の主トンネルの掘削に注力している。個別に企画されたトンネルは許されない。3本のクソ深くクソ長いトンネル、トム、ディック、ハリーを掘るのだ。どれかは成功する!」 もしドイツ側にこの中の1本が見つかっても歩哨は他に2本が同時進行しているとは想いもよらないであろうことから、これらのトンネルを同時に並行して掘ることには利点があった。この計画の最も革新的な側面は単に掘削の規模では無く、ブッシェルがこれらのトンネルで脱走させようとしていた人員の数であった。これまで計画されたどの脱走計画でも1ダースかせいぜい20名程であったが、ブッシェルが考えていたのは200名を越える数で、全員が民間人の服装であらゆる偽造書類や逃走に必要な道具を持つことになっていた。これは前例の無い企てであり、前代未聞の組織力が必要とされた。大脱走の立案者であるロジャー・ブッシェルは、秘匿名称の「Big X」を受け継いだ。トンネル「トム」は、ある建物の大広間の暗い角から掘り始められ、「ディック」の入り口は洗濯場の一つの排水溜めに巧妙に隠された。「ハリー」の入り口はストーブの下に隠された。600名以上の捕虜がトンネル掘削に関与した。
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