「円」制定の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 17:34 UTC 版)
明治維新によって江戸幕府が崩壊し、新たに明治政府が誕生したものの、通貨制度はいまだ江戸幕府のものを引き継いでおり、さらに維新時の混乱によって経済の混乱が起きていた。また、かねてからの江戸幕府の財政難は改善されておらず、むしろ悪化の一途を辿り、幕末期には破綻寸前にまで陥っていた。通貨制度も複雑なもので、東日本の金(計数貨幣)と西日本の銀(秤量貨幣)の統一すらなされておらず、さらに金銀比価の差によって幕末に大量の金が海外に流出していたこともあり(幕末の通貨問題)、これらの財政難と通貨問題の解消のために近代的な通貨制度の確立は急務となっていた。 1871年(明治4年)に明治政府は新貨条例を制定し、貨幣の基本単位に円を用いることを決定した。このとき、通貨に十進法を用い、補助単位として銭および厘を用いることが定められるともに、純金1,500mgを1円(すなわち金平価1,500mg)とする金本位制の導入が試みられ、20円、10円、5円、2円、1円の日本初の洋式本位金貨が鋳造、発行された。この量目は米国訪問中の伊藤博文が建言したものであり、当時の国際貨幣制度確立案として米国下院に提案中だった1ドル金貨の金純分とほぼ等しい。 また、当時明治政府が鋳造し流通していた明治二分判(量目3g 金純分22.3%)2枚(=1両)の純金および純銀含有量の合計の実質価値に近似でもあり、新旧物価が1両=1円として連結し、物価体系の移行に難が少ないとして採用された(なお、江戸幕府最後の二分判である万延二分判と明治二分判の純金含有量はほぼ同じである)。
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