「ムン」の語源とムーについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 17:52 UTC 版)
「ムー大陸」の記事における「「ムン」の語源とムーについて」の解説
1862年頃、フランスの聖職者シャルル=エティエンヌ・ブラッスール・ド・ブルブール( 1814–1874年)は、マドリードの王立歴史学会の図書室で、ユカタン司教(en)のディエゴ・デ・ランダ・カルデロン(1524 - 1579年)が書き残した『ユカタン事物記(英語版)』を発見し、マヤ文字とスペイン語のアルファベットを対照させた表(ランダ・アルファベット)を見出した。ブラッスールはランダ・アルファベットを使ってトロアノ絵文書をキチェ語で解読し、トロアノ絵文書には「ムン」(Mum)と呼ばれる王国が大災害によって陥没した伝説が描かれており、アトランティス伝説と類似性があると1863年に発表した。この論文により「ムン」という単語が生まれた。実際のマヤ文字は表語文字と音節文字が混ざった複雑な体系であり、近年の解読によりこの翻訳が完全に誤りであったことが証明されている(マヤ文字参照)。 アメリカ合衆国の政治家イグネイシャス・ロヨーラ・ドネリー(英語版)、1831 - 1901年)は、1882年発表の『アトランティス - 大洪水前の世界』(Atlantis, the Antediluvian World)の中で、ブラッスールによるトロアノ絵文書の解読を新大陸の文明がアトランティス文明の末裔であることの重要な証拠として引用し、ムー王国の話が有名になった。またジャージー島出身の遺跡写真家として知られるオーギュスト・ル・プロンジョン(Augustus Le Plongeon, 1825 - 1908年)もランダ・アルファベットによりトロアノ絵文書を翻訳し、アトランティス大陸崩壊後にムーの女王モーがエジプトに渡り、女神イシスとしてエジプト文明を作ったと主張した。
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