ζ開発計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 01:53 UTC 版)
強奪したガンダムMk-IIの解析により従来の自社製と全く異なる構造のムーバブルフレーム技術を入手したアナハイム社は、Δプロジェクトの失敗を踏まえ、ゲルハルト・クック博士によって「単純な変形機構ながら機体形状を大きく変えることができる」プラットフォームであるメタスフレームを開発した。 この初期の可変MS開発計画は可変機構の実証を目的として「メタスプロジェクト」と呼ばれるようになり、宇宙世紀0087年上旬には、アナハイム初の可変MSであるメタス(型式番号:MSA-005)が完成した。メタスは簡易型の可変用フレームを導入した実験機であり、MA形態はAMBAC機能がほとんど無い宇宙戦闘機形態だったものの、可変機構の実現を成功させた機体である。さらに、メタスは更なる発展性を求められ複数のコンセプトチームに分かれて開発実験が続けられることとなる。 同時期にδガンダムの再生機である百式も完成したが、百式はムーバブルフレームの耐久性に問題があり、結局可変MSとして開発することは断念され、次の「ζガンダム(Ζガンダム)」(ゼータガンダム)の開発に移る。ここで初めて "MSZ" で始まる型式番号が使われるようになった。 Ζ計画ではまず百式系のフレーム(TMS用素体MS)を流用したプロトタイプΖガンダムが開発され、Ζ計画を意味する "Z" の文字が含まれた型式番号「MSZ-006X」が与えられた。プロトタイプΖガンダムはメタスの実験データなどが導入されて開発が続けられていたが、ここでエゥーゴは「ガンダムMk-II強奪事件」を引き起こし、ガンダムMk-IIを入手。ティターンズのムーバブルフレーム技術を入手できたことでフレーム構造の問題が解決された。また、「ガンダムMk-II強奪事件」以降エゥーゴに参加した少年カミーユ・ビダンは、Ζ計画の一員だったアストナージ・メドッソと共にΖガンダムの開発を知ると、Ζガンダムの大気圏突入装備の一案であるフライングアーマーや、可変機構などのアイディアを提出した。 宇宙世紀0087年7月、ピウツスキ博士、グルック博士、ライエル博士らによりこれらの技術が結集され、軽装甲・高機動の高級可変MS「Ζガンダム」(型式番号:MSZ-006)が完成。Zガンダムの1号機はその後1ヶ月のテストを終え、カミーユ・ビダンの乗機として実戦に投入されている。
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