立川ブラインド工業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 05:43 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | タチカワブラインド |
本社所在地 |
日本 〒108-8334 東京都港区三田3丁目1番12号 |
設立 | 1947年10月22日 |
業種 | 金属製品 |
法人番号 | 4010401017209 |
代表者 | 代表取締役社長 立川光威 |
資本金 | 44億7,500万円 |
発行済株式総数 | 20,763,600株 |
売上高 |
単体323億円、連結420億円 (2019年12月期) |
純資産 |
単体301億円、連結421億円 (2019年12月) |
総資産 |
単体408億円、連結563億円 (2019年12月) |
従業員数 |
単体782人、連結1,232人 (2019年12月) |
決算期 | 12月31日 |
主要株主 |
(有)立川恒産 21.16% タチカワブラインド取引先持株会 10.05% 更生保護法人立川更生保護財団 6.84% (2019年12月) |
主要子会社 | 富士変速機 |
関係する人物 | 立川孟美(創業者) |
外部リンク | https://www.blind.co.jp/ |
特記事項:YouTube | |
チャンネル | |
活動期間 | 2011年11月17日[1] - |
ジャンル | 金属製品 |
登録者数 | 578人 |
総再生回数 | 391,810回 |
チャンネル登録者数、総再生回数は2022年1月23日時点。 |
概要
創業者の立川孟美が1938年(昭和13年)に東京都台東区柳橋で有限会社「立川工業所」を創業。当初は布製及び木製 ブラインドの製造・販売を開始するも、終戦後の1947年(昭和22年)に株式会社に改組後は木製及びジュラルミン製ブラインドに切り替えると共に生産を拡大。1971年(昭和46年)に発売された、インテリアブラインド「シルキー」のヒットで、ブラインド製品でトップシェアを築くと共に、現在に至る。
一般的には、同社製品の取り扱い店で「タチカワブラインド」と片仮名表記が知られている他、商品の性格上、広義ではインテリア業界に属する。ブラインド最大手であり、アイテム数が多い。他には天窓、傾斜窓やロールスクリーンやラインドレープ、バーチカルブラインドなどのファブリック製品、アコーデオンカーテンなどの間仕切り、住宅用オーニング、カーテンレールなどを扱うが、採光、遮光という用途を持った商品に特化しているのが特徴である。
沿革
- 1938年5月 - 東京都台東区で立川孟美がブラインドの製造・販売を手掛ける「立川工業所」を創業。
- 1947年10月 - 立川ブラインド工業株式会社を設立。
- 1954年 - 本社を文京区に移転。
- 1957年 - 大阪営業所を設置。それ以後全国各地に営業所を開設。
- 1960年8月 - 埼玉県北葛飾郡(現在の三郷市)に東京工場開設。
- 1964年 - 家庭用の間仕切り「アコーディオンカーテン」新発売。
- 1968年 - 滋賀工場開設。これに伴い東京工場を閉鎖し、滋賀工場での一貫生産に踏み切る。
- 1971年 - インテリアブラインド「シルキー」を新発売。
- 1972年 - 新宿区に本社を移転。
- 1973年 - 現在のロゴマーク(1989年にカラー変更)を制定。
- 1974年4月 - 中央区銀座にショウルーム開設。
- 1974年5月 - 新潟工場を開設。
- 1976年 - 渋谷区に本社を移転、富士変速機株式会社を子会社化。
- 1979年11月 - 札幌製作所開設。
- 1980年10月 - 福岡製作所開設。
- 1982年6月 - 店頭市場(ジャスダック)に株式公開。
- 1983年 - 東京、大阪、名古屋など全国主要都市に支店開設。
- 1987年10月 - 東証2部上場。
- 1989年6月 - 広島製作所開設。
- 1991年11月 - 港区海岸に本社を移転。
- 2005年5月 - 港区三田の現社屋に本社移転。
- 2015年7月 - 東証1部に指定替え。
所在地
- ^ タチカワブラインド JAPANTEX2011 アルテモード - YouTube(2011年11月17日)2022年1月23日閲覧。
- ^ 柴田国明 vs ラウル・クルス - YouTube
- 1 立川ブラインド工業とは
- 2 立川ブラインド工業の概要
- 3 主な商品
- 4 外部リンク
固有名詞の分類
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