砂塚秀夫 砂塚秀夫の概要

砂塚秀夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/09 07:57 UTC 版)

来歴・人物

1952年県立熱海高校から日本大学芸術学部演劇学科に入学。歌舞伎研究会に入り歌舞伎の主役を務めるなどし、同時に俳優の森繁久弥や舞踏の花柳寿楽らに師事する。大学卒業後、劇団民藝の研究所を経て、1958年俳優座養成所の第10期生となる。養成所卒業直前に岡本喜八監督に指名され、1961年に『顔役暁に死す』でデビュー[2]

歌舞伎を研究したこともあり、独特なセリフ廻しの味のある演技で三枚目から小悪党的な役柄まで存在感のある脇役として映画テレビドラマで活躍する。特に岡本喜八監督作品の常連として、なくてはならない存在であった[2]。なお1973年には、自身の企画・製作・主演で映画『毘沙門天慕情』を東宝系で公開した。

1999年以降の動静は不明であったが[3]2007年日刊ゲンダイが取材したところ熱海に帰郷し夫婦で暮らしていたという[4]

出演

映画

テレビドラマ

CM

音楽作品

シングル

  • 雨の別れ道/いつか逢う人(日本コロムビア、SAS-1007)
  • 東京ダンチョネ節/俺も男に生まれたからには(テイチクレコード、SN-1055)
  • 男の唄/毘沙門天慕情(東宝映画「毘沙門天慕情」主題歌)(東宝レコード、AT-1026)

アルバム

  • 幇間芸の世界(1976年、日本コロムビア、FZ-7019)

  1. ^ a b c ゴジラ大百科 1993, p. 123, 構成・文 岩田雅幸「決定保存版 怪獣映画の名優名鑑」
  2. ^ a b 石橋春海「砂塚秀夫」『伝説の昭和特撮ヒーロー 宣弘社全仕事』コスミック出版〈COSMIC MOOK〉、2014年7月9日、57頁。ISBN 978-4-7747-5934-0 
  3. ^ 不明権利者:さ行一覧”. 映像コンテンツ権利処理機構. 2018年7月9日閲覧。
  4. ^ 宝生舞さんは見つかったが…“不明”な芸能人はこんなにいる|日刊ゲンダイDIGITAL”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 2022年3月5日閲覧。
  5. ^ a b 東宝特撮映画全史 1983, pp. 536–537, 「主要特撮作品配役リスト」


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