ファッション ファッションの概要

ファッション

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/13 08:52 UTC 版)

特に、人々の間で流行している服装を指すが、装いに関係する装身具美容理容髪型化粧)、香水などもファッションの範疇である。さらに広義には音楽などの文化やライフスタイルまでも包括しうる。

「ファッショナブル」や「おしゃれ」といった表現は、ある人や物が最新の、もしくは最新ではなくとも評判の良い様式に沿っているか否かを指し示すのに用いられる。

概要

一般に人は地理条件性別年齢社会階層職業思想嗜好等を反映した服装を着用するが、それと同時に文化的に影響力のあるステータスを持つ人々が何か新しい、もしくはそれまでと違った衣服を着用し、他の人々がそれに追随しはじめた時、ファッションの流行は始まる。服飾の流行は全世界的に見られるが、法律宗教道徳等による服装規範が相対的に緩く、服装の選択肢も広い現代の西洋的な市民社会においては、その変動は特に激しく、またそれらの流行を利用した衣料品産業が巨大産業を形成している。最新のファッションに盲目的に追随する人は「ファッショニスタ」(fashionista)とか、ファッション中毒等と呼ばれる。また、ロラン・バルトによれば、さまざまなファッションを着て見せびらかすという営為の体系は、さまざまなファッション文をファッションの文法を用いて組み合わせるファッション言語とも見做せる[1]

流行したファッションは、隆盛から衰退に至る一連のサイクルの中で消滅することが常であり[2]、また生産者や企業も頻繁なモデルチェンジを行って新しい流行を仕掛け、買い替え需要を促すが[3]、中には、以後も完全に一つのスタイルとして定着するものもある[4]。一方で、衣服は着用者の美意識をそのままあらわすものであり、個性を示す手段ともなっている[5]。着用する衣服は他者からの第一印象を決定づけるものであり[6]、これを利用して他者に自らの望むイメージを印象づけることも行われる[7]。この「流行への追随」と「個性の強調」は本質的に対立するが、どちらもファッションの根幹をなす重要な概念である[8]

ファッションの歴史

マリー・アントワネットはファッションリーダーであった
盛装したニュルンベルクの「ブルジョワ」女性(左)とヴェネツィア女性とを対比させたアルブレヒト・デューラーのドローイング。チョピン英語版(底の厚い靴)がヴェネツィア女性の背を高く見せている。
ジェームズ・ギルレイ「ファッションを追う」(1794)――当時流行だった短いボディスを着た富裕層の女性とそれを真似た下町の女性を風刺している

西洋の衣服(洋服)の歴史については、洋服の歴史を参照

古代

頻繁に変化するファッションという西洋の現象は概して古代には見られなかったし、他の大文明でも数十年前まではあまり類を見ないものであった。ペルシアトルコ日本中国などへ旅した初期の西洋人旅行家たちは現地のファッションの変化のなさをしばしば報告したし、逆にそれらの他文化圏から西洋に来た観察者は西洋ファッションの目紛しいペースでの変化を西洋文化の不安定さと無秩序さの現れではないかと報告していた。日本の征夷大将軍老中[訳語疑問点]は1609年にスペイン人の来訪者に、日本の衣服は1000年以上もの間変化していないと語った[9]。しかしながら、例えば中国のでは漢服に頻繁に変化するファッションが存在したとする注目に値する証拠がある[10]

古代ローマや中世イスラム帝国などでのように、経済・社会的な変革に伴って装いに変化が起こることはしばしばあるが、その後は長きに亘って大きな変化は起きなかった。例えば、ムーア人時代のスペインでは8世紀に、高名な音楽家Ziryab[訳語疑問点]が出身地であるバグダードの風習と自身の創意により、季節と時間帯に応じた洗練された衣服スタイルをコルドバに導入した[11][12]。同様のファッションの変化は11世紀の中東でも、進出してきたテュルクによって中央アジア極東の衣服スタイルが導入されて起こった[13]

近代以前のヨーロッパ

ヨーロッパでスタイルが連続的・加速度的に変化してゆく慣習が始まったのは14世紀中頃であるとかなりはっきりしており、ジェームズ・レーヴァー英語版フェルナン・ブローデルなどの歴史家がこの時期を西洋の服飾ファッションの始まりとしている[14][15]。これを示す最も劇的な変化は男性の上着が突然に大幅に短くタイトになったことで、ふくらはぎまであったものが辛うじてを覆うだけのものとなり、また同時に胸を大きく見せる詰め物もすることがあった。これによって西洋男性が仕立てた上着をレギンスまたはズボンの上に着るという概形が生み出された。

15世紀にはファッションの変化するペースは大きく加速し、男性・女性のファッション、特に衣服と髪型は、どちらも等しく複雑かつ移り変わるものとなった。このおかげで、美術史家は図像の年代を高い信頼度と精度で特定できるようになり、15世紀の図像の場合では5年単位での特定もしばしば可能となった。ファッションの変化はまずヨーロッパの上流階級全体が非常に似通った衣服のスタイルをしていたのを細分化させ、各国は独自のスタイルを発展させるようになり、17-18世紀にはそれに逆行して再び類似したスタイルを強いる動きが現れ、最終的にはフランスアンシャンレジームのファッションが支配的となった[16]。通常は富裕層がファッションを先導したが、近世ヨーロッパの富の増大によりブルジョワジーや農民までさえも流行を追うようになり、時としてはエリート階級が不快に感じる水準にまで至った――ブローデルはこれがファッションを変化させる主要な動機の1つと考えていた[17]

16世紀のドイツもしくはイタリアの紳士の肖像画が10枚あれば10個の全く違った帽子が描かれているであろう。この時期は国ごとの違いが最も顕著であり、これはアルブレヒト・デューラーが15世紀末にニュルンベルクヴェネツィアのファッションを(実録または合成で)対比させた記録にも現れている(右図)。16世紀末の「スパニッシュ・スタイル」はヨーロッパの上流階級でのファッションの共時性への回帰の始まりとなり、17世紀中葉の葛藤の後、フランスのスタイルが決定的に指導的位置を占め、18世紀にはこの過程は完結した[18]

布地の色と模様は年を追って変化したが[19]、紳士の外套の断ち方やベストの丈、淑女のドレスを裁断する時の型などの変化はよりゆっくりとしていた。男性のファッションは主に軍装から派生しており、西洋男性のシルエットの変化はヨーロッパ内の戦域で紳士将校たちが異国のスタイルを目にすることによって刺激を受けていた。「スティーンカーク」(Steinkirk)のクラヴァット英語版もしくはネクタイがその一例である。

近代以後

1780年代には最新のパリのスタイルを伝えるフランスの版画出版の増加によりファッションの変化が加速した[20]。ただし、17世紀には既に見本として着飾った人形がフランスから流通していたし[20]、1620年代以降はアブラハム・ボスフランス語版がファッション版画を制作していた。1800年までには、全ての西ヨーロッパ人たちは同じような装いをするようになっていた(か、少なくともしているつもりであった)。地域的なバリエーションはまずは地方文化の形跡、後には古風な田舎者の烙印と見做されるようになった[21]。19世紀前半にはジョージ・ブライアン・ブランメルらによってダンディズムが確立し、以後の紳士服の祖型が形作られた[22]。一方、紳士服においては既製服が富裕層を除いて広まりはじめた。1840年代にはイギリスにおいて紳士用の既製服市場が急拡大し、アメリカもそれに続いた[23]

仕立屋や裁縫師たちが多くの革新に関与してきたことは間違いないし、織物産業も確かに数多くの流行を先導したが、ファッションデザインの歴史が始まったとされるのは1858年、イギリス出身のシャルル・フレデリック・ウォルトが最初のオートクチュール店をパリに開いた日である[24]。ウォルトはデザイナーによる季節ごとの新デザイン提案、ファッションモデルの起用とファッションショーの開催を行い、現代のファッションシステムの構築とプロのデザイナーの主導的地位をもたらした[24]。1868年にはパリにおいてオートクチュール協会が設立された[25]

19世紀後半から20世紀前半にかけては、紳士服の変化が停滞したのに対し、婦人服は大きく変動した。19世紀までの婦人ファッションはコルセットなどで体を細く締め上げるものが主流であったが、1906年にポール・ポワレがコルセット不要のドレスを発表したことで流れは大きく変わった[26]。ポワレはまた、新素材の開発や、衣服以外にも香水や服飾雑貨などの分野に進出し、積極的なプロモーション活動を行うことで市場を大きく広げた[27]第一次世界大戦下の総力戦体制によって婦人の社会参加が進んだことで、大戦後にはココ・シャネルらの活動的・機能的なファッションが支持を得て、コルセットは完全に消滅した[28]。1940年にナチス・ドイツによるフランス占領が起きるとファッションの中心地であったパリは大打撃を受け、多くのオートクチュール店は閉店し、幾人かのデザイナーは国外へ移住したものの、オートクチュール組合は維持されており[29]、戦後は再び復活し隆盛を迎えた[30][31]

ウォルト以来ファッションの中核は長らくオートクチュールが担ってきたが、1960年代に入ると高級既製服であるプレタポルテが登場し、1975年にパリ・プレタポルテコレクションがはじまるなど[32]、オートクチュールに代わってファッションの中核となった[33]。また1950年代から1960年代にかけて、ジーンズミニスカートに代表されるストリートファッションが登場し、急速に台頭して一つの大きな潮流となった[34]。ファッション産業の中心地は18世紀以降長きにわたってパリであったが[35][36]、1970年代以降はオートクチュールが衰退するとともに、ミラノやニューヨークなどでメゾンの設立が相次ぎ、1976年にミラノ・コレクションがはじまる[37]など各地のコレクションが力を持つようになり、ミラノ[38]やニューヨークも中心地のひとつとなった[35]。こうして1970年代後半には現在の4大コレクションが成立した[39]


注釈

  1. ^ フランス語ではsemaine des défilés

出典

  1. ^ Roland Barthes (1967). Système de la mode. ditions du Seuil, ロラン・バルト 著、佐藤信夫 訳『モードの体系』みすず書房、1972年。ISBN 4-622-01963-9 
  2. ^ 「ファッション産業論 衣服ファッションの消費文化と産業システム」p104 富澤修身 創風社 2003年10月20日第1版第1刷発行
  3. ^ a b 「ファッション産業論 衣服ファッションの消費文化と産業システム」p22 富澤修身 創風社 2003年10月20日第1版第1刷発行
  4. ^ 「衣生活学」(生活科学テキストシリーズ)p9-10 佐々井啓・大塚美智子編著 朝倉書店 2016年1月20日初版第1刷
  5. ^ 「ファッション産業論 衣服ファッションの消費文化と産業システム」p21-22 富澤修身 創風社 2003年10月20日第1版第1刷発行
  6. ^ 「ファッション産業論 衣服ファッションの消費文化と産業システム」p21 富澤修身 創風社 2003年10月20日第1版第1刷発行
  7. ^ 「新版アパレル構成学 着やすさと美しさを求めて」(生活科学テキストシリーズ)p56-57 冨田明美編著 朝倉書店 2012年8月30日初版第1刷
  8. ^ 「ファッション産業論 衣服ファッションの消費文化と産業システム」p22-23 富澤修身 創風社 2003年10月20日第1版第1刷発行
  9. ^ Braudel, 312-3
  10. ^ Timothy Brook: "The Confusions of Pleasure: Commerce and Culture in Ming China" (University of California Press 1999); この本は1節全体をファッションに充てている。
  11. ^ al-Hassani, Woodcok and Saoud (2004), 'Muslim Heritage in Our World', FSTC publisinhg, pp. 38-9
  12. ^ Terrasse, H. (1958) 'Islam d'Espagne' une rencontre de l'Orient et de l'Occident", Librairie Plon, Paris, pp.52-53.
  13. ^ Josef W. Meri & Jere L. Bacharach (2006). Medieval Islamic Civilization: A-K. Taylor & Francis. p. 162. ISBN 0415966914 
  14. ^ Laver, James: The Concise History of Costume and Fashion, Abrams, 1979, p. 62
  15. ^ Fernand Braudel, Civilization and Capitalism, 15th-18th Centuries, Vol 1: The Structures of Everyday Life," p317, William Collins & Sons, London 1981 (フェルナン・ブローデル 著、村上光彦 訳『物質文明・経済・資本主義――15-18世紀1.日常性の構造』みすず書房、1985年。 
  16. ^ Braudel, 317-24
  17. ^ Braudel, 313-15
  18. ^ Braudel, 317-21
  19. ^ Thornton, Peter. Baroque and Rococo Silks.
  20. ^ a b 「ファッション・ブランドの起源 ポワレとシャネルとマーケティング」p123 塚田朋子 雄山閣 平成17年12月25日初版発行
  21. ^ James Laver and Fernand Braudel, ops cit
  22. ^ 「衣生活学」(生活科学テキストシリーズ)p25 佐々井啓・大塚美智子編著 朝倉書店 2016年1月20日初版第1刷
  23. ^ 「ファッション・マーケティング」p72-73 塚田朋子 同文舘出版 平成21年2月1日初版発行
  24. ^ a b 「衣生活学」(生活科学テキストシリーズ)p26 佐々井啓・大塚美智子編著 朝倉書店 2016年1月20日初版第1刷
  25. ^ 「ファッション・マーケティング」p100 塚田朋子 同文舘出版 平成21年2月1日初版発行
  26. ^ 「ファッション・ブランドの起源 ポワレとシャネルとマーケティング」p75-76 塚田朋子 雄山閣 平成17年12月25日初版発行
  27. ^ 「ファッション・ブランドの起源 ポワレとシャネルとマーケティング」p71-73 塚田朋子 雄山閣 平成17年12月25日初版発行
  28. ^ 「ファッション産業論 衣服ファッションの消費文化と産業システム」p87-89 富澤修身 創風社 2003年10月20日第1版第1刷発行
  29. ^ 「ファッション・マーケティング」p52 塚田朋子 同文舘出版 平成21年2月1日初版発行
  30. ^ 「ファッションの二十世紀」p132-137 横田一敏 集英社新書 2008年10月22日第1刷発行
  31. ^ 「史上最強カラー図解 世界服飾史のすべてがわかる本」p157 能澤慧子監修 ナツメ社 2012年3月12日初版発行
  32. ^ 「ファッションの二十世紀」p176 横田一敏 集英社新書 2008年10月22日第1刷発行
  33. ^ 「ファッション産業論 衣服ファッションの消費文化と産業システム」p90-91 富澤修身 創風社 2003年10月20日第1版第1刷発行
  34. ^ 「ファッション産業論 衣服ファッションの消費文化と産業システム」p92-93 富澤修身 創風社 2003年10月20日第1版第1刷発行
  35. ^ a b 「はじめて学ぶフランスの歴史と文化」p217-218 上垣豊編著 ミネルヴァ書房 2020年3月31日初版第1刷発行
  36. ^ 「アメリカ服飾社会史」p215 濱田雅子 東京堂出版 2009年6月25日初版発行
  37. ^ 「ファッション・マーケティング」p120 塚田朋子 同文舘出版 平成21年2月1日初版発行
  38. ^ 「ファッション産業論 衣服ファッションの消費文化と産業システム」p150 富澤修身 創風社 2003年10月20日第1版第1刷発行
  39. ^ 「ファッションの二十世紀」p181 横田一敏 集英社新書 2008年10月22日第1刷発行
  40. ^ 「ファッション産業論 衣服ファッションの消費文化と産業システム」p23 富澤修身 創風社 2003年10月20日第1版第1刷発行
  41. ^ 「環境になったメディア マスメディアは社会をどう変えているか」p135-141 藤竹暁 北樹出版 2004年3月25日初版第1刷
  42. ^ 「ファッションの哲学」p430 井上雅人 ミネルヴァ書房 2019年12月30日初版第1刷発行
  43. ^ 「ファッションの哲学」p331-332 井上雅人 ミネルヴァ書房 2019年12月30日初版第1刷発行
  44. ^ 「ファッション・マーケティング」p19 塚田朋子 同文舘出版 平成21年2月1日初版発行
  45. ^ 「はじめて学ぶフランスの歴史と文化」p218 上垣豊編著 ミネルヴァ書房 2020年3月31日初版第1刷発行
  46. ^ 「ファッション・マーケティング」p53 塚田朋子 同文舘出版 平成21年2月1日初版発行
  47. ^ https://www.vogue.co.jp/collection/trends/2017-02-10 「いまさら聞けない、コレクション 基本の“き”。」VOGUE JAPAN 2017年2月10日 2021年3月16日閲覧
  48. ^ https://www.fashionsnap.com/article/tokyo-collection-history/ 「東京コレクションはどのようにして始まったのか 歴史と変革」Fashionsnap.com 2017年11月23日 2021年3月16日閲覧
  49. ^ 「史上最強カラー図解 世界服飾史のすべてがわかる本」p221-222 能澤慧子監修 ナツメ社 2012年3月12日初版発行
  50. ^ 「ファッション・マーケティング」p126-129 塚田朋子 同文舘出版 平成21年2月1日初版発行
  51. ^ 「史上最強カラー図解 世界服飾史のすべてがわかる本」p165 能澤慧子監修 ナツメ社 2012年3月12日初版発行
  52. ^ https://www.nikkei.com/article/DGXMZO51515750Z21C19A0000000/ 「欧州ブランド「3強」、独立系争奪 主戦場は宝飾・時計 仏LVMH、米ティファニーに買収提案」日本経済新聞 2019/10/29 2020年7月26日閲覧
  53. ^ 「史上最強カラー図解 世界服飾史のすべてがわかる本」p169 能澤慧子監修 ナツメ社 2012年3月12日初版発行
  54. ^ 「ファッション産業論 衣服ファッションの消費文化と産業システム」p130 富澤修身 創風社 2003年10月20日第1版第1刷発行
  55. ^ a b 「ファッション・マーケティング」p164 塚田朋子 同文舘出版 平成21年2月1日初版発行
  56. ^ 「ファッション・マーケティング」p154-156 塚田朋子 同文舘出版 平成21年2月1日初版発行
  57. ^ 「史上最強カラー図解 世界服飾史のすべてがわかる本」p176 能澤慧子監修 ナツメ社 2012年3月12日初版発行
  58. ^ 「史上最強カラー図解 世界服飾史のすべてがわかる本」p184-185 能澤慧子監修 ナツメ社 2012年3月12日初版発行
  59. ^ 「ファッションの二十世紀」p72-73 横田一敏 集英社新書 2008年10月22日第1刷発行
  60. ^ 「ファッションの哲学」p332-333 井上雅人 ミネルヴァ書房 2019年12月30日初版第1刷発行
  61. ^ 「ファッションの哲学」p336-338 井上雅人 ミネルヴァ書房 2019年12月30日初版第1刷発行
  62. ^ http://www.Composing-Moments.com
  63. ^ ファッション
  64. ^ IPFrontline.com: Intellectual Property in Fashion Industry, WIPO press release, December 2, 2005
  65. ^ INSME announcement Archived 2007年9月29日, at the Wayback Machine.: WIPO-Italy International Symposium, 30 November - 2 December 2005
  66. ^ 日経新聞 2011 5月29日





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