エストニア語 エストニア語の概要

エストニア語

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/09 18:02 UTC 版)

エストニア語
eesti keel
話される国  エストニア
 ラトビア
ロシア
地域 北ヨーロッパ
話者数 110万人
言語系統
表記体系 ラテン文字
公的地位
公用語  エストニア
欧州連合
統制機関 エストニア語研究所英語版エストニア語版
言語コード
ISO 639-1 et
ISO 639-2 est
ISO 639-3 estマクロランゲージ
個別コード:
ekk — 標準エストニア語
vro — ヴォロ語
テンプレートを表示

南エストニア方言とタリン周辺で使われる北エストニア方言の2つの方言があり、後者は現在の標準語のもとになっている。

概要

18世紀の初めから1918年に至るまでエストニアはロシア帝国の支配下にあり、約20年後再びソ連に併合され、1991年に再び独立したが、エストニア語にはロシア語の影響があまりない。むしろ、フィンランド語ドイツ語のほうが密接に関わりを持っている[1]

フィンランド語とエストニア語は同じウラル語族に属しており、語彙の面でも文法の面でも共通点が多い。また、ドイツ語との関係は中国語日本語の関係に似ており、長期にわたってドイツ語やその一方言低地ドイツ語から影響を受けてきた。その証拠として、エストニア共和国の首都タリンには低地ドイツ語で書かれた歴史文書が大量に保管されている[1]

方言

エストニア語には首都・タリンを中心にした北方言と、第二の都市・タルトゥを中心にした南方言がある。現在の標準エストニア語は北方言に基づいている。

歴史

エストニア語が文字を使って書かれ始めたのは1520年代以降だが、当時はキリスト教の教会に住んでいたドイツ人がエストニア人に布教するために使われたもので、実際に使われていたエストニア語とはかけ離れたものだったという[2]。また、1739年にはエストニア語訳聖書の全訳が出た。

19世紀に入るころには徐々にエストニア人にも読み書きのできる人々が学校教育の普及によって増え始め、そのころから新聞や小説などが出るようになった[2]。独立直後の憲法制定会議の議事録はすでに現代のエストニア語とほぼ変わらないものだという。その後、ソ連時代を経て、現在に至る。

他のバルト諸国同様、エストニアにはドイツ系移民が多く、このためエストニア語は語彙および統語法の両面でドイツ語の影響を強く受けている。言語形態論的には、ウラル語族に多い膠着語からインド・ヨーロッパ語族に多い屈折語総合的言語)への移行形態を見せている。informatsioonやkontsertなどドイツ語と発音が似ている単語もしばしば見受けられる。

文字

表記にはラテン文字を用いる。ただし c, f, q, w, x, y, z, š, žは外国語由来の語にのみ用いられる[3]。また、c, q, w, x, yは言語のつづりのまま表記される場合のみ、f, z, š, žは比較的新しい外来語に用いられる[3]

エストニア語独自の文字としては、š, ž, ä, ö, ü, õ がある。ä 、ö、 üはドイツ語と同じでそれぞれのaとe、oとe、uとeの中間の音となり õ は非円唇の o である。 基本的にローマ字読みが可能である。




「エストニア語」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エストニア語」の関連用語

エストニア語のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エストニア語のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエストニア語 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS