近代法時代とは? わかりやすく解説

近代法時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/10 07:42 UTC 版)

著作権法 (フランス)」の記事における「近代法時代」の解説

19世紀フランスナポレオン帝政後に王政共和制帝政共和制と体制が目まぐるしく変化していたが、欧州で最も中央集権化進んでいた国でもあった。また欧州で最も使用頻度が高い言語フランス語であった。したがってフランス語著作物欧州広く流通しその結果フランス国外で海賊版大量に複製され、それがフランス逆輸入する事態発生したまた、フランス国内における外国人著作物保護なされていなかった。 著作権保護期間延伸 フランス国内における19世紀著作権法は、総合的な著作権法制定には至らず保護期間の延長改正議論中心であった1791年法により演劇著作物の上没後5年1793年法によりその他著作物出版権没後10年定められていたが、判例法によって演劇著作物にも1793年法適用され上演権没後10年とされた。しかし19世紀入り権利保護期間が問題となったなぜならばこの当時文盲率が大幅に改善されたことにより、書籍商過去名著重版出版するようになった結果1793年法定めた死後10年という期間では権利保護が短すぎたからである。 1830年7月革命起こりシャルル10世 (在位: 1824年 - 1830年) が言論統制のために検閲制度復活させたものの、市民蜂起結果シャルル10世からルイ・フィリップ (在位: 1830年 - 1848年) に代わった。ルイ・フィリップ治世の下、著作権改正法策定のための委員会1832年から立ち上がっている。この委員会では原則永久著作権認めたかったものの、実社会での適用に難があった。出版社恒久的に著作権料を払わざるを得なくなると、書籍末端販売価格上がり、これを回避しようとして国外で海賊版誘発する副作用懸念されたためである こうした議論経て1844年8月3日法が制定され演劇著作物複製上演にかかる著作権の保護期間没後20年延伸した。さらに1854年4月8日 - 19日法により、著作権の保護期間没後30年延伸した。条文上の対象には著作者作曲家美術家と書かれていることから、演劇著作物以外にも保護期間延伸認められている。続いて1866年7月14日法によって、著作権の保護期間著作者没後50年延長している。これら一連の延伸に関する法改正は、当時大衆から人気高かった作家たちが、政治家として国政に進出しており、彼らの尽力大きかったとされる。しかし、土地・建物のように著作権について所有権永久に認めるべきとの考え方根強く残っていた。 二国間条約ベルヌ条約ベルヌ条約#歴史」も参照 フランス国外に目を向けると、本格的な多国間条約であるベルヌ条約以前19世紀当時フランス二国間条約通じて自国著作物保護努めていた。しかし二国間条約場合保護水準の低い国、すなわち文化輸入国合わせて締結内容定められるため、保護水準高く文化輸出国であったフランスは、国内比較して国外でフランス著作物保護が十分ではなかった。 具体的には、自国民が外国著作物発行した場合内国としての保護排除する国や、翻訳権小説劇化といった翻案権認めていない国、翻訳権保護期間著作物登録から3か月失効する国もあった。このような状況下で、フランス著作物国外で無断翻訳され損害被っていたのであるそもそも各国権利保護期間にもバラつきがあり、国際的な統一必要性があった。 こうした国際状況背景に、まずは民間レベル動きが始まる。1858年9月著作権国際的な保護協議すべく「文学的美術的所有権会議」がブラッセル非公式に開催された。さらに、1878年パリ万国博覧会契機に、フランス政府呼びかけによって各国学者美術家文学者出版業界代表者集まり著作権に関する会合持たれた。この会合結果フランス文豪であり政治家でもあったヴィクトル・ユーゴー名誉会長とした国際文芸協会 (後の国際著作権法学会 (略称: ALAI)) が創設された。当会合からフランス政府対し多国間条約起草締結要請することとなった。 これ以降は、各国政府による公式な外交協議へと移った第1回ベルヌ公式会議 (1884年9月)、および第2回ベルヌ公式会議 (1885年9月)を経て第3回ベルヌ公式会議 (1886年9月) でベルヌ条約条文固まり10か国が調印し翌年1887年12月7日ベルヌ条約発効したレコード録音 20世紀初めに蓄音機レコード一般に商品化されているが、それ以前オルゴール音楽再生唯一の手段であり、19世紀入ってオルゴール上流階級だけでなく、一般庶民にも広まっていた。オルゴール生産主力国であるスイス国策圧力により、フランスでは1866年5月16日法を成立させ、音楽著作権者無断オルゴール楽曲利用複製することを合法化している。1886年署名ベルヌ条約でもその第3条で、オルゴール製造・販売音楽偽造とみなさない旨が規定されている。しかし、レコード録音を巡る訴訟フランスで相次いだことから、オルゴール楽曲無断利用合法化対象からレコード切り離すこととなり、レコード録音使用料支払義務化された。1908年ベルヌ条約ベルリン改正でも、オルゴール免責改定し、オルゴールを含む全ての音楽複製権著作者にあると規定した。これを受け、世界初録音権協会である機械的複製権協会 (SDRM)(フランス語版)が1935年設立され録音使用料徴収分配権利者に代わって行うようになった追及権 1920年5月20日法により、世界初の「追及権」が美術作品認められた。追及権とは、絵画彫刻などの美術品転売されるたびに、その売買価格一定割合著作者継続して得ることができる仕組みであり、著作者作品安値手放しても、後に価値高騰した時に金銭的に報いられるようになっている。この追及権は、著作物著作者から離れても、著作者支配権は残るという大陸法著作者人格権思想基づいている。

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近代法時代

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フランス法」の記事における「近代法時代」の解説

民法典制定の後、短期間の間に、民法典の他、商法典民事訴訟法典、刑法典治罪法典のいわゆるナポレオン諸法典」(codes napoléoniens)が制定されたが、これらは、自然法論に基づく近代法先駆けとなり、日本の民法含め各国法律モデルとなった上述たようにフランスでは、すでに全国慣習徹底的に調査し法典編纂していた歴史があったため、これらの制定法は、フランス伝統ある慣習の中から自然法理性の従うところによって発見し、これを写し取って実定法の形にしたものとされ、高度に抽象的かつ理論的な体系有する点に特徴があった。のみならずルソー人民主権においては制定法主権者である国民一般意思表明とされ、上述した旧体制シンボルともいうべき高等法院への不信から、議会優位制定法万能主義結びつき英米法異なり判例法源性は否定される至った同様の見地から、判例拘束力事実上のものにすぎないとされている。その後ナポレオン5法典は、若干修正受けているものの、フランスの憲法異なりフランス国民の慣習常識従ったものとして現在に付け継がれる法典となっている。 20世紀には、法を超越的な権威から解放し理論化する必要性認識されるようになったハンス・ケルゼンによる純粋法学理論フランス法規範階層という考え方導入しフランス法という言葉実定法意味するようになったその後は、法は非常に技術的なものとなり、法典の数も非常に多くなって、2006年12月には61本に達した第二次世界大戦後は、立憲主義発展したことにより、憲法には他の法形式憲法附属法欧州指令国内適用法令、法典命令、など)より高い地位与えられている。 その他にも、消費法典環境法典など、これまでになかった法典制定されている。

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