日米修好通商条約とは?

辞典・百科事典の検索サービス - Weblio辞書

初めての方へ

参加元一覧


用語解説|基本情報|動画|文献|商品|全文検索
Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 方式・規則 > 法令・規則 > 条約 > 不平等条約 > 日米修好通商条約の意味・解説 

三省堂 大辞林

三省堂三省堂

にちべい-しゅうこうつうしょうじょうやく ―しうかうつうしやうでうやく 【日米修好通商条約】



防府歴史用語辞典

防府市教育委員会防府市教育委員会

日米修好通商条約 (にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)

1858年安政5年)に日本アメリカとの間で結ばれた条約で、国内の数ヶ所の港を開くことや、外国人の住む地域定めることが決められました。一方で外国人犯罪日本の法律で裁けない、関税日本側だけで決められないといった、日本側に不利な項目もありました。大老井伊直弼いいなおすけ]は条約を結ぶ際に朝廷許しを得なかったので朝廷幕府対立招き幕府の対応を非難する人々現れました。

関連項目


国指定文化財等データベース

文化庁文化庁

日米修好通商条約

主名称: 日米修好通商条約
指定番号 83
枝番 0
指定年月日 1997.06.30(平成9.06.30)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 歴史資料
ト書:
員数 4冊
時代区分 江戸
年代
検索年代
解説文: 駐日米国総領事ハリス通商条約締結企図し、安政四年(一八五七十月将軍家定に謁見国書奉呈した。また老中首席堀田正睦会見し、英仏艦隊来航可能性阿片禍の危機について強調し、米国第一番に通商条約を結ぶことが日本とっていかに有利かを説いた。その結果幕府条約締結へと動き出し井上信濃守清直・岩瀬肥後守忠震を全権としてハリス交渉した結果安政五年正月妥結をみた。しかし幕府勅許が得られないことを理由調印延期要請した。六月中旬になると清におけるアロー戦争英仏連合軍勝利伝えられ、ハリス英仏脅威を説いて調印を強く促したので、大老井伊直弼調印踏み切り六月九日神奈川沖の米艦ポーハタン号上で締結したのが日米修好通商条約である。
 これを機にオランダロシア英国フランスとの間で修好通商条約次々と締結された。なお五か国との条約とその関連資料大正十二年の関東大震災被災し、オランダ・ロシアの分は失われ、その他の国の分もかなりの損傷を受けている。
 日米条約全一四か条で、箱館神奈川横浜)・長崎新潟兵庫神戸)の開港江戸大坂開市、これらの地における自由な売買関税取り決め開港場での居留開市場での逗留許可領事裁判権利、在留米国人信教教会建設の自由、阿片禁輸等を規定する。条約の最も重要な点は、開港場居留地での自由な貿易認めたこと、および日本にとって片務的な領事裁判権協定関税とする不平等条約であるということである。貿易章程は七則あり、貿易諸手続き従価税に基づく関税定めている。
 調印書・貿易章程封蝋入り円形の銀缶付きで、和文英文蘭文がある。和文調印書には井上清直岩瀬忠震の名と花押があり、英文調印書にはハリス署名がある。蘭文には署名はない。これらを大統領ジェームス・ブキャナンの署名国務長官ルイス・キャス副署のある批准書原本で包んで紐で綴じている。
 批准書交換万延元年一八六〇)四月三日ワシントンで行われた。和文交換証書には全権新見豊前守正興・村垣淡路守範正小栗豊後忠順署名し、英文証書には国務長官ルイス・キャス署名する。その他に和文証書蘭訳文と英文証書蘭訳文が附属している。
 改税約書は、文久二年(一八六二)五月下関砲撃事件賠償金減免と引き替えに、慶応二年(一八六六)五月十三日英・米・仏・江戸調印した旧税則の関税率軽減貿易制限撤去眼目とする取り決めである。四か国ごとに個別に結ばれたが、すべて同文で、内容は、約書・運上目録規則からなり、約書は一二か条、運上目録輸出入品の税率表で、規則は三則ある。
 本条約は、日本開国を果たし、欧米列強はじめとする国々の自由貿易市場として包摂されることになった最初条約として日本近代史上に重要な意味をもつ。
重要文化財のほかの用語一覧
歴史資料:  日本図  日本図  日本航海図  日米修好通商条約  日米和親条約批准書交換証書  日米条約調印書  日英修好通商条約


ウィキペディア

ウィキペディアウィキペディア

日米修好通商条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/08 06:06 UTC 版)

日米修好通商条約(にちべいしゅうこうつうしょうじょうやく)は、安政5年6月19日1858年7月29日)に日本アメリカ合衆国の間で結ばれた通商条約である。徳川幕府が日本政府を代表して調印した条約であり、条約批准書原本には「源家茂」の署名がなされている。英語Harris Treatyドイツ語Harris-Vertragとも表記され、欧語ではアメリカ全権タウンゼント・ハリスの名を冠して「ハリス条約」とも通称される。


[ヘルプ]

注釈

  1. ^ 日米通商航海条約の調印は日清戦争中の1894年(明治27年)11月22日であった。日本は、イギリスとのあいだには、日清開戦直前に日英通商航海条約を締結しており、これにより領事裁判権の撤廃が実現した。
  2. ^ コーデル・ハルアメリカ合衆国国務長官の廃棄通告により、1940年(昭和15年)1月26日に失効した。
  3. ^ 下田・箱館は日米和親条約の際にすでに開港場に指定されていた。
  4. ^ 条約の規定よりも早い1859年7月1日(安政6年6月2日)に開港された。なお、条約締結当初、開港場は神奈川とされたが、神奈川は東海道宿駅で人通りも多かったため、のちに当時寒村だった横浜にうつされた。

出典



「日米修好通商条約」の続きの解説一覧




固有名詞の分類



日米修好通商条約に関係した商品


日米修好通商条約のページへのリンク
「日米修好通商条約」の関連用語
日米修好通商条約のお隣キーワード
モバイル
モバイル版のWeblioは、下記のURLからアクセスしてください。
http://m.weblio.jp/
» モバイルで「日米修好通商条約」を見る
_ _   


日米修好通商条約のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
三省堂三省堂
Copyright (C) 2001-2012 Sanseido Co.,Ltd. All rights reserved.
株式会社 三省堂三省堂 Web Dictionary
防府市教育委員会防府市教育委員会
Copyright 2012,Hofu Virtual Site Museum,Japan
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2012 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの日米修好通商条約 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2012 Weblio RSS