アロー戦争とは? わかりやすく解説

アロー‐せんそう〔‐センサウ〕【アロー戦争】


アロー戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/21 16:26 UTC 版)

アロー戦争(アローせんそう、: 第二次鴉片戰爭: Arrow War)は、1856年から1860年にかけて、イギリスフランス連合軍との間で起こった戦争である[1][2]。戦争の理由の一つであった、中国人による多くのイギリス人との衝突のうち、もっとも象徴的な出来事がアロー号事件であったため、日本ではアロー戦争と呼称される場合が多い。また、アヘン戦争に続きアヘンの密貿易に関連して起きた二度目の戦争であることから第二次アヘン戦争(Second Opium War)とも呼ばれる[1]。この戦争で清は再び敗北し、不平等条約である天津条約北京条約を締結させられ、アヘン輸入の合法化を強いられることになった。




注釈

  1. ^ 英軍は、士官に限り僅かに略奪に参加した。英軍士官は、英軍が設立した分捕委員会に、略奪品を納めた(競売にかけられ、123,000円の売上金は、軍に配分された)。
  2. ^ 『北京史話』によると、パリの図書館と大英博物館には、東晋顧愷之による『女史箴図』、清朝の沈源、唐岱による『円明園四十景図』などが所蔵されているという。

出典

  1. ^ a b アロー戦争とは”. コトバンク. 2022年3月12日閲覧。
  2. ^ 辞典


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アロー戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/11 15:10 UTC 版)

ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)」の記事における「アロー戦争」の解説

阿片戦争清に自由貿易拡大させたはよかったが、イギリス主要輸出品木綿の清への輸出量はその後もあまり増えておらず、マンチェスター綿産業中心に清に更なる市場開放を迫るべしという声が強くなっていった。 また清国内では依然として阿片禁制品であったが、イギリス人先の阿片戦争締結した南京条約を盾に阿片流入やめようとはせず、清政府中国人の間には反英感情高まっていた。広東では、中国半植民地化に反発する民衆排外暴動起こすようになり、イギリス人広東市内入れなくなったイギリス香港総督がこれについて抗議したが、両広総督欽差大臣耆英応じなかった。また「夷狄首府侵入」を許すことによって権威低下することを恐れていた清政府は、イギリス外交官北京政府直接交渉認めず外交窓口広東派遣する欽差大臣限定し続けていた。これらはイギリス側介入きっかけ与えることとなったパーマストン子爵は清の姿勢不誠実、いい加減、無法だとしていらついていた。上海領事サー・ラザフォード・オールコックが再度武力行使して条約改正清政府に迫るべしと進言したのを機にパーマストン子爵もその決意固めた1856年10月香港総督は、清国官憲イギリス(香港)籍船舶アロー号入ってきて中国人12名を海賊容疑逮捕した事件口実にして、香港駐屯イギリス海軍広東への攻撃開始させた。その報告受けたパーマストン子爵直ち香港総督武力行使追認与え自分が全責任を負う通達した。 だが庶民院では野党人道的観点からこの戦争批判した1857年3月には急進派リチャード・コブデン議員提出パーマストン子爵批判動議保守党ピール派急進派議員たちの賛成可決された。これに対してパーマストン子爵4月解散総選挙英語版)に踏み切った広東の清の高官を「無礼な野蛮人」と呼ぶなどのパーマストン子爵攻撃的なパフォーマンスは、英国民の愛国心刺激して共感呼び選挙党派超えてパーマストン子爵支持する議員たちが大勝し強硬な戦争反対議員はほぼ全員落選したフランス皇帝ナポレオン3世広西省フランス人神父殺害され事件口実にアロー戦争に参戦した英仏連合軍広東占領して北上し1858年5月大沽砲台占領して北京窺い6月には清に天津条約締結させた。だが清政府にとってこの条約北京陥落を防ぐための便宜的手段であり、条約を守る姿勢見せなかったため、一度撤収した英仏軍は再び北進開始し1860年8月大沽砲台再度陥落させ、今度こそ北京占領した。これにより清は天津条約以上に厳しい条件北京条約締結する羽目になった。清は巨額賠償金天津など11港の開港認めることとなった。 またこの戦争中1858年8月天津条約締結一時になっていた英国艦隊日本派遣し、「応じないなら50隻の軍艦攻めよせる」と江戸幕府脅迫して不平等条約日英修好通商条約締結させることにも成功している。

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