大分交通時代とは? わかりやすく解説

大分交通時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 04:40 UTC 版)

大分交通別大線」の記事における「大分交通時代」の解説

太平洋戦争開戦後1942年8月鉄道省による私鉄バス会社企業統合に関する通牒をうけて大分県でも交通事業統合にむけた動き始まり県内県北県南日田の3ブロック分割してそれぞれの域内統合向けた準備進められた。うち別府大分電鉄事業地域である県北エリア統合では、別府大分電鉄母体としてこれに各社吸収合併させる案が採用され1943年昭和18年4月統合に関する覚書交換、翌1944年昭和19年11月には宇佐神宮での合併契約調印進んだ。そして大戦末期1945年昭和20年3月1日付で合併に関する当局認可下り4月20日開催され大分市での合併報告総会をもって合併成立した合併参加したのは存続会社となった別府大分電鉄と、耶馬溪鉄道宇佐参宮鉄道豊州鉄道国東鉄道宇佐参宮自動車・別自動車の7社であり、合同によって大分交通株式会社成立した大分交通成立により旧別府大分電鉄鉄道路線同社別大線となった別大線における輸送量ピーク終戦直後1946年度から1947年度にかけてに出現し戦前600万人であった年間利用者数一挙に1500万人台へと跳ね上がった当時車両別府大分電鉄時代からの1型12両・100型16両の28両で、戦災にあった1両も戦後すぐ復旧していたが、それでも車両不足するため名古屋市電から単車を5両購入している。 終戦から日が経ち電車以外の交通機関輸送状況好転するにつれて併走する国鉄日豊本線自動車との競争激しくなり、別大線乗客減少傾向となった対策として1951年昭和26年6月単線区間交換場所変更と車両歯車比変更による速度向上を実施し全線運転時間54分から50分へと短縮した。また観光地として沿線高崎山脚光を浴びたため最寄別院前停留場改修し長距離客に同停留場での途中下車認可するなどの観光客誘致策を実施している。 車両面では1949年昭和24年)に1932年以来新車となる200形5両を導入したのを皮切りに1954年昭和29年)に300形2両、1956年昭和31年)から1959年昭和34年)にかけて500型7両を導入した。これらの新車輸送力増やすため連結運転可能な仕様とされ、その後在来車の100型連結転に対応するよう改造された(150型)。こうした輸送力増強一方で北浜から別府駅前へ伸びる500メートル支線は1車両平均9人と利用落ち込んだため、別府市撤去要望応える形で1956年10月18日限り廃線となった1960年代入って別大線年間輸送人員1200万人超えており、朝ラッシュ時輸送力増強目的として1962年昭和37年)に2車体連接1000型1編成登場、さらに翌1963年昭和38年)には2両を背中合わせ連結した大型車1100型2編成導入された。しかしながらピーク長く続かずモータリゼーション進展によって1964年度の年間1353万人頂点翌年度以降輸送人員毎年減少していき、1969年度には年間1000万人を下回って別大線営業収支赤字転落した収支悪化対処するため別府市内運転の減便大分市内運転のワンマン運転実施1968年9月)、夜間の減便終電繰り上げ1969年11月実施)といった措置が採られたが、経営改善させるには至らず赤字幅は拡大する一方で年間輸送人員1971年度には813万人へと低落した電車利用減の反面別大線のうち半分以上併用する国道10号では自動車交通激増したため、大分県では軌道撤去して国道を2車線から4車線へと拡幅交通緩和を図ることが適切と判断1971年昭和46年12月大分交通に対して別大線撤去要請した。これに続いて1972年昭和47年3月7日別府・大分両市も撤去要請する。これらの要請受けて大分交通3月8日軌道撤去当局申請27日廃止認可得て4月4日限り別大線全線廃止した。 この軌道線廃止に伴い多数あった大分交通鉄軌道路線耶馬渓線を残すのみとなったが、それも1975年10月1日廃線となり県下鉄道路線ケーブルカー除けば国鉄線(→JR九州)のみになり、この状態が現在も続いている。

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