作家活動へとは? わかりやすく解説

作家活動へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:13 UTC 版)

石川淳」の記事における「作家活動へ」の解説

1921年大正10年7月から11月まで横須賀海軍砲術学校フランス語講師10月から1922年大正11年6月までフランスル・タン』の通信事務員7月から1923年大正12年3月まで海軍軍令部勤務東京外国語学校同窓生中心として野島辰次、高橋邦太郎らと同人誌現代文学創刊参加し、「鬼火」「ある午後風景」などの小説習作発表このころ石川淳について小島政二郎は「アナトール・フランスばりの形式美追求者」と評している。1922年ポール・クローデル歓迎会講演会参加1923年アナトール・フランス赤い百合』の翻訳刊行1923年9月から1924年大正13年3月まで慶應義塾仏語会にて仏語講師関東大震災山内義雄の家に避難し、ここで1924年アンドレ・ジッドの『背徳者翻訳刊行1924年4月旧制福岡高等学校新制九州大学教養部前身)の仏語講師として福岡赴任年俸1600円(2006年貨幣価値800万円ほど)であった福岡市東養巴町家庭を持つ教師時代入学試験で「新聞紙」という作文答案が、文系志願者はすべてがジャーナリズムとしての新聞理系志願者はすべて用紙としての新聞の紙についてだったとエッセイ発表作家花田清輝自分そのとき受験生だったと書いている。 1925年大正14年11月21日文部省から派遣され法学博士蜷川新講演会きっかけ学生運動発生関係していた社会科学研究会治安維持法違反解散させられる石川左翼学生加担したとの理由辞職勧告され2学期かぎりで休職1926年大正15年3月正式に依願退職した。東京戻った後は、放浪生活となり、アンドレ・ジッドの『法王庁抜穴』などの翻訳をした他は、約10年創作活動休止する1933年から評論など執筆再開し1935年昭和10年)の『佳人発表から創作再開1937年昭和12年)、『普賢』で第4回芥川賞受賞。その直後1938年昭和13年)の『文学界1月号に発表したマルスの歌」が反軍国調だとして1937年12月29日発禁処分を受け、編集責任者河上徹太郎とともに罰金刑処せられたこともあって、戦時中創作制約を受け、森鴎外における史伝の意味明らかにした『森鷗外』(1941年12月5日刊)、『文学大概』(1942年8月15日)などの評論や、江戸文学研究没頭し、この当時を自ら「江戸へ留学」していたと語っている。1941年昭和16年11月坂口安吾識る1945年昭和20年5月25日空爆により被災千葉県船橋市転居厚生省外郭団体勤務し同和地区視察のために夏から秋にかけ北陸近畿四国出張旅行この間日本の敗戰となった

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作家活動へ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:30 UTC 版)

丸谷才一」の記事における「作家活動へ」の解説

1952年1月篠田一士菅野昭正川村二郎とともに季刊同人誌秩序』(白社)を創刊。その第1号短編小説ゆがんだ太陽」を掲載した。また同誌2号から7号に初の長編小説エホバの顔を避けて』を連載4月杉並区にある高千穂高等学校講師となる。5月グレアム・グリーンの『ブライトン・ロック』を『不良少年』の邦題翻訳筑摩書房より刊行以後英文学翻訳を行う。 1953年9月國學院大學専任講師となる。1954年の春まで、同人誌現代評論」の同人仲間であった山口瞳が同じ学校学生として在籍していた。1954年4月國學院大学助教授昇進。ここで中野孝次らと知り合うまた、桐朋学園非常勤講師となる。同年10月東大英文科同級生演劇批評家の根絢子結婚戸籍上は根姓を継いだ1960年10月、『エホバの顔を避けて』を刊行1961年1月季刊『聲』第1号鉢の木会編集丸善発行)に小説うぐいす笛発表。『東京新聞1961年2月から1971年3月まで、時評大波小波」を匿名掲載。『文藝1962年3月号から1963年7月号まで、時評回転木馬」を匿名掲載1964年ジェイムズ・ジョイスユリシーズ』を永川玲二高松雄一共訳刊行上・下)。1965年3月國學院大學退職東京大学英文科非常勤講師として4月より2年間「ジェイムス・ジョイス」を講義1965年7月5日付から1967年7月12日付まで毎月2回、『読売新聞』に「貝殻一平」の名前で「大衆文芸時評」を連載。『群像1965年12月号から1969年1月号まで、時評侃々諤々」を匿名掲載1966年7月長編小説第2作笹まくら』を、10月評論集梨のつぶて』を刊行新仮名遣い使用)。1967年、『笹まくら』で河出文化賞受賞。『鐘』刊行1968年3月年の残り発表7月同作品で第59回芥川賞受賞

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