ロマン派とゲルマン主義とは? わかりやすく解説

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ロマン派とゲルマン主義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:19 UTC 版)

反ユダヤ主義」の記事における「ロマン派とゲルマン主義」の解説

ドイツ・ロマン主義ではフランス啓蒙主義対抗してドイツ固有の国民文学創造主張された。1799年の『キリスト教世界あるいはヨーロッパ』でフランス革命神聖なるものを根こそぎにしたと考えたノヴァーリスヘルダーリンにも「選民としてのドイツ人」という概念見られた。 フィヒテ思想的影響受けた作家エルンスト・モーリツ・アルントは農奴制廃絶運動行った後、1806年著書時代の精神』や1813年の歌「ドイツ祖国とは何か」などで、ナポレオンドイツ支配批判した。アルントはナポレオン批判のなかで、ゲルマン人種が選民であると論じ、自由で誠実なゲルマン人の血の純粋さ根拠として、タキトゥス創世記引き合い出して、主の怒りである大洪水雑種化対するものであったとする。ただし、アルントはドイツ人種への脅威としては主に「フランス人種」を見ており、ユダヤ人に対しては、ユダヤ系ポーランド人ドイツ受け入れには反対したものの、ユダヤ人改宗すれば消滅する考えていた。アルントの「ゲルマン人の血」の思想は、ハインリヒ・フォン・クライストケルナー愛国詩人のマックス・フォン・シェンケンドルフ(Max von Schenkendorf)と並んでドイツ国民に武器を取るよう促したが、他方フランスで革命後の国歌ラ・マルセイエーズ」の歌詞では「汚れた血」についてあるなど、民族の血を優劣でみることに両国違いはなかった。ナポレオン戦争での敗北ドイツ人にとって屈辱的であったことから、ゲルマン性への狂信教科書でも載せられるようになっていった。教育家コールラウシュ教科書ドイツ史」(1816年)ではドイツ人純潔性が、ユダヤ人ギリシア人ラテン人とは好対照をなすとされた。 政治経済学者のアダム・ミュラーはエドマンド・バークタキトゥス並べて賞賛し、またノヴァーリスゲルマン詩の精神によって世界征服しようとしたと称賛して宗教改革フランス革命によって崩壊していく中世ゲルマン的な世界中世普遍的な団体「ゲマインデ」を賛美したミュラーは「いつの日かヨーロッパ諸民族からなる一大連邦築かれるであろうが、その色調はなおドイツ的なものとなるであろう」と予言してヨーロッパ政体偉大なものはすべてドイツ由来する主張した。アダム・ミュラーはナポレオン支配に対してドイツ民衆抵抗運動ヘルマン戦い)を呼びかけ、またハルデンベルク改革批判したミュラー1811年ウィーン亡命して、メッテルニヒ仕えた1806年から1815年にかけて、作家ブレンターノアルニム、『ドイツ民衆本』を刊行したヨハン・フォン・ゲレス、グリム兄弟たちが寄り集まったハイデルベルクドイツ民族主義の「ドイツの火」が点火された。アルニムブレンターノドイツ民謡あつめて少年の魔法の角笛』(1806-8)を出版した。ゲレスは『ドイツ没落とその再生条件』(1810年)で、かつてのユダヤ王国のようにドイツ現在の聖なる土地であるとした。グリム兄弟民話蒐集し、『子供家庭のための童話』(1812-1822)、『ドイツ伝説』(1816 -18)を出版し、『ドイツ語辞典』(1852)ではユダヤ人を「利得ずくで、暴利貪り、不潔である」と解説したヤーコプ・グリム1835年に『ドイツ神話学』を刊行しワーグナーにも影響与え、また1848年革命でのドイツ憲法動議では、ドイツ憲法はドイツフォルクの信条なくてはならない述べた1807年12月から翌1808年にかけてフランス軍占領下ベルリン学士院講堂において、哲学者フィヒテは『ドイツ国民に告ぐ』を連続講演しフランス文化対すドイツ国文化優秀さ説きまた、ドイツ国民の統一ドイツ人内的自由、商業上の独立主張しドイツ国精神発揚ドイツ解放戦争準備するとなったフィヒテはすでに、個人は、個人より高い存在である国家一体化することによって自由を実現する論じていたが、『ドイツ国民に告ぐ』では、民族国民ネーション)に個人没入することによって自由を達成する論じられ唯一正統統治形態国民による自治であると主張したドイツでは出版の自由著しく制限されていたが、フィヒテ講演シュライエルマッハー説教口コミ反響広がった1808年ベルリンクライストが『ヘルマン戦い』を書きナポレオンへの憎悪ドイツ民族蜂起託しドイツ解放戦争期待された。 進歩主義的な教育者フリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーンはアルント、フィヒテシュライアーマッハーならんでドイツ国運動の有名な組織であったヤーン1810年秘密結社ドイツ同盟Deutscher Bund)を結成しドイツ全域にわたる愛国組織模範となり、またトゥルネンというドイツ国体育始めたヤーンは、1810年に著わした『ドイツ国民性』で、ドイツ国民性基づいた全人教育めざして体育提唱するなかで「混血の民は国民再生産の力を失う」として、フランスの影響力を排除する国民革命目指して、ドイツ語からの外国起源人名抹消民族衣装着用などの民族浄化訴え原始ゲルマン人末裔であるドイツ人古代ギリシア人だけが聖なる民であると論じたヤーン先立って教育学者ヨハン・クリストフ・グーツ・ムーツ1793年ルソー影響下に執筆した青少年のための体育』において原始ゲルマン人身体理想的な目標として称賛したヤーンは「ドイツを救うことができるのはドイツ人のみである。異邦救い主ドイツ人破滅に導くことしかできない」とした。 1813年言語学者プロイセン政府大使であったフンボルトは「ドイツはひとつの国民、ひとつの民族、ひとつの国家である」と断言しドイツは自由で強力でなければならない「ただ外にむかって強力な国民のみが、すべての内的聖化がそこから流れ出る精神を内に蔵することができる」と宣明した。

※この「ロマン派とゲルマン主義」の解説は、「反ユダヤ主義」の解説の一部です。
「ロマン派とゲルマン主義」を含む「反ユダヤ主義」の記事については、「反ユダヤ主義」の概要を参照ください。

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