SMAP 経歴

SMAP

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 19:09 UTC 版)

経歴

1987年、光GENJIのバックで踊るジャニーズJr.内グループ・スケートボーイズが結成され[17]、1988年4月にスケートボーイズ12名の中から中居正広木村拓哉稲垣吾郎森且行草彅剛香取慎吾の6人が選抜されSMAPが結成された[18]ジャニーズ事務所は日系二世の創業者・ジャニー喜多川の意向で舞台芸術の方面に力を入れており、非日常な舞台を演出・提供するアイドルタレントが多かった。光GENJIはこのアイドル主義の頂点を極め、この年の第30回日本レコード大賞を受賞する。SMAPもこの路線を受け継ぎ、華やかな衣装でステージに立った[19]

しかしこの頃、1980年頃から始まったアイドルの大衆化が極限まで推し進められ、自我を抑制して与えられた役割を演ずる、光GENJI的な「仕立てられたアイドル」は限界を迎えていた。光GENJIも1990年代に入ってから人気が降下し始める。SMAPは結成後3年を経て、1991年9月9日、シングル『Can't Stop!! -LOVING-』でメジャーデビューを果たすが、オリコン週間チャートでは2位止まりで、セールスはデビューシングルとしては事務所始まって以来最低の15万枚で、地方でのコンサートでは客もまばらだった。アイドル業界全体が下火となる中で音楽番組も次々と打ち切られ、事務所もSMAPの売り出し方について確たる方針を定められないでいた[20]

この状況を打開したのが、当時事務所の事務職員だった飯島三智である。飯島はSMAPのマネージャーに志願すると、それまで事務所が距離をとっていたバラエティ路線にSMAPを積極的に売り込み、1992年に放送開始の『夢がMORI MORI』では本格的なコントに挑戦した。1980年代までは音楽番組とコント番組は親和性が非常に高く、ほとんどのコント番組にアイドルや歌手の歌唱コーナーが設けられていたり、あるいは逆にコントコーナーが存在していた音楽番組も多く、ジャニーズではたのきんトリオの『たのきん全力投球!』や、他の事務所では新御三家郷ひろみ西城秀樹野口五郎)の『カックラキン大放送!!』などの成功例があった。そのため、アイドルのコント番組への出演自体は珍しいことではなかったが、SMAPはアイドルであることを言い訳にせず、本気で本職のお笑い芸人顔負けの「笑われる」対象に徹した。奇しくもお笑い界からは「踊れる芸人」として吉本印天然素材がSMAPデビューと前後して結成されるなど、漫才ブームの余波でお笑い芸人がアイドル的人気を得る状況が起きていた[21]。一方で、フジテレビの元プロデューサーで、ワタナベエンターテイメント会長の吉田正樹は自身のTwitterで「SMAPを初めてバラティーで推薦されたのは、今はない青山劇場の楽屋。ジャニーさんに呼ばれて見た『聖闘士星矢』。そこにはメリーさんと泉ピン子さんがいて彼らの未来を話された。1991年8月のことだ。だからメリーさんの熱い気持ちからフジテレビのプロジェクトが始まったことは間違いない。」と綴っている[22]。ちなみに、『SMAP GO!GO!』や記事[23] において、フジテレビのプロデューサーであった荒井昭博によると、『夢がMORI MORI』にSMAPがレギュラー出演するようになったのは、ジャニーに頼まれたからだと明言している。

このバラエティ路線は、作られたスター性を犠牲にしてカジュアルな身近さを演出する意味合いがあり、ジャニー喜多川が当初目指していたショーアップされたスター性からはかけ離れた方針であった。しかし、ジャニーはこれを容認し、自らもテレビ局のスタッフに積極的にメンバーを売り込んでいた。ジャニーは1960年頃から事務所のプロデューサーとして活躍する中で、日本においては社会の中における芸能人の位置づけが低いことに憤りを抱えていた。対して米国では「劇場が芸能人に出演を頼む」というほど芸能人の社会的地位が高く、また「舞台を彩る存在は、俳優も歌手も芸人も、等しく芸術家」である。ジャニーにとってはアイドルがお笑いをやることへの抵抗がなく、逆に歌って踊れて笑いもできるエンターテーナーこそが本物であるというエンターテインメント観があった[24]。総合エンターテーナーの路線を追求することにより、従来のアイドルのような夢の世界の住人ではなく、日常を生きる、いわば「SMAPという職業」につく普通の人物としての側面を持つようになる。そしてSMAPのファンは、SMAPのメンバーの歩みや変遷を楽しみ、共に生きるという関わり方を送るようになる。このようなアイドルとファンの接し方は、2000年代以降の女性アイドルグループの主流に近いといえる[25]

SMAPの音楽性としては、クラブカルチャーが特徴として挙げられる。1970年代からディスコが流行し、ジャニーズ事務所では郷ひろみや田原俊彦が積極的に取り入れていた。しかしこれは1984年の風営法改正によって営業に支障が生じるようになる。法改正に対応して、より小規模で、よりカジュアルなクラブへと衣替え、音楽もより自由で、ディスコ時代の「お約束」から解き放たれたクラブミュージック(ハウスやヒップホップなど)が新たに生まれた。SMAPの芸風もまた、ディスコ音楽を突き詰めた田原の世界観とは対照的な、よりリアルでカジュアル(非日常な舞台からの脱却)なクラブ文化と馬があった。そしてSMAPの音楽は、クラブミュージックのカジュアルな文化とともに歩んだのである[26][注釈 1]

また、具体的には渋谷系の音楽との親和性も強い。1990年代半ばには、シングル「がんばりましょう」(1994年)を筆頭に、当時流行したフリーソウルの曲も積極的に取り入れた。この頃のアルバムには海外ミュージシャンを積極的に迎え入れており、その中にはレア・グルーヴブームの中で再評価されたものもいる[27]

1990年代はアイドルにとって厳しい時代だったといわれるが、SMAPはドラマやバラエティに積極的に進出し、確固たる地位を築き始める。1996年からは、フジテレビ系冠番組の『SMAP×SMAP』が放送を開始。コント等のバラエティ企画と音楽ショーの二部構成のフォーマットにすることにより、身近な親しみやすさとスター性とをあわせもつ存在であることがわかりやすく示された[27]。こうしたSMAPの「音楽とお笑い」の両立路線は、かつて戦後の昭和期において音楽テレビ映画など様々な分野で活躍し、オールラウンド型の音楽グループとして国民的な人気を獲得していたクレージーキャッツ植木等)、ザ・スパイダース堺正章)、ザ・ドリフターズの路線を受け継ぐものであったとの指摘もある[28][29]。1996年にはその『SMAP×SMAP』が視聴率20%超の人気を博し、「平成のクレージーキャッツ」の異名を取る[30]

1996年5月、森がオートレース選手への転身に伴いSMAPを脱退。同時にジャニーズ事務所も退所し、芸能界を引退した[注釈 2]。以降、解散まで20年間は5人で活動する。

1998年スガシカオが作詞を提供した「夜空ノムコウ」が自身初のミリオンヒットを記録。この曲は、メンバーと同世代(ロストジェネレーション)の社会人の心情を代弁したものと評されている。この曲が世評に合致してヒットすることにより、1990年代末にはSMAPは全世代の支持を受けることになる[3]

2000年、草彅主演のドラマ『フードファイト』の主題歌である「らいおんハート」が2度目のミリオンヒットを記録した[31]12月5日に木村が結婚、グループでは初、かつ、解散まで唯一の既婚者となる。

2001年、デビュー10周年を記念してコンサートツアーを実施。しかし、同年8月に稲垣が不祥事により芸能活動を自粛。以降、稲垣が復帰する2002年1月までコンサートツアーを含め、4人のみで活動することになった。

2002年、「SMAP'02 "Drink! Smap! Tour"」にて115万人を観客を動員し[32]、一度のツアーにおける観客動員数の日本国内最多記録を樹立した[32]

同年リリースの「世界に一つだけの花」は豊かな個性の喜びを謳った歌詞で、2003年放送の草彅主演のドラマ『僕の生きる道』の主題歌に起用された。急遽シングルカットしたCDの売上は、ダブルミリオン(解散時にはトリプルミリオン)の最大のヒットを記録する[33][34]。同年の『第54回NHK紅白歌合戦』ではグループとしては史上初めて大トリを務めた[35]

2005年、2年ぶりにコンサートツアーを行い、7月30日札幌ドームを皮切りにアーティストの単独公演としては初の国立霞ヶ丘競技場陸上競技場でコンサートを行った[31]。ツアー開始に合わせ、シングル「BANG! BANG! バカンス!」とアルバム『SAMPLE BANG!』を同時発売し、発売当日でシングル、アルバムともにランキング初登場1位を記録した。3人組以上のグループが同日発売のシングル・アルバムで同時に1位を記録するのは1993年のWANDS以来12年ぶりの記録であった。12月19日にはオリコン史上4組目となるシングル総売上2000万枚突破。『第56回NHK紅白歌合戦』では「Triangle」で2回目の大トリを務めた。

スマップ 2008 スーパー・モダン・アーティスティック・パフォーマンス・ツアー

2008年、日本人アーティストでは当時史上最長の東京ドーム6日間公演を行った[36]

2009年4月23日草彅の不祥事による芸能活動の自粛により、約1ヶ月間4人のみでの活動となった。

2010年9月、日本人史上初となる公演観客動員数1000万人突破を達成した[36][37]。同年から4年連続で紅白歌合戦の大トリを務める[注釈 3][38]

2011年9月、2度の延期を経て、北京で初の海外公演を開催[36]

2013年3月15日から期間限定でユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)とのコラボレーション・プロジェクト『UNIVERSAL STUDIOS JAPAN ✕ SMAP:WORLD ENTERTAINMENT PROJECT』を始動[39]、アトラクションのBGMとして同年2月27日発売のシングル曲「Mistake!/Battery」のオリジナルバージョンとリミックスバージョンが使用される[39]。翌2014年の4月18日、USJ初代大使として任命された[40]

2014年、フジテレビ系列『FNS27時間テレビ』において、初の5人での総合司会を担当した[36]

デビュー25周年を迎えた2016年、マネージャーの飯島三智と事務所のオーナーのメリー喜多川との間で確執が発生、一時はSMAPが分裂する危機に陥る[41][42]。この時は飯島が単身で芸能界を去ることで決着がついたが[43][44]、8月13日の深夜にFAXで解散が発表された[45][46]。解散の具体的な理由はメンバーの口からは語られず、特別番組や25周年の公演や解散発表に伴う記者会見などは行われなかった[47]。5人での最後の仕事は2016年12月26日の『SMAP×SMAP 最終回』で、12月31日付で解散した[48]

解散後も全員ソロタレントとしてジャニーズ事務所に籍を置いていたが、2017年9月8日に稲垣、草彅、香取の3人が退所[49] し、2017年9月22日付で元マネージャーの飯島が代表を務める株式会社CULENに所属することが明らかになった。それから2年半後に中居も2020年3月31日をもって退所し、直前の2月19日に設立した株式会社のんびりなかいに籍を移した[50]。以降、木村のみがジャニーズ事務所に残留している。


注釈

  1. ^ ジャニーズ事務所内にあって、ディスコ音楽を志向したのはユーロビート系のV6だった。
  2. ^ 脱退時22歳で、オートレースの養成学校に入れるのは23歳が上限であるため。
  3. ^ ただし、2013年は後に北島三郎が究極の大トリとして出演した。4年連続のトリの担当はMISIAと並んで2位タイ。(1位は美空ひばりの10年連続。)
  4. ^ 紅組トリ、白組トリのように大トリの前に歌唱。
  5. ^ 「がんばりましょう」(2回目)、「俺たちに明日はある」、「どんないいこと」を順に披露。
  6. ^ セロリ」、「ダイナマイト」を順に披露。
  7. ^ 「夜空ノムコウ」(2回目)、「freebird」を順に披露。
  8. ^ Dear WOMAN」、「弾丸ファイター」を順に披露。
  9. ^ 「そっと きゅっと」、「世界に一つだけの花」(2回目)を順に披露。
  10. ^ This is love」、「Triangle」(2回目)を順に披露。
  11. ^ not alone〜幸せになろうよ〜」、「オリジナル スマイル」を順に披露。
  12. ^ Moment」、「さかさまの空」を順に披露。
  13. ^ Mistake!」、「Joy!!」を順に披露。
  14. ^ ただし、後に北島三郎が究極の大トリとして出演した。
  15. ^ 「SHAKE」(2回目)、「世界に一つだけの花」(3回目)、「Top Of The World」を順に披露。
  16. ^ 「Triangle」(3回目)、「Otherside」を順に披露。

出典

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