電卓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/06 17:16 UTC 版)
歴史
電卓の歴史における重要なトピック
電卓の歴史の中で重要な点に、以下がある。
- トランジスタからIC、ICからLSIへと至る半導体の発展の歴史と歩調を合わせる形で、電卓の発展が進行した。
- 特に、従来のメインフレームやミニコンピュータの主流がTTLやECLであったのに対し、後にパーソナルコンピュータで多用されるようになるMOS ICの需要を先導した。
- 同時に1960年代後半から1970年代前半にかけて、電卓戦争と呼ばれる激しい価格破壊と技術革新による競争が行われた。
- 従来は、軍事・宇宙産業の需要や高価なコンピュータ向けの需要が中心であったICに膨大な民需をもたらし、半導体産業を一段と発展させるとともに、日本の半導体技術の向上にも影響を与えた。
- 電卓戦争の過程で、世界初のマイクロプロセッサであるインテル 4004が誕生した。
- 液晶や太陽電池が本格的に商業的に実用化された(シャープ)。
- 電卓の発展がその後の電子辞書や携帯情報端末 (PDA) に代表される携帯情報機器へとつながった。
- 低価格化が進みコモディティ化により、100円ショップ等でも販売されるようになった。
- 携帯電話やスマートフォンのアプリケーションソフトウェアに組み込まれ、組み込み機能の一部になった。
1960年代に登場した電卓は重量が20-30kgもある大型のものもあったが、その後、演算を行う素子を当初の真空管からトランジスタを経て集積回路へと世代交代させ、また表示装置も蛍光管やニキシー管から液晶パネルに置き換えることで急速にコンパクト化していった。1970年代前半には重量1kg程度で電池駆動も可能な電卓が現れ、1980年代になると太陽電池で駆動可能なカードサイズ大の超小型・超薄型の電卓も現れる。この時期はちょうど半導体産業が発展していく時期とも重なっている。
また、部品を小型化・高集積化することはコストを下げる効果もある。初期には軍事用など特殊な用途にしか使えなかったものも、次第に企業の業務用にも使えるものになり、さらには一家に一台、個人に一個という具合に身近に利用することのできる道具となった。この循環は、コンピュータや現在のパソコンにも見られる大きな要素である。
当初は個別の電卓製品毎に専用の集積回路を設計、製造していたが、日本計算器販売(のちのビジコン)がプログラマブルな電卓の開発を企図し、その過程でインテルがはじめて製作したマイクロプロセッサである4004が生み出された。その後、同社のプロセッサはパーソナルコンピュータのCPUとして、世界に大きな影響を与えることになった。
4004を用いた電卓はCPU、読み書き可能メモリ、プログラムを格納するROM、入力部であるキー、出力部である表示装置(およびプリンター)からなり、その構成はコンピュータそのものである。マイクロプロセッサを用いた電卓は、電卓に特化した専用のハードウェアを用いるのではなく、ハードウェアは汎用のものを利用し、プログラム(ソフトウェア)によって計算機の機能を実現している点で従来の電卓とは異なる。
1971年に電卓市場に価格破壊をもたらしたTIのTMS-0105は、同様の構成をチップに集積したもので、マイクロコントローラの初期のものである。
この意味では、電卓はそれまでコンピュータに縁のなかった人々が初めて身近に手にしたコンピュータ製品であるという側面も持っている。
電卓以前
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電卓以前の計算機械の歴史などについては計算機の歴史や機械式計算機の記事を参照のこと。ここではそれらであまり触れられていない点について述べる。
19世紀に機械式のキャッシュレジスターが発明され、店頭の代金の勘定のような簡単な処理が機械で行われるようになった。のちに電動化され、高級モデルは電動となる。
今日の電卓のような、ポケットに入る計算機器には、クルタのような特別に小型の機械式計算機の他に、そろばんや計算尺やen:Addiatorのような器具があった。
電卓と同程度のスペックの機械としては、電子式以前にリレー式のものがあった。日本では、カシオ計算機がまず機械電磁式の計算機を開発するが商品化には至らず[7]、その後1957年に完成させた14-Aが最初に商品化されたリレー式の計算機である。これは机程度の大きさであった。リレー式の計算機はその後、タイプライタと連動し伝票を打ち出す「作表計算機」TUC、計算手順を自動実行できるAL-1など、電卓登場以前の一時代を築いた[7]。
大井電気はパラメトロンを使った計算機[8](筐体の1辺が500mm程)を作っており、1963年夏に試作完成させている。
電卓の登場 - 1960年代前半
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1960年代に登場した電卓は、重量が15kgから20kg以上、消費電力も50Wから100Wを超える大型の卓上計算機だった。また、当時の物価からすると電卓はまだ高価なもので、1964年頃の製品は車1台分の値段だった。電卓は、1970年頃までは主に企業向けに販売された。1970年頃から激化した電卓戦争により価格が急激に下落し、個人でも手にすることのできる製品となった。
- 1963年 - 世界初の電卓 Anita Mark8(en)/英 Bell Punch and Sumlock-Comptometer(en)
- 1964年 - 日本の電卓元年。以下、特記あるものを除き、どれも(表示管などを除き)オールトランジスタである。
- 早川電機(現シャープ)がCS-10Aを3月に発表、6月に535,000円で発売した。これは当時の普及していた電動の機械式計算機が50万円台であり部長クラスの権限で決裁できる上限でもあったため、大きさと価格の目安となった。開発チームは安価なラジオ用のトランジスタを用いるなど工夫を重ねたものの、50万円を超えてしまった。しかし一割引(実売価格)なら50万を切るので目標達成ということになった[9]。テンキー式ではなく各桁毎に1~9の数字が並ぶフルキー方式だった。また、まだ試作品であったがソニーが MD-5 を新聞発表したのはCS-10Aのそれと同日であった[7]。なお、ソニーが「Sobax」として市場投入したのは1967年であった。
- 同年5月のビジネスシヨウではキヤノンと大井電気(これは前述のパラメトロン式)も展示している。
- キヤノンには社内にレンズの光学計算という需要があった[注釈 3]。前年に試作機を完成し、展示会で好評のため商品化に踏み切り、64年秋からCanola 130を販売した。同機は販売された電卓としては初となる[注釈 4]テンキー方式を採用し、現在に近い操作性をもっているのが大きな特徴である。
- 前述の大井電気のパラメトロン式計算機は1964年4月から販売された。高価格(80万円)で消費電力が大きい(300W)という問題もあり、3号モデルまで改良されたが撤退した[7]。
- 1965年 - カシオも電卓に参入、カシオ001型を9月に発売、380,000円。同社のリレー式計算機と同様の定数機能を持っており、電卓では初。カシオは「究極のリレー式」と言えるようなモデルの開発を進めていたが、同年5月に代理店を集めて発表した際の代理店担当者の失望を見て、急遽試作中の電子計算機を見せ[注釈 5]、切り替えを決断。3箇月で電子式を完成させ製品化した。
- 1966年7月 - 日本計算器販売(1970年ビジコンに社名変更)、Busicom 161発売。記憶にトランジスタを直接使うのではなく、コアメモリを採用することで298,000円の価格設定に成功。価格の安さで大ヒット商品となり、たちまち電卓市場の10%のシェアを確保するが、三菱電機のダイオードの供給によって制限がかかり、それ以上シェアが伸びなかった[10]。
- 電卓市場に価格破壊の第1波をもたらす。ビジコンは電卓の風雲児として名をはせることになった。その後も洗練されたポータブルなポケット電卓を登場させたり、インテルのマイクロプロセッサ4004の開発にも関わるなど、異彩を放った。
ICの採用、LSIの採用 - 1960年代後半
この頃は、名称もまだ一定していなかった。「電卓」という語については日本国語大辞典が1970年の用例を収録している[11]が、その一方で1970年代前半の製品でも「電子計算尺」「電子ソロバン」といった名称のものがあった[12]。
- 1966年 - IC を一部採用した電卓が現れる。
- 電卓の価格引下げと小型化には従来のトランジスタとダイオードを用いた製品では限界があり、ここで IC が注目されることになった。IC を採用することで、部品点数を減らし、コストを低減することが可能になった。このようにICやLSIに多くの機能を集積し、高機能化と小型化・低価格を進めていく考え方は、現在のパーソナルコンピュータでも生きている重要な考え方である。
- 1967年 - アメリカのテキサス・インスツルメンツが携帯型電卓Cal-Techを開発。
- ICを使用し、重量1.28kgと従来の電卓に比べて小型化した。このときは商品化されず試作にとどまったが、1970年10月にCal-Techをベースに改良したものがキヤノンから製品化された (Pocketronic)。
価格破壊の進行 - 1970年代前半
価格の下落とともに、電卓は企業で使用される業務用計算機から個人が所有する身近なツールへとすそ野を広げていった。また、この過程で世界初とされるマイクロプロセッサのひとつで、インテルのCPUのルーツである4004、マイクロコントローラの先祖とされるTIのTMS0100シリーズ[13]、フェアチャイルドPPS25などが誕生している。
- 1969年 - シャープが世界初のLSI電卓Micro COMPET「QT-8D」を開発。
- LSI4個、IC2個、幅135mm、奥行247mm、厚さ72mm、1.4kgで構成された(電池駆動はできない)。価格も99,800円と10万円を切ったことで、当時、爆発的なヒット商品になった。同時期はアメリカでアポロ宇宙船が人類初の月面着陸を実現した頃で、アポロ宇宙船に搭載された機器の集積回路に採用されたMOSをQT-8Dも使用したので、「アポロが生んだ電子技術」というキャッチフレーズがついた。このLSIの製造はロックウェル・インターナショナルが担当した。
- 1971年1月 - ビジコン ワンチップポケット電卓「BUSICOM LE-120A」発売。
- 1971年 - 電卓戦争が激化、価格破壊の波が押し寄せる。
- 米テキサス・インスツルメンツ (TI) のLSI「TMS-0105」[13]を採用した電卓が登場した。TMS-0105は、4ビットMPUとメモリであるRAMやプログラムを格納するROMをワンチップ化したものに電卓用のプログラムを搭載したもので、マイクロコントローラの祖先にあたる。キー入力処理から演算、表示制御までを1つのLSIでこなせる製品だった。このため、ちょっとした製造技術があれば、キーと表示装置と電源をつけることで簡単に自作の電卓が作ることができるようになった。このLSIの登場で、電卓の組み立てと販売だけを手がけるメーカーが乱立し、同年の市場一覧(1972年版日本事務機械年鑑)では、33メーカー・36ブランド・210機種が出されたとされる[14]。そのため、電卓の価格は一気に半減し、電卓市場の価格破壊が進んだ。
- 例えば、同年5月、立石電機(現在のオムロン)が他社で89800円で販売していた機能を49800円で実現した「オムロン800」を発売し「オムロンショック」と呼ばれ[15]、すかさずシャープが「EL-801」を39800円で、カシオが「AS-8D」を38800円で発売というデットヒート状態であった[16][17][18]。
- 1971年10月 - ビジコン 141-PF発売。
- 1972年 - ヒューレット・パッカード HP-35。
- ポケット関数電卓。この年カシオも同社初の関数電卓FX-1を発売(ポケットサイズではないが)。関数電卓により、機械式計算機に続き計算尺も置き換えられてゆくことになる。
- 1972年8月 - カシオ カシオミニ、12,800円。
- スクロール可能な6桁表示12桁計算で低価格に抑え、パーソナル向けで大ヒットした。電卓の価格破壊とパーソナル化を象徴する製品。発売から1年5ヶ月ほどの間に200万台販売し、電卓は個人でも手軽に手にすることのできる時代となった。この後も、電卓の価格破壊は進み、1975年には5,000円を下回るようになった。この間に価格下落に伴うメーカーの撤退や倒産が相次ぎ、市場淘汰が進んだ結果、シャープ、カシオなど主だったメーカーに集約された。
高付加価値化 - 1970年代後半
価格下落が一段落してくると、価格競争とは別に使い勝手をよくする高付加価値化の方向でさまざまな試みが行われ、実用化されていった。液晶の採用、超小型化・薄型化(カードサイズ電卓)、太陽電池の採用、高機能化(電子辞書、電子手帳、後には携帯情報端末(PDA)へと発展した)などがある。
- 1971年 - ビジコンが世界初の液晶表示を採用したLC-120を1月に発表。しかし液晶の安定化に手間取り、製品化されることはなかった。
- 1972年 - ビジコンがLE-120Gを発売。ハードウェアはLE-120Aと同等仕様だが、筐体に純金メッキを施した装飾品として販売された。このころから装飾としての付加価値をビジコンは模索していたらしく、同年三越デパート向けにLE-120Tという円形の装飾電卓を「はんさむこんぴゅうたぁ」という愛称で発売している。
- 1973年 - シャープで、鷲塚諫を中心とするグループが、液晶を表示装置に使った本格的な電卓、EL-805「エルシーメイト」を開発、商品化。
- この電卓は195g と、初期の20kg-30kg もある電卓や1970年頃の1kgぐらいのポータブル電卓の時代から比べても一段と小型軽量化した。また、低消費電力化が進み、電池(単3電池)で連続使用100時間もの長時間駆動ができるようになっていた。
- 1974年 - プログラム可能な電卓 HP-65。
- 1976年 - 太陽電池を搭載した電卓が現れる。
- シャープ EL-8026。こちらは、充電式のボタン電池と併用するタイプの電卓。その後、太陽電池だけで駆動可能な電卓も現れた。
- 1976年 - 米テキサス・インスツルメンツ (TI) TI-30 25$
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- 世界で最も多く販売された電卓と紹介されている。電圧 9V で駆動する関数電卓。→ en:TI-30(Wikipedia英語版)
- 1976年 - テキサス・インスツルメンツが電卓型の児童向け学習計算機「リトル・プロフェッサー」を発売。日本ではエポック社が「算数メイト」、シャープが「さんすう博士」として発売し、一定の成功を収めた。
- 超小型、薄型の電卓の登場。
- 1978年 - カシオ 名刺サイズ電卓「カシオミニカード」(LC-78) 発売。厚さ3.9mm、
- 1979年 - シャープ EL-8152。36g、厚さ 1.6mm。
- 1985年には厚さ0.8mm、重さ11gの電卓も出ている。すでに実用上の限界の域に到達した。
- 1980年 - カシオ MG-880「デジタルインベーダー」で「ゲーム電卓」のジャンルを新たに築く。当時の電子ゲーム流行の波に乗り、大手電卓メーカーから多数のゲーム電卓がリリースされた。
- 高機能化
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ポケットコンピュータとグラフ電卓の登場 - 1980年代
![](https://weblio.hs.llnwd.net/e7/redirect?dictCode=WKPJA&url=https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2F9%2F9f%2FPC_1210.jpg%2F220px-PC_1210.jpg)
関数電卓とプログラム電卓はさらに進化して、ポケットコンピュータやグラフ電卓に進化した。
ポケットコンピュータは QWERTY配列キーボードを搭載し、高級言語 BASIC が使えるため、プログラム電卓よりもプログラミングが容易であった。そのため、PCが普及する前はよく使われていた。
グラフ電卓はプログラム電卓にグラフを描画する機能が追加されたものである。プログラミング可能であるが、QWERTY配列キーボードを搭載しているものは少数派である。アプリケーションのインストールが可能だったり、CAS(数式処理システム)を搭載したものもある。タッチパネルを搭載したものまである。
- 1980年にSHARPが世界最初のポケットコンピュータPC-1210/1211を発売した。
- 1985年に世界初のグラフ電卓 CASIO fx-7000G が登場した。その後、各社が後を追った。
現代 - 1990年代以降
普通電卓と事務用電卓に関しては、完全にコモディティ化する。
- コンピュータのソフトウェアに「電卓」が現れる。小物アプリケーションとして、GUI環境のデスクトップという「卓上」で使われる。またそれにより携帯情報端末など持ち運べるコンピュータが電卓代わりになる。
- 携帯電話端末にも電卓機能を備えるようになった。
- オフィス等において表計算ソフト等を使う機会が増え補助的に使われることが多くなりマウス、テンキー機能を搭載したものが発売されるようになった。
- 低価格化が進み日本メーカーでは海外生産品がほとんどとなり、100円ショップなどでもソーラー電池搭載モデルが販売されるようになった。
PCの普及によりポケットコンピューターは衰退していった。工学向けのグラフ電卓も同様に衰退していった。
しかし、テキサス・インスツルメンツは自社初のグラフ電卓 TI-81(1990年)を教育向けに作ることによって活路を見出した。
- 1995年 ヒューレット・パッカードが自社最初の教育向けグラフ電卓 HP 38G を発売した。
- 2004年 テキサス・インスツルメンツが教育向けグラフ電卓 TI-84 Plus を発売し、アメリカ合衆国のグラフ電卓市場を独占し、莫大な利益を稼ぐようになる。
グラフ電卓の目的は工学から教育に方向転換を余儀なくされたが、その流れについていけなかったシャープはグラフ電卓から撤退した。 ヒューレット・パッカードは工学向けと教育向けの二足のわらじを履いた結果、シャープ同様にその流れについていけなくなり、2017年現在は HP Prime しかグラフ電卓を発売していない。現在のグラフ電卓市場はテキサス・インスツルメンツとカシオの2社がほとんどを占めている。
注釈
- ^ 以前は他の分類に相当するモデルにもあったが、近年はキヤノンのKS-Smart(既に絶版の旧モデル。現行のKS-Smart Liteは通常の方式)のような例外を除き、ほとんど見られない。
- ^ カシオの1970年代の機種(F-2など)は、取扱説明書には「加算機」と「器」ではなく「機」と表記されていた。
- ^ ただし、レンズの光学計算は何本もの光線について高精度の計算を必要とするため、ボタン操作のミス等を考慮すれば、単独回の演算のみが電子化されただけの手動計算機である電卓をその主力とすることは考えにくい。実際に、同社内の光学計算用には、当時製造販売が始まっていた大型のコンピュータが導入されている。
- ^ 前述のように電卓以外の計算機では既にテンキー方式のものは存在するため、「初のテンキー式計算機」などとするのは正しくない。また、ショー展示のみのものを含めればソニーMD-5がある。
- ^ 「~系統化調査」では無事に動いたとしているが、「~かく戦えり」では表示が点いたり消えたりと散々だったとしている
出典
- ^ 『電卓』 - コトバンク
- ^ “Amazon | アスカ(Asmix) 消費税電卓(S) シルバー C1226S | ビジネス電卓 | 文房具・オフィス用品”. www.amazon.co.jp. 2020年8月12日閲覧。
- ^ “ビックカメラ.com - W税率計算対応電卓 Asmix ホワイト C1244W [W税率対応 /12桁]”. ビックカメラ.com. 2020年8月12日閲覧。
- ^ 関数電卓マニアの部屋
- ^ 職種別専用計算電卓
- ^ “このボタンは何?意外と知らない電卓機能と活用方法 | 企業のお金とテクノロジーをつなぐメディア「Finance&Robotic」”. www.robotpayment.co.jp. 2020年8月12日閲覧。
- ^ a b c d 産業技術史資料情報センター「電子式卓上計算機技術発展の系統化調査」(PDF)
- ^ “Parametron, Chronology”. The History of Computing Project (2000年9月29日). 2008年11月18日閲覧。(英語)
- ^ 液晶電卓開発物語|液晶の世界:シャープ
- ^ NHKスペシャル 『電子立国日本の自叙伝』 第4回 「電卓戦争」
- ^ 日本国語大辞典が示している用例は、加藤秀俊『生きがいの周辺』より
- ^ 『愛しの昭和の計算道具』 p. 178
- ^ a b Texas Instruments Calculator Chips (Calculator Technical Information)
- ^ 『電子立国日本の自叙伝・下巻』日本放送出版協会、1992年2月20日、333頁。
- ^ 『電子立国日本の自叙伝・下巻』日本放送出版協会、1992年2月20日、344頁。
- ^ 『日本の半導体開発-超LSIへの道を拓いた男たち-』ダイヤモンド社、1981年12月17日、204頁。
- ^ “OMRON desktop calculator”. 2022年12月15日閲覧。
- ^ “市民生活の革新をめざして|オムロンの歴史|会社案内|オムロン”. 2022年12月23日閲覧。
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