ヘルベルト・フォン・カラヤン
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日本とカラヤン
日本との関係は古く、1954年の初来日以降、11回来日している。日本でのカラヤンの人気は高く、指揮者の代名詞としてクラシック・ファンのみならず一般大衆もその認知するところであった。中でもカラヤンの『運命』と『未完成』をカップリングしたLPは、カラヤンの死去時点で、日本で約150万枚を売り上げた[29][30]。
音楽の映画化やビデオ化にも強い関心を示した。1970年に来日した際にはソニーと記者会見を行い、カラヤンが製作する音楽ソフトのビデオ化に協力していくことを発表している[31]。家庭用ビデオデッキであるベータマックスが製品化される5年前の出来事である。
カラヤンは、東京・赤坂にある日本有数のコンサートホールとされるサントリーホールの建設にも設計の段階から携わっている。サントリーホール大ホールは、カラヤンとベルリン・フィルの本拠地であったベルリン・フィルハーモニーをモデルにしており、両ホールはヴィンヤード型と呼称されるタイプのコンサートホールである。サントリーホール建設時の業績を称えて、サントリーホール前(アーク森ビル)の広場が「カラヤン広場」と命名され、今日もその名を刻んでいる。サントリーホールのオープニングを祝う来日公演は、病気でキャンセルを余儀なくされ、弟子である日本人指揮者小澤征爾に代役がゆだねられた。
来日公演
NHK交響楽団
ベルリン・フィル
- 1957年11月3日 - 11月22日。日比谷公会堂、東京体育館などで公演。最終日の22日(於東京体育館)の後半の演目であるベートヴェンの交響曲第5番「運命」では、NHK交響楽団との合同演奏も実施した。
- 1966年4月12日 - 5月3日。東京文化会館などで公演。
- この時、公演の一部がNHK-FMにてステレオ放送される(そのうち、東京の7公演は全て生放送された。この時、生放送でステレオで聴けた地域は関東、静岡、甲信越のみだった)。また、ラジオ、テレビ(白黒のみ)での放送も多く、「テレビ放送ではカラヤンをもっと写せという視聴者の声が殺到した」という記事で週刊誌まで賑わすほどで、「カラヤン・ブーム」を巻き起こしたという[32]。この公演より、放送条件の契約事項として、放送されたビデオ・テープは放送後全て、前述のコスモテル社に返却されることとなる。しかし、この時収録されたもののうち、ベートーヴェンの『コリオラン』序曲のみは後に教育テレビ『1966年音楽ハイライト』でも放送され、その際保存用として残していたキネレコ映像が唯一NHKアーカイブスに残されていたため、この映像と音声はDVD化された[32]。
- 1970年5月8日 - 5月22日。東京文化会館、日比谷公会堂、フェスティバルホールで公演。
- 1973年10月25日 - 11月4日。NHKホール、フェスティバルホールで公演。
- 1977年11月6日 - 11月18日。フェスティバルホール、普門館で公演。
- 普門館ではベートーヴェンの交響曲ツィクルスを行ったが、これはカラヤンの生涯最後のベートーヴェン・ツィクルスだった。
- 1979年10月16日 - 10月25日。普門館で公演(この全公演の内5回の公演を、NHKがPCMデジタルにて収録した)。
- 1981年10月28日 - 11月8日。東京文化会館、NHKホールで公演。
- TBSにより、来日公演の様子がテレビ中継された。
- 1984年10月18日 - 10月24日。東京文化会館、普門館、ザ・シンフォニーホールで公演。
- (1986年10月28日 - 10月30日。サントリーホール・オープニングコンサートの一環)
- 10月28日 サントリーホール
- 10月29日 サントリーホール
- 10月30日 サントリーホール
- モーツァルト:ディヴェルティメント第17番
- ブルックナー:交響曲第9番
- 1988年4月29日 - 5月5日。ザ・シンフォニーホール、東京文化会館、サントリーホールで公演。
- 4月29日 ザ・シンフォニーホール
- 4月30日 ザ・シンフォニーホール
- 5月2日 サントリーホール
- 4月29日の公演に同じ
- 5月4日 東京文化会館
- ベートーヴェン:交響曲第4番
- ムソルグスキー~ラヴェル編:組曲『展覧会の絵』
- 5月5日 サントリーホール
- モーツァルト:交響曲第39番
- ブラームス:交響曲第1番
- 東京公演がNHK-FMで生放送された。その3公演は、NHKのマスターテープを元に2008年にCD化されている。
ウィーン・フィル
- 1959年10月27日 - 11月7日 当時のNHKホール(内幸町)、日比谷公会堂、フェスティバルホールなどで公演。
- この時の一部公演が、NHKエンタープライズよりCDまたはDVD化されている。
- ウィーン・フィルとの来日公演はこの時だけ。1990年2月に、東京と大阪での計4回予定されていた来日公演(『レコード芸術』1989年8月号)は、死によって幻となった。
- ^ 現代の発音では「ヘアベアト」または「ヘアバート」に近い[1]。
- ^ 1933年4月8日、ザルツブルクにおいて当時オーストリアでは非合法政党だったナチスへの入党手続きをとった。ナチスの党員簿によると、最初の入党後カラヤンは行方不明扱いとされ、最初の党員番号は抹消されており、同年5月1日にウルムで再入党している。当時のことを後年「私にとってナチス党員になることはスキークラブの会員になる程度の感覚だった」と述懐している。戦後の非ナチ化審理の際、カラヤンは1935年、アーヘン市立歌劇場のポスト就任と同時に入党と申告しているが、なぜ非ナチ化委員会でカラヤンの申告が不問にされたかは謎に包まれている。ただし、リチャード・オズボーン著の伝記では「戦後の時代に誤った情報が多く流された」とされており、議論の前提となる資料に多くの誤りがあったと述べられている。
- ^ 音楽評論家の岩井宏之は「カラヤンは、いかにもスマートで美しい響きを生み出していたものの、作品の中に込められている作曲家その人の、あるいは当の作曲家が生きていた時代の"切なさ"を十分に表出するには至らず、したがって聴き手の心に迫ってくる力が弱かった。(中略)カラヤンがオーケストラに対すると、どんな作品であれ、美しく響かせること自体を目的にしているような趣があり、それが私には不満だった」と述べている[18]。
- ^ 同時期に活躍したカール・ベーム、オイゲン・ヨッフム、ヨーゼフ・カイルベルトといったドイツ系指揮者はドイツ系の作曲家以外のレパートリーの比率は非常に低かった。
- ^ “Herbert von Karajan の発音”. Forvo. 2021年12月11日閲覧。
- ^ 田中, 泰「「楽壇の帝王」カラヤンが今でも愛されるワケ あえて「好き」とは言いにくいほどの人気ぶり」『東洋経済オンライン』、2018年3月24日、1面。2021年12月11日閲覧。
- ^ 学習研究社『カラヤン名演集〈1〉田園・未完成・悲愴 (学研CDブック)』目次より
- ^ a b 帰徳書房 1979
- ^ Binder, David. Vlachs, A Peaceful Balkan People in Mediterranean Quarterly - Volume 15, Number 4, Fall 2004, pp. 115-124
- ^ “Karl-Markus Gauß Európa szétszórt népei” (ハンガリー語). scripta. 2021年12月11日閲覧。
- ^ Rockwell, John「'GENERAL MUSIC DIRECTOR OF EUROPE'」『ニューヨーク・タイムズ』、1986年6月22日。2021年12月11日閲覧。
- ^ “The Great Conductors: Herbert von Karajan (1908-1989)” (英語). Amazon.com. 2007年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年12月11日閲覧。
- ^ “Herbert Von Karajan-Karajan Family” (英語). A tribute site to the great Austrian conductor Herbert von Karajan (1908-1989). 2021年12月11日閲覧。
- ^ Lapajne, Branka「The Shared Slovenian Ancestors of Herbert von Karajan and Hugo Wolf」『Canada Free Press』、2008年4月4日。2021年12月11日閲覧。
- ^ 帰徳書房 1979, p. 94
- ^ “30 March: Sabine Meyer Was Born”. interlude.hk. interlude.hk (2022年3月30日). 2022年6月10日閲覧。
- ^ “日経ビジネスが描いた日本経済の40年 大賀氏”. ameblo.jp. canal-cafe (2009年10月28日). 2022年6月10日閲覧。
- ^ 『レコード芸術』1989年8月号
- ^ エンドラー 1994
- ^ オペラの歌唱部分や合唱曲を指揮する時は全盛期でも目を開けて指揮しており、これは残された映像で確認できる。
- ^ ドイツ『シュテルン』誌、1981年8月20日号
- ^ カール・ベーム指揮ウィーン交響楽団・ハイドン『四季』のCD <POCG-2328/9>のライナーノート、5頁
- ^ “Karajan conducts Beethoven 5th Symphony”. www.youtube.com. www.youtube.com. 2022年6月10日閲覧。
- ^ “盤渉調「音取」と盤渉調「越天楽」によるピアノのための主題と変奏”. shop.zen-on.co.jp. 全音楽譜出版社. 2022年6月10日閲覧。
- ^ 山崎浩太郎『レコード芸術』2000年10月号
- ^ a b c Siep, Lena. “ヘルベルト・フォン・カラヤン”. ポルシェ. 2021年12月11日閲覧。
- ^ “ヨーロッパ屈指のゲレンデで冬を満喫したリヒャルト・シュトラウスとカラヤン”. ontomo-mag.com. ontomo-mag.com. 2022年6月9日閲覧。
- ^ a b c d 眞鍋圭子『連載インタビュー「カラヤンの真実」』(インタビュー)、ユニバーサル ミュージックジャパン、2014年8月25日 。2021年12月11日閲覧。
- ^ 扶桑社『モーストリー・クラシック』2008年6月号
- ^ Ferruccio Furlanetto(英語)『Ferruccio Furlanetto talks Von Karajan』(インタビュー)、San Diego Reader、2014年5月1日 。2021年12月11日閲覧。
- ^ a b 野宮珠里「「新芸」とその時代(36) 「トラ」たちの回想……カラヤン&ベルリン・フィル公演Ⅳ」『毎日新聞』、2018年4月14日。2021年12月11日閲覧。
- ^ 松山, 明人「SHM-CD クラシック盤について」(PDF)『JASジャーナル』第48巻第10号、日本オーディオ協会、2008年、4-8頁、2021年12月11日閲覧。
- ^ 『朝日新聞』1989年7月17日付朝刊、21頁。
- ^ 『AERA』1989年8月1日付。
- ^ 「ビデオ・カセットに カラヤン、ソニーと協力」『朝日新聞 朝刊』、1970年5月23日、12版、23面。
- ^ a b c d 「KARAJAN 100th Anniversary Box」の解説書より
- ^ 眞鍋 2009
- ^ 小松 2008, p. 125
- ^ “第8章 「レコードに代わるものはこれだ」 <コンパクトディスク>”. ソニーグループについて. ソニーグループ. 2021年12月11日閲覧。
- ^ 小松 2008, p. 126
- ^ 「歌舞伎の型 とは?世界的指揮者カラヤンも感動!」『和樂web』、2018年6月5日。2021年12月11日閲覧。
固有名詞の分類
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ナチ党員 |
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