日本とカラヤン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 14:06 UTC 版)
「ヘルベルト・フォン・カラヤン」の記事における「日本とカラヤン」の解説
日本との関係は古く、1954年の初来日以降、11回来日している。日本でのカラヤンの人気は高く、指揮者の代名詞としてクラシック・ファンのみならず一般大衆もその認知するところであった。中でもカラヤンの『運命』と『未完成』をカップリングしたLPは、カラヤンの死去時点で、日本で約150万枚を売り上げた。 音楽の映画化やビデオ化にも強い関心を示した。1970年に来日した際にはソニーと記者会見を行い、カラヤンが製作する音楽ソフトのビデオ化に協力していくことを発表している。家庭用ビデオデッキであるベータマックスが製品化される5年前の出来事である。 カラヤンは、東京・赤坂にある日本有数のコンサートホールとされるサントリーホールの建設にも設計の段階から携わっている。サントリーホール大ホールは、カラヤンとベルリン・フィルの本拠地であったベルリン・フィルハーモニーをモデルにしており、両ホールはヴィンヤード型と呼称されるタイプのコンサートホールである。サントリーホール建設時の業績を称えて、サントリーホール前(アーク森ビル)の広場が「カラヤン広場」と命名され、今日もその名を刻んでいる。サントリーホールのオープニングを祝う来日公演は、病気でキャンセルを余儀なくされ、弟子である日本人指揮者小澤征爾に代役がゆだねられた。
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