日本とジーコ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 04:09 UTC 版)
初来日 1990年に住友金属に入団する前からフラメンゴの選手として1981年のトヨタカップ、1986年のキリンカップで来日、1989年にも日本で開催されたワールドウドマスターズサッカーでもプレーするなど日本とは縁があった。現在は日本を「第二の故郷」とコメントするほどの親日家であり、来日した時は飛行場で必ず「タダイマ」と挨拶をする。大きな影響力を持つ母国ブラジルでは、そのおかげで日本がリスペクトされるようになり、「ジーコによって日本の印象は変わった」と言われている。 2011年6月に来日した際、「長男の妻は日系人」であることを明かし、自身の孫が日本人の血を引くことに「日本との関係がさらに深くなるのは嬉しいこと」と語っている。 愛車 1981年トヨタカップのMVP副賞で獲得した1983年型トヨタ・セリカ(セリカ2.0 GT)を2021年現在まで40年近くに渡り大切に保有している。1981年型でないのは、当時不況が深刻なブラジルは外国製品に対して厳しい輸入制限を設けていて納車が1983年になったためである。 日本代表監督時は、日本代表のスポンサーに日産自動車が入っている関係で、同社が日本サッカー協会へ寄贈したシーマのステアリングを自ら握っていることもあった。2006年からはフーガに変わった。 2015年、日本とブラジルの外交関係が樹立して120周年を迎えるにあたり、在リオデジャネイロ日本総領事館より親善大使に任命された。
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