麻実れい
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/09 07:42 UTC 版)
あさみ れい 麻実 れい | |||||||||||
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本名 | 信元 孝子(のぶもと たかこ) | ||||||||||
生年月日 | 1950年3月11日(74歳) | ||||||||||
出生地 | 東京都千代田区 | ||||||||||
血液型 | O | ||||||||||
職業 | 女優 | ||||||||||
ジャンル | 宝塚歌劇団・演劇・テレビドラマ | ||||||||||
活動期間 | 1970年 - | ||||||||||
活動内容 |
1970年:宝塚歌劇団入団 1971年:星組に配属 1972年:雪組に異動 1980年:雪組トップスター就任 1985年:宝塚歌劇団退団 1996年:読売演劇大賞最優秀女優賞受賞 2000年:菊田一夫演劇賞受賞 2001年:毎日芸術賞受賞 2006年:紫綬褒章受章 2011年:読売演劇大賞最優秀女優賞(2度目)の受賞 | ||||||||||
配偶者 | 信元久隆(1995年 - ) | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
宝塚歌劇 『ベルサイユのばら-アンドレとオスカル-』 『星影の人』 『あかねさす紫の花』 『風と共に去りぬ』 『ジャワの踊り子』 『うたかたの恋』 舞台 『シカゴ』 『マクベス』 『ハムレット』 『蜘蛛女のキス』 『黒蜥蜴』 『冬のライオン』 映画 『十五才 学校IV』 | |||||||||||
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来歴
1968年3月、東京家政学院高等学校卒業。同年4月、宝塚音楽学校入学。1970年、56期生として宝塚歌劇団に入団。同期には萬あきら、条はるき、東千晃(元星組トップ娘役)、小柳ルミ子(当時は夏川るみ)らがいる。雪組公演『四季の踊り絵巻/ハロー!タカラヅカ』[1]で初舞台を踏み、翌年3月8日[1]、星組に配属。入団時の成績は70人中35位[1]。
1972年、『花の若武者』新人公演にて主役・鬼若(若き日の弁慶)に大抜擢。研3(宝塚用語で「入団3年目」をさす)での新人公演主演は当時の新記録[2]だった。同年、雪組に組替え。
1975年、入団6年目にして『ベルサイユのばら-アンドレとオスカル-』でアンドレ役に抜擢され、美貌の長身男役スターとして人気を博す。後に二番手男役スターに昇格し、翌1976年には『星影の人』で土方歳三を、1977年には『あかねさす紫の花』で中大兄皇子を演じ、自身の代表作となった。
1978年、『風と共に去りぬ-スカーレット編-』にてレット・バトラーを演じ、人気を決定付ける。当時の雪組トップスター汀夏子には固定の相手役がおらず、二番手の麻実とよく組んでいた為「男役同士のコンビ」(汀談)[3]と呼ばれた。
1979年、宝塚バウホールにて自身のリサイタルとなる『愛の飛翔』に主演。この作品は1984年まで『愛の飛翔II』『愛の飛翔III』とシリーズ化される作品となる。
1980年、汀の退団に伴い、雪組トップスターに就任。お披露目公演は『花の舞拍子/青き薔薇の軍神-アンジェリクII-』。相手役は星組より遥くららを迎え、抜群の美貌と華・息の合った演技でゴールデンコンビと謳われた[4]。
1983年、クロード・アネ原作の『うたかたの恋』にて自身が熱望したルドルフ皇太子を演じ、この作品は現在まで再演され続ける名作となる。
1984年、再演『風と共に去りぬ』で再びレット・バトラーを演じるも、相手役・遥はこの作品限りで退団。麻実は新しい相手役を特定せず空位としたまま、次作『千太郎纏しぐれ/フル・ビート』公演中に退団を発表。
1985年4月30日[1]、『花夢幻/はばたけ黄金の翼よ』の東京公演千秋楽を最後に退団。この公演では、相手役を入団4年目だった一路真輝(当時は一路万輝)が務めた。
退団後は女優として、舞台演劇をメインに活動。1995年にはタイトルロールを演じた『ハムレット』で10年ぶりに男役を演じ、第3回(1996年度)読売演劇大賞最優秀女優賞を受賞[5]。その後2011年には『黒蜥蜴』で再び同賞を受賞している[6]。
2001年には初出演した映画『十五才 -学校IV-』にて第24回日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞し[7]、2002年には毎日芸術賞を受賞するなど、女優としての地位を確立している。
2014年、古巣・宝塚歌劇団創立100周年を記念して設立された『宝塚歌劇の殿堂』最初の100人のひとりとして殿堂入りを果たした[9][10]。
人物・逸話
- 東京の神田明神界隈で刀剣金具製造業(鍔など)の父のもと三人姉妹の末子として生まれる。幼稚園時からバレエを習い、高校3年生の時に宝塚ファンであった姉達の勧めで音楽学校を受験し合格した[12]。
- 宝塚歌劇団退団直後の1985年8月12日、日本航空123便に搭乗する予定だったが、搭乗前の仕事が早く終わったため、1便早い飛行機に振り替えてその墜落事故の難を逃れた[13][※ 1]
- 私生活では、1995年7月に曙ブレーキ工業株式会社の会長・信元久隆と結婚。信元は再婚であり前妻とは死別している。
- 1984年の『風と共に去りぬ』で退団することを決めていたが、偶然にも相手役の遥も退団を決めており、退団の意思を遥が先に切り出した為、「雪組の二本柱が同時に出てしまうと土台ががたついてしまう」という理由で一旦自分の退団予定を取り下げた。遥を送り出した後は「多数の若手娘役たちと組んだりして成長させてあげたい」という意思があり、後任の相手役を決めなかったという[14]。
注釈
出典
- ^ a b c d 監修:小林公一『宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて(人物編)』阪急コミュニケーションズ、2014年4月1日、80-81頁。ISBN 9784484146010
- ^ 華麗なる卒業生たち#2「麻実れい」番組内にて紹介
- ^ 『毎日グラフ別冊 タカラヅカよ永遠に!』毎日新聞社発行、1984年6月30日発行、41頁
- ^ 朝日新聞 2014年1月1日付 別刷り紙面 2頁 大阪本社発行
- ^ 演劇大賞 過去の受賞作 第3回
- ^ 演劇大賞 過去の受賞作 第18回
- ^ 第24回日本アカデミー賞優秀作品助演女優賞欄参照
- ^ “平成18年秋の褒章受章者 東京都” (PDF). 内閣府. p. 2 (2006年11月3日). 2007年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月13日閲覧。
- ^ 村上久美子 (2014年1月11日). “宝塚が八千草薫ら殿堂100人を発表”. 日刊スポーツ 2023年2月23日閲覧。
- ^ 『宝塚歌劇 華麗なる100年』朝日新聞出版、2014年3月30日、134頁。ISBN 978-4-02-331289-0。
- ^ “令和4年度 日本芸術院会員候補者の決定について”. 日本芸術院 (2023年2月22日). 2023年2月23日閲覧。
- ^ 『宝塚グラフ』1983年5月号、宝塚歌劇団発行、44-45頁
- ^ 由美子へ・取材ノート 第19章 レクイエム(ベルばらkidsわ〜るど 宝塚プレシャス 2007年8月14日)
- ^ 宝塚 DREAM FOREVER-100周年、そして、輝ける未来へ-#22「麻実れい」番組内で本人が発言
- ^ “ケラリーノ・サンドロヴィッチ新作舞台のキャスト発表 麻実れい「すてきな予感がする」”. ORICON STYLE (2015年11月12日). 2015年11月12日閲覧。
- ^ “黒柳徹子主演海外コメディー・シリーズ最新公演は、麻実れいを迎え『レティスとラベッジ』を上演”. シアターガイド (2016年2月15日). 2016年2月16日閲覧。
- ^ “三浦春馬&大島優子が初共演 ドストエフスキー原作舞台『罪と罰』来年上演”. CINRA.NET. (2018年6月7日) 2018年6月7日閲覧。
- ^ “3世代のゲイの人々描く6時間半、熊林弘高演出「インヘリタンス-継承-」に福士誠治ら”. ステージナタリー (ナターシャ). (2023年9月11日) 2023年9月11日閲覧。
- ^ “越路吹雪37回忌、トリビュートアルバム&メモリアルコンサートに宝塚OGら”. ステージナタリー. (2016年10月26日) 2016年10月26日閲覧。
- ^ 『官報』号外第230号、令和2年11月4日
- ^ “令和2年秋の叙勲 旭日小綬章等受章者 東京都” (PDF). 内閣府. p. 1 (2020年11月3日). 2023年5月28日閲覧。
固有名詞の分類
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