速記 歴史

速記

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/24 13:54 UTC 版)

歴史

その起源に関しては定説が成立していないが、古代ローマ以前に遡ることができるとされ、紀元前400年代の古代ギリシアの碑文に速記が発見されている。

記録としてはっきりしている有名なものとしては、紀元前63年キケロによるカティリナ弾劾演説の記録である。キケロの奴隷であったマルクス・トゥッリウス・ティロが記したものとされ、ティロの速記と称される。当時の速記者にはティロのような知的奴隷が充てられていた。ティベリウス帝は満足な速記ができなかった速記官の指を切り落としたという記録がある。またローマ法のなかには速記を禁止された演説を速記した者は右手を切り落とすという刑罰が定められていた。しかし当時のものは体系化されておらず、学習に大きな困難を伴うため、次第に衰勢となった。

その後、理論的体系的に捉えるようになり、次項以下で紹介する各国においてそれぞれの言語で考案、改良されて現在に至っている。

符号をで書くペンショートハンドのみが長らく行われてきたが、速記専用タイプライターが開発され、それを用いた機械式も普及していく。近年はコンピュータを用いての電子機械速記法が行なえるようになり、リアルタイム字幕放送などに使用されている。

発言の逐語記録を作成する用途を担ってきたが、リアルタイム反訳により、聴覚障害者等を含めて、コミュニケーション手段としての機能を持つに至っている。

英語の速記

1175年ジョンの記号まで遡ると言われるが、近代速記としての速記理論を提案したのはジョン・ウィリスである。1602年、『速記術』(Art of Stenography) を出版し、stenography(速記)という造語を行い、線状速記の使用や、表音的な筆記法、母音表記のためのポジショニング等を提唱し近代速記の父と呼ばれている。

このウィリス式を発展させ、シェルトン式(1626年)やガーニー式(1750年)、テーラー式等が考案されていった。そして1837年に登場したのがピットマン式英語版である。ピットマン式はテーラー式を学んだアイザック・ピットマンがより高速で速記ができ、学習性に優れた速記法として考案したものである。

一方アイルランドでは、ジョン・ロバート・グレッグがテーラー式、ピットマン式、そして仏独の速記法を学び、イギリスで主流であった正円幾何派とドイツの草書派を融合させ、更にフランスのサイン符号をも取り入れたグレッグ式英語版1888年に考案した。

ピットマン式、グレッグ式は今日でも英語圏で使用される主要な速記の地位を占めている。

ドイツ語の速記

ドイツの速記の特徴は草書派と称される、筆先の動きを速記に適した符号に変換した方式であった。初めて速記理論を完成させたのは1834年フランツ・クサーヴァー・ガベルスベルガーであり、ガベルスベルガー式ドイツ語版と称されるこの方法は北欧諸言語をはじめ、イタリア語、東欧諸語、ロシア語のサカロフ式 (Государственной единой системы стенографииГЕСС、GESS)に影響を与え、更にイギリスにも影響を与えロー式を生み出している。ガベルスベルガー式はその後改良が進み、ジャーマンショートハンドドイツ語版 (DEK) と呼ばれる方式となり現代に受け継がれている。

フランス語の速記

1633年ジャック・コサールが発表したものがフランス語での始まりとされるが、現代につながる系統としての起源は1778年ジャン・クロン・ド・デブノが発表したクロン式と言われている。現在ではエーメ・パリ式、デュプロワエ式英語版 (エミール・デュプロワエが考案)、ドロネ式が使用されている。

ロシア語の速記

1860年ごろから利用され始め、ドストエフスキーは1886年、口述筆記により『賭博者』を26日間で仕上げることが出来た。また同時に執筆された『罪と罰』の結末の一部も速記を用いて執筆された[2]

ソ連ではサカロフ式が統一方式となった。

中国語の速記

1896年に蔡錫勇が発表した伝音快字が中国語での始まりとされる。これは発言の逐語記録に主眼を置いたものでなく、表意文字である漢字の学習困難による文盲一掃を目的にしたものである。アメリカに渡り速記法を目の当たりにした蔡錫勇はピットマン系のグラハム式を参考に基礎符号を定め、北京語の音節を表音的に表す方法を確立した。しかしこれはあくまでも知識人個人としての提案に過ぎなかった。

ところが清国政府が国会を開設するにあたり、その議事記録方法として注目されることで本格的な中国速記史が始まる。清国政府は蔡錫勇の次男である蔡璋を召喚して速記法を考案させた。1910年には資政院中国語版に中国速記学堂を開設し、約200名を対象に速記官養成が開始された。1911年からは二人一組で30分速記作業を行う形態が資政院の議事録で採用された。ピットマン式の影響があり、1935年頃まで主流を占めたが、その後グレッグ式の影響を受けた速記法が登場、更に中華人民共和国成立後はソ連のサカロフ式の影響が入り斜線派が登場した。その嚆矢が1952年に顔廷超が発表した人民速記法案である。それ以降正円幾何派、半草書派、草書派は入り乱れ様々な速記が用いられている。

日本語の速記

衆議院本会議での速記の様子

日本においてこの概念が登場したのは江戸時代で、1862年に出版された『英和対訳袖珍辞書』にshorthandの訳語として「語ヲ簡略ニスル書法」と、stenographyの訳語として「早書キヲスル術」と紹介されていた。1868年の『増補西洋事情』(黒田行次郎)には「疾書術は近代の発明なり」と紹介されている。

西洋文明を積極的に導入した明治維新期、西洋の速記を日本語に導入する試みが数多く行われた。1875年には、松島剛畠山義成が日本語速記法の整備に着手した。そして1881年に「明治23年ヲ期シテ国会ヲ開設スル旨」の詔勅が発表されたことで、国会議事録記録の必要から多くの人々が速記法を考案していった。

1882年9月16日田鎖綱紀が『時事新報』にグラハム式を参考にした日本傍聴記録法として発表し、10月28日、日本傍聴筆記法講習会を開設し、田鎖式速記の指導を開始した。日本においては象徴的にこの日を以って日本速記の始まりとしており、同日を公益社団法人日本速記協会が「速記の日」と定めた。ここで養成された速記官は、若林玵蔵や酒井昇造の名が残っている。速記官は説法や政談、演説などを速記する練習を繰り返し、また講談落語を速記するなど政治や文化の担い手として活躍した。

そして1890年帝国議会が開設され、議会速記が必要とされる時代を迎えた。この時、一任されたのが若林玵蔵である。帝国議会の貴族院衆議院が議事の進行等について定めた貴族院規則、衆議院規則には「議事速記録ハ速記法ニ依リ議事ヲ記載ス」との規定が置かれ、議会開設直後の第一議会からの発言が速記記録されることになった。

議会開設前後に整備され、また黒岩大や清沢与十らによって発展した日本速記であるが、全て田鎖式を基礎にしていた。その中、東京高等商業に招聘されていたイギリス人教師エドワード・ガントレットが、ピットマン式を発展させてガントレット式と呼ばれる日本語速記法を考案した。田鎖式に比べ書きやすく、また日本語の発音体系を反映した方式であり、この方式を学んだ森上富夫は1909年に衆議院速記者に採用され、田鎖式系一色だった議会速記に新風を送り込んでいる。

そのほか基礎符号を単線にした武田式や、それを更に発展させた中根式、更にその中根式を発展させた石村式が登場している。

導入期はイギリスの正円幾何派を中心にされたが、大正になるとドイツの草書派を参考にした方法が誕生した。毛利高範はドイツ留学中に目にしたオーストリアのファウルマン式を参考に毛利式を発表している。

また、従来は民間養成を基本としていた帝国議会の速記官であるが、この頃には報道など、民間における速記への需要の高まりがあり、速記官確保が困難になってきた。そこで政府は、1918年に速記練習生を募集し内部養成する方針に転換した。ここでは現場の速記官からのアイデアが集積され、1942年には衆議院式標準符号が定められるに至った。

国会の両院規則でも議事は速記によって記録することが定められている(衆議院規則201条、参議院規則156条)[3]。初期の国会では議事録の作成は速記のみで行われ、各院に速記者の養成所があったが、1951年(昭和26年)2月8日に参議院労働委員会でテープレコーダーが導入され採用テストが行われた[4]。2006年には各院独自に設けられていた速記者の養成所が廃止された[4]

会議録作成のIT化が進み、手書き速記は本会議や予算委員会などを残して、それ以外の会議においては参議院では2008年から担当職員がモニターで音声と映像を確認してパソコン入力する方式、衆議院では2011年から音声認識システムが導入された[5]。速記者の交代を知らせるため5分ごとに鳴る時計が速記者席に設置されているが[6]、速記が廃止された後も時計は残され5分ごとに鳴っている[7]。2023年(令和5年)11月28日、参議院議院運営委員会理事会は参議院本会議場などでの速記者を廃止することを決定した[8]

そして2023年2月18日、134年の歴史をもち、終了した。

地方議会でも2010年度(平成22年度)までに24都道府県議会で手書き速記が廃止された[5]

朝鮮語の速記

1909年に朴如日が朝鮮速記法を発表したことが朝鮮語での始まりであるが、しかしこの方法はアメリカ在住の朝鮮人を対象にしていたため普及しなかった。

朝鮮での速記法は1925年に方翼煥、李源祥が共同で発表した朝鮮語速記法だと言われているが、1934年に出版された『日本速記50年』に1920年6月に朝鮮語速記法を創始したという報道があったとの記載があり、それが朝鮮語速記法を現しているのか、それともそれ以前に他の速記法が考案されていたのか、現在でも定説はない。

朝鮮半島では独立後に多くの速記法が考案されて現在に至っている。

楽譜の速記

1833年にブレヴォ式を応用して考案されたもので、楽譜で一般的に用いられる五線譜に代わって九線譜を用いている。








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