赤穂城
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出版物
管理者の赤穂市による。発行順。
城と町
- 『赤穂城絵図展 : 絵図にみる城と城下町のうつりかわり』赤穂市立歴史博物館(編)、2000年。開館10周年記念、赤穂城築城開始350年記念の特別展図録。1999(平成11)年度。2000年(平成12年)2月11日-同3月20日。NCID BA45482597。
庭園
- 赤穂市教育委員会生涯学習課(編)『名勝旧赤穂城庭園二之丸庭園整備概要報告書』赤穂市教育委員会生涯学習課〈赤穂市文化財調査報告書〉
- 第1部〈第68号〉、2008年。
- 第2部〈第77号〉、2013年。
- 第3部〈第90号〉、2019年。
- 赤穂市教育委員会生涯学習課(編)『赤穂城攻略本』赤穂市教育委員会生涯学習課〈赤穂市文化財調査報告書 ; 93〉、2020年。
関連項目
脚注
注釈
出典
- ^ “赤穂の城と城下町—赤穂城模型”. 赤穂市立歴史博物館(収蔵). 2022年2月16日閲覧。
- ^ 「宝永元年の赤穂城下町絵図」『赤穂市史』1983年、2頁、NAID 10004748294。
- ^ 堀田 浩之「姫路城・赤穂城・林田陣屋 荻原一青の描いた城郭絵図 (特集 兵庫の城郭絵図研究 (播磨・淡路編) : 荻原一青の再評価)」『歴史と神戸 : 神戸を中心とした兵庫県郷土研究誌』第60巻第5号、神戸史学会、2021年10月、19-31頁、ISSN 0288-7789、NAID 40022717938。
- ^ かつて高麗門の奥に一層の櫓門[1][2][3]が位置した。
- ^ 中井 2017, p. 428.
- ^ a b c d “赤穂城下町跡発掘調査(2003-3・4・5区)現地説明会資料”. www.ako-hyg.ed.jp. 「兵庫県赤穂市の文化財」. 赤穂市教育委員会文化財課. 2021年12月15日閲覧。
- ^ a b “史跡名勝天然記念物:赤穂城跡(あこうじょうあと)”. kunishitei.bunka.go.jp. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2021年9月6日閲覧。
- ^ a b “史跡名勝天然記念物:旧赤穂城庭園 本丸庭園 二之丸庭園(きゅうあこうじょうていえん ほんまるていえん にのまるていえん)”. kunishitei.bunka.go.jp. 国指定文化財等データベース. 文化庁. 2021年9月6日閲覧。
- ^ a b c d e f “赤穂城にまつわる歴史”. 赤穂市教育委員会. 2019年8月2日閲覧。
- ^ a b 『史跡赤穂城跡本丸発掘調査報告書』赤穂市教育委員会、1984年、[要ページ番号]頁。
- ^ a b 『赤穂市史』 2巻、赤穂市、1983年、[要ページ番号]頁。
- ^ “赤穂城跡二之丸門枡形発掘調査現地説明会資料”. 赤穂市教育委員会. 2019年8月2日閲覧。
- ^ “赤穂城とは”. 赤穂市教育委員会. 2019年8月2日閲覧。
- ^ 学研 2006, pp. 61.
- ^ 松岡 1980, p. 6-14.
- ^ a b c d e f g “「兵庫県赤穂市の文化財」”. www.ako-hyg.ed.jp. 赤穂市教育委員会文化財課. 2021年12月15日閲覧。
- 名称:赤穂城跡(あこうじょうあと)
- 管理団体:赤穂市
- 指定内容:
- (1)国指定史跡、指定年月日:1971年(昭和46年)3月31日。
- (2)国名勝・旧赤穂城庭園、指定年月日:2012年(平成14年)9月20日。本丸庭園to
- 指定面積:19万405.17m2。
- ^ “国史跡赤穂城跡(兵庫県赤穂市) 公式Webサイト - 赤穂城の整備”. http://www.ako-hyg.ed.jp/bunkazai/akojo/index.html. 赤穂市教育委員会文化財課文化財係. 2023年11月14日閲覧。
- ^ 八木 1983, 「第4節 赤穂上水道の敷設」.
- ^ a b 産業振興部観光課観光係 (2021-09-28 (更新)). “旧上水道モニュメント”. www.city.ako.lg.jp. 施設案内 > 観光施設. 赤穂市. 2021年12月15日閲覧。
- ^ 白峰 旬 (Shiramine, Jun)「元禄14年の脇坂家による播磨国赤穂城在番について : 播磨国龍野藩家老脇坂民部の赤穂城在番日記の分析より」『別府大学大学院紀要』第13号、別府大学大学院文学研究科、2011年3月、41- 81頁、ISSN 1345-0530、2021年9月6日閲覧。
- ^ 「東有年谷口大鷹城ト云」(『播磨鑑』『播州赤穂郡志』)
- ^ a b c 私立赤穂郡教育会、藤江 忠廉『赤穂郡誌. 播州赤穂郡志』臨川書店、1973年。 NCID BN09433997。
- ^ 国史跡赤穂城跡 (兵庫県赤穂市) 公式Webサイト“赤穂城跡、赤穂城下町跡の歴史年表”. 赤穂市教育委員会文化財課文化財係. 2022年5月19日閲覧。
- ^ 宇喜多家文書「宇喜多秀家士帳」
- ^ 「豊臣期宇喜多氏の構造的特質」(森脇崇文、2012年)
- ^ 『武教全書』第五・築城
- ^ 【にっぽん列島夕方ラジオ】関西ラジオワイド6月30日
- ^ 脇坂家文書『赤穂城在番日記』八月五日条及び十月十一日(「修復後御代官検分」)
- ^ 同・九月朔日「御城内破損帳」
- ^ 同「城内犬之覚」
- ^ 朝日日本歴史人物事典『森主税』 - コトバンク
- ^ 赤穂市立歴史博物館「特別展示 藩儒村上氏」解説。
- ^ 桂月は与謝野晶子に対して「非国民」[乱臣賊子」と批判した事件で知られる。
- ^ 政教社「日本及日本人」(1909年)
- ^ 「赤穂城庭園「西仕切門」の復元完成」『赤穂民報』、2012年4月14日。
- ^ 「赤穂城の二之丸庭園、13日から部分公開」『朝日新聞』、2016年12月3日、兵庫。オリジナルの2016年12月20日時点におけるアーカイブ。
- ^ “日本100名城”. 公益財団法人「日本城郭協会」公式web. 2022年9月12日閲覧。
- ^ a b 「"光の天守閣"今年は4層造り」『赤穂民報』、2008年12月10日。
- ^ a b 「義士に届け、光の天守」今年は5層 赤穂民報2009年12月8日
- ^ Vol.23 幻の天守閣!さてさて、今年は何色に輝くでしょう?
- ^ 忠臣蔵ウイークの目玉である幻の天守閣!
- ^ 「今年も「光の天守閣」築城中]」『赤穂民報』、2010年11月29日。
- ^ 「月と競演"光の天守閣」『赤穂民報』、2010年12月7日。
- ^ 「赤穂城跡でプロジェクションマッピング試写 義士祭で披露」『神戸新聞』、2014年12月。
- ^ 「忠臣蔵ウイーク5日開幕 幻の天守閣も登場 赤穂」『神戸新聞』、2015年12月。
- ^ 「赤穂城に動く浮世絵投影 忠臣蔵の名場面CG再現」『神戸新聞』、2015年12月。
- ^ “赤穂城跡のみどころ”. 赤穂市教育委員会. 2019年8月3日閲覧。
- ^ 現地「厩口門 説明板」、赤穂市教育委員会。
- ^ 官(かん)軍と「叩くとかんかんと音がする」に由来。(「二ノ丸門案板」)
- ^ 忠魂碑の意味 - 和英辞典 - コトバンク
- ^ 「大石邸長屋門」解説板、赤穂義士会。
外部リンク
- 公式ウェブサイト - 赤穂市
- 城と周辺のイラスト地図(加里屋地区マップ)
- 旧赤穂城庭園本丸庭園二之丸庭園 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 赤穂城跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- ^ 赤穂市内に点在する江戸時代の井戸「汲出桝」(くみだします)は、例えば旧城下町に相当するJR播州赤穂駅前の商業施設「赤穂バザール」の前で見学できる(赤穂市加里屋42-7正面)[19]。
- ^ 事件は老中・阿部正武に早飛脚で伝えられた[20]。
- ^ 浅野宗家の広島城は吉方(北西)に天守がある。
- ^ 討たれた村上真輔のみ大正期(明治維新への反動)に五十余年を経て左翼系の運動で名誉回復(贈位)している。
- ^ 江戸時代にはこの奥に櫓門が存在したが、失われた。
- ^ 「こぐち」は狭い道・狭い口の意味。「ここう」と読むと「危険な場所」。
- ^ 番所には門番として足軽3名、下番2名が詰め、大手門の警護にあたった。
- ^ 番所跡に「明治期に撮影された隅櫓の形状とは異なる」旨の説明と当時の写真が掲示してある。
- ^ 大石良雄宅跡(赤穂大石神社所有)の国史跡指定は1923年(大正12年)3月7日、面積3,796.12m2。
- ^ 「老朽甚だしく、昭和期に、総工費3,138万余円をかけて復元」[51]。
- ^ 旧赤穂城庭園の国名勝指定は2012年(平成14年)9月20日、面積2万4912.58m2。
- ^ 近藤源八宅跡(赤穂市所有、長屋門)の市指定文化財指定は1998年(平成10年)4月27日。
- ^ 案内板によると「簀子野地天井(すのこのじてんじょう)などを残し、平成13年(2001年)に解体復元」した。赤穂市教育委員会。
固有名詞の分類
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