赤穂城 参考文献

赤穂城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/10 01:32 UTC 版)

参考文献

主な執筆者または編者、出版者の50音順。

各項目内は主な執筆者または発行者の順。

城郭と城下

  • 史跡赤穂城跡本丸発掘調査団(編)『史跡赤穂城跡本丸発掘調査報告書』赤穂市教育委員会〈赤穂市文化財調査報告書, 1, 5, 18〉、1984年。 NCID BA42157013 
    • 第2編 赤穂城跡調査会と史跡赤穂城跡本丸発掘調査団(編)。
    • 第3編 赤穂市教育委員会(編)はす。
  • 熊田葦城『赤穂城址、加里屋』 14巻、平凡社〈日本史蹟大系〉、1936年、[要ページ番号]頁。 
  • 私立赤穂郡教育会、藤江 忠廉『赤穂郡誌. 播州赤穂郡志』臨川書店、1973年、[要ページ番号]頁。 NCID BN09433997 
  • 西ヶ谷恭弘 編『定本 日本城郭事典』秋田書店、2000年、283-285頁。 ISBN 4-253-00375-3
  • 兵庫県高等学校教育研究会歴史部会 編『新版 兵庫県の歴史散歩』 下、山川出版社〈新全国歴史散歩シリーズ〉、1991年、114-115頁。 ISBN 4-634-29580-6
  • 松岡秀夫(編)「赤穂城物語」『写真集明治大正昭和赤穂』国書刊行会、東京〈ふるさとの想い出134〉、1980年、6-14頁。 
    • 「元禄時代赤穂城之図」、「同城内侍屋敷図」
    • 「赤穂城本丸内水筋図」
    • 天守閣の模型
    • 空から見た赤穂城址
    • 櫓:大手門角櫓(再建後の写真あり)、潮見櫓
    • 門:塩屋門、二の丸門、大正時代の大手門、本丸門。武家の長屋門(大石内蔵助の屋敷)
    • 本丸址に建った中学校本館。
  • 歴史群像シリーズ(編)『歴史群像シリーズ特別編集 決定版 図説江戸三百藩 城と陣屋総覧 西国編』学習研究社ref = CITEREF学研2006、2006年。 

  1. ^ 赤穂市内に点在する江戸時代の井戸「汲出桝」(くみだします)は、例えば旧城下町に相当するJR播州赤穂駅前の商業施設「赤穂バザール」の前で見学できる(赤穂市加里屋42-7正面)[19]
  2. ^ 事件は老中・阿部正武に早飛脚で伝えられた[20]
  3. ^ 浅野宗家の広島城は吉方(北西)に天守がある。
  4. ^ 討たれた村上真輔のみ大正期(明治維新への反動)に五十余年を経て左翼系の運動で名誉回復(贈位)している。
  5. ^ 江戸時代にはこの奥に櫓門が存在したが、失われた。
  6. ^ 「こぐち」は狭い道・狭い口の意味。「ここう」と読むと「危険な場所」。
  7. ^ 番所には門番として足軽3名、下番2名が詰め、大手門の警護にあたった。
  8. ^ 番所跡に「明治期に撮影された隅櫓の形状とは異なる」旨の説明と当時の写真が掲示してある。
  9. ^ 大石良雄宅跡(赤穂大石神社所有)の国史跡指定は1923年(大正12年)3月7日、面積3,796.12m2
  10. ^ 「老朽甚だしく、昭和期に、総工費3,138万余円をかけて復元」[51]
  11. ^ 旧赤穂城庭園の国名勝指定は2012年(平成14年)9月20日、面積2万4912.58m2
  12. ^ 近藤源八宅跡(赤穂市所有、長屋門)の市指定文化財指定は1998年(平成10年)4月27日。
  13. ^ 案内板によると「簀子野地天井(すのこのじてんじょう)などを残し、平成13年(2001年)に解体復元」した。赤穂市教育委員会。






固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「赤穂城」の関連用語

赤穂城のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



赤穂城のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの赤穂城 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS