赤穂城
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赤穂城 (兵庫県) | |
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大手門(高麗門)二層隅櫓[4] | |
別名 | 加里屋城[5] |
城郭構造 | 変形輪郭式海岸平城 |
天守構造 | 建造されず |
築城主 | 浅野長直 |
築城年 | 1648年(慶安元年) - 1661年(寛文元年) |
主な改修者 | 浅野長直 |
主な城主 | 浅野家、永井家、森家 |
廃城年 | 1873年(明治6年) |
遺構 | 石垣、堀、本丸庭園、二之丸庭園、門跡 |
指定文化財 | 国史跡、国名勝(旧赤穂城庭園 本丸庭園・二之丸庭園) |
再建造物 | 櫓・門、二之丸庭園(復元中) |
位置 | 北緯34度44分44.41秒 東経134度23分20.34秒 / 北緯34.7456694度 東経134.3889833度座標: 北緯34度44分44.41秒 東経134度23分20.34秒 / 北緯34.7456694度 東経134.3889833度 |
地図 |
- ^ 赤穂市内に点在する江戸時代の井戸「汲出桝」(くみだします)は、例えば旧城下町に相当するJR播州赤穂駅前の商業施設「赤穂バザール」の前で見学できる(赤穂市加里屋42-7正面)[19]。
- ^ 事件は老中・阿部正武に早飛脚で伝えられた[20]。
- ^ 浅野宗家の広島城は吉方(北西)に天守がある。
- ^ 討たれた村上真輔のみ大正期(明治維新への反動)に五十余年を経て左翼系の運動で名誉回復(贈位)している。
- ^ 江戸時代にはこの奥に櫓門が存在したが、失われた。
- ^ 「こぐち」は狭い道・狭い口の意味。「ここう」と読むと「危険な場所」。
- ^ 番所には門番として足軽3名、下番2名が詰め、大手門の警護にあたった。
- ^ 番所跡に「明治期に撮影された隅櫓の形状とは異なる」旨の説明と当時の写真が掲示してある。
- ^ 大石良雄宅跡(赤穂大石神社所有)の国史跡指定は1923年(大正12年)3月7日、面積3,796.12m2。
- ^ 「老朽甚だしく、昭和期に、総工費3,138万余円をかけて復元」[51]。
- ^ 旧赤穂城庭園の国名勝指定は2012年(平成14年)9月20日、面積2万4912.58m2。
- ^ 近藤源八宅跡(赤穂市所有、長屋門)の市指定文化財指定は1998年(平成10年)4月27日。
- ^ 案内板によると「簀子野地天井(すのこのじてんじょう)などを残し、平成13年(2001年)に解体復元」した。赤穂市教育委員会。
固有名詞の分類
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