薬学史
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日本の薬学
日本においては、『本草経集注』や『新修本草』などが典薬寮で採用され、寮内に薬園を設置したり、令制国から中央に薬草を貢進する規定が定められた(『延喜式』に詳しい)。平安時代には日本最初の薬書である『大同類聚方』が著され、続いて深根輔仁によって『本草和名』が著され、薬草の和名が定められた。鎌倉時代には僧医によるものと推定される『薬種抄』などが撰出された。江戸時代に入ると、『本草綱目』が伝来し、続いて蘭方医学とともに西洋の薬学・博物学が伝来する。こうした動きに刺激されて香川修庵の『一本堂薬選』、香月牛山の『薬籠本草』、吉益東洞の『薬徴』などの著作が出された。
近代薬学
近代的な薬学が興隆するのは、18世紀後期のことである。当時のヨーロッパは産業革命のさなかで都市部に人口が集中し、伝染病の危険性が増大していた。また、繊維産業における漂白・染色技術の発達によってもたらされた化学的な知識が薬学にも導入されて、天然薬物から有効成分を抽出、また人為的に薬物どうしを合成する方法が確立された。1776年にウィリアム・ウィザリングがジギタリスから強心剤を開発することに成功し、続いて1798年にはエドワード・ジェンナーが牛痘による天然痘治療の方法を開発した。1805年にはフリードリヒ・ゼルチュルナーがアヘンからモルヒネを取り出すことに成功した。1887年に日本の長井長義がマオウからエフェドリンを抽出した。
19世紀後半に入ると、細菌学の進歩によって新たな薬が開発されるようになり、ルイ・パスツールが狂犬病のワクチンを開発(免疫療法)し、北里柴三郎が破傷風に対して血清療法を開発した。1900年には高峰譲吉がアドレナリンを発見して内分泌学を切り開いた。薬学の進歩は20世紀に入ってからも急速に展開し、パウル・エールリヒ・秦佐八郎のサルバルサンに開発によって化学療法が始まり、1929年のアレクサンダー・フレミングによるペニシリンの開発と1944年のセルマン・ワクスマンによるストレプトマイシンの開発は抗生物質の時代の幕開けを告げた。
日本でも幕末から明治維新にかけて、軍事的な必要から旧来の本草学から近代的な製造医学へと転換が模索され、1874年に大学東校に製薬学科が設置された。だが、医薬分業制の確立がなされなかったことなどから、医療薬学よりも基礎薬学が主導的な地位を得ていくことになり、医薬分業が日本でも本格化する1970年代末までこうした傾向が続くことになる。
薬学の課題
だが、こうした薬学の発展がすべてにおいて良い方向に向かったわけではない。古代以来の水銀中毒や砒素中毒の問題をはじめ、近現代に入ってからもサリドマイドや血液製剤などに由来する薬害の問題、耐性菌の発生など多くの課題を抱えているのである。
注釈
- ^ ラテン語名の『デ・マテリア・メディカ De materia medica』でも知られる。『ギリシア本草』とも。
出典
- ^ John K. Borchardt (2002). “The Beginnings of Drug Therapy: Ancient Mesopotamian Medicine”. Drug News & Perspectives 15 (3): 187–192. doi:10.1358/dnp.2002.15.3.840015. ISSN 0214-0934. PMID 12677263.
- ^ “Becoming a Pharmacist & History of Pharmacy | Pharmacy is Right for Me” (英語). Pharmacy for me. 2020年7月27日閲覧。
- ^ Bender, George (1965年). “Great Moments in Pharmacy”. Pharmacy at Auburn. 2020年7月26日閲覧。
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