般若心経 般若心経の概要

般若心経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/31 04:44 UTC 版)

般若波羅蜜多心経
はんにゃはらみったしんぎょう
: Prajñā-pāramitā-hṛdaya
漢訳された経
基本情報
宗教 仏教
作者 不明
言語 サンスクリット語
般若波羅蜜多心経 at 中国語 Wikisource
テンプレートを表示

「色は空、空は色である」との一文は有名であり、大乗仏教の根底である二諦教義が凝縮されている。空の理法とは追究すれば限りがなく、『大般若経』六百巻のような大部の経が成立したが、この短い『般若心経』一巻にすべて納まる大乗仏教の精髄を示すものとして重要視され、常に読誦されてきた[1]

仏教の全経典の中でも最も短いもののひとつで、日本では「色即是空・空即是色」の名句で親しまれ、古くは聖武天皇の時代から現代まで、複数の宗派における 読誦経典の一つとして広く用いられている[2]

名称

日本で広く流布している玄奘三蔵訳の正式な経題名は『般若波羅蜜多心経[3]であるが、一般的には『般若心経』と略称で呼ばれている。これをさらに省略して『心経』(しんぎょう)と呼ぶ場合もある。なお、漢訳の題名には「経」が付されているが、サンスクリット典籍の題名は「Prajñā(般若)-pāramitā(波羅蜜多)-hṛdaya(心)」であり、「経」に相当する「sūtraスートラ)」の字句はない。

日本の仏教の宗派によっては、単に「般若心経」「般若波羅蜜多心経」と呼ぶのではなく、冒頭に「仏説」(仏(釈迦)の説いた教え)や「摩訶」(偉大な)の接頭辞をつけて、『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』(ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう)や『摩訶般若波羅蜜多心経』(まかはんにゃはらみったしんぎょう)と表記することもある。なお、現存する最古の漢訳文とされる弘福寺(長安)の『集王聖教序碑』に彫られたものにおいては、冒頭(経題部分)は『般若波羅蜜多心経』と記載されているが、末尾(結びに再度題名を記す部分)では『般若多心経』(はんにゃたしんぎょう)と略されている[注 1]

起源

最古の梵字写本『梵本心経および尊勝陀羅尼』(法隆寺貝葉心経) 第一葉(上)から第二葉(下)の1行目までに般若心経が書写されている。

現存する最古のサンスクリット本(梵本)は東京国立博物館所蔵(法隆寺献納宝物)の貝葉本(東京国立博物館によれば後グプタ時代・7~8世紀の写本[5])であり、これを法隆寺本(もしくは法隆寺貝葉心経)と称する。(右図)漢訳よりも古い時代の写本は発見されていない。オーストリアのインド学者、ゲオルク・ビューラー(1837-1898) は、「伝承では577年に没したヤシという僧侶の所持した写本で609年請来とする。またインド人の書写による6世紀初半以前のものである」と鑑定していた[6]。古いもののため損傷により判読が難しい箇所が多く、江戸時代の浄厳以来、学界でも多数の判読案が提出されている。この他、日本には東寺所蔵の澄仁本[注 2]などの複数の梵本があり、敦煌文書の中にも梵本般若心経が存在している[7]。またチベットネパール等に伝わる写本もあるが、それらはかなり後世のものである[8]

法隆寺蔵『梵本心経および尊勝陀羅尼』(書き起こし)

中国撰述説

1992年アメリカのジャン・ナティエ英語版Jan Nattier、当時インディアナ大学准教授)は、玄奘訳『般若心経』の本文が鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』と逐語的に一致することなどに基づき、誰かが羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』から『般若心経』をまとめ、玄奘が「観自在」や「蘊」など特定の術語だけを修正し、それを更にサンスクリット訳したという偽経説を提起した[9]。1994年7月に福井文雅が仏教思想学会10周年記念全国大会で反論を発表した[10]。これに対し、1995年に工藤順之は、ナティエの論旨に与するものではないと断ったうえで、(福井が)一方的に荒唐無稽な妄説として無視するのは公平な態度とは思えないとして、ナティエの学説の骨子を紹介している[11]。また仏教学者でありキリスト教の牧師でもある大和昌平によって1996年に紹介されている[12]。 これに対し福井文雅[13]、原田和宗[14]らにより詳細な反論が日本語によってなされている。

ナティエ論文の日本語訳が工藤順之・吹田隆道により発表されたのは2006年になってからである[15]

その後、石井公成はナティエ論文の影響が欧米で継続していることに対し、異なった面からの批判を日本語で発表した[16]

2016年に最古の玄奘訳の版とされる661年に刻まれた石経が北京で発見されたという報道があった。[17]。記事によれば「玄奘は漢文の心経を翻訳したか」という世界の学術界で長年に渡り議論されてきた問題[注 3]に、新たな参考情報をもたらしたとのことである[注 4]

翻訳書

漢訳

玄奘三蔵訳。ふりがなは宗派によって若干の違いがある。

一般的には、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜大明咒經』が現存中最古の漢訳とされていた[18]。最古の経典目録(経録東晋釈道安撰『綜理衆経目録』(の僧祐撰『出三蔵記集』にほぼ収む)には、『摩訶般若波羅蜜神咒一巻』及び『般若波羅蜜神咒一巻 異本』とあり、経としての般若心経成立以前から、呪文による儀礼が先に成立していたという説もある。これらは、後世の文献では前者は3世紀中央アジア出身の支謙、後者は鳩摩羅什の訳とされているが、『綜理衆経目録』には訳者不明(失訳)とされており、この二人に帰することは信憑性にとぼしい。前者は現存せず、後者は大蔵経収録の羅什訳『摩訶般若波羅蜜大明咒經』ともされているが、鳩摩羅什の訳経開始が402年であるため、釈道安の没年385年には未訳出である。またそのテキストの主要部は宋・元・明版大蔵経の鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』のテキストと一致するが、宋版大蔵経の刊行は12世紀後半であるため、このテキストが鳩摩羅什訳であるということも疑われている[19]

西域から645年正月に帰国した玄奘もまた『般若心経』を 終南山翠微宮で649年に翻訳したとされている[20]。 しかし古来テキストの主要部分の一部が玄奘訳『大般若波羅蜜多経』の該当部分ではなく、鳩摩羅什訳『摩訶般若波羅蜜経』(大品般若経)からの抽出文そのものであるため、玄奘訳『般若心経』の成立に関し様々な説が出されている[21]。 また、古くから著名な玄奘訳のテキストとされるものは、672年に建てられた弘福寺(興福寺)の集王聖教序碑中の『雁塔聖教序』の後に付加されているテキストである。赤木隆幸[22]は、玄奘訳『般若心経』は『集王聖教序』の石碑に付刻されたことにより、玄奘の訳出経典を象徴するものとして位置づけられた等と述べている [23]

蔵訳(チベット訳)

大蔵経のカンギュルに入っている大本のチベット訳と、敦煌文書から知られる小本のチベット訳[24][注 5]からの2種が知られている。また、カンギュル入蔵本もタントラ部と般若部のものに分かれており、伝承の過程で細部が異なる[26]

写本の系統

大蔵経に入蔵したチベット語訳大本・般若心経には大きく分けて2つの系統の写本がある。西のテンパンマ(them spangs ma)系統[注 6]と東のツェルパ(tshal pa)系統[注 7]である。西の系統にはさらにシェルカルゾン(shel dkar rdzong)系[注 8]が存在している[27]。特に東のツェルパ系統はプトン・リンチェンドゥプによる改訂を経ている[27]


注釈

  1. ^ 唐代の 7 世紀後半頃から広く用いられた名称。[4]
  2. ^ 最澄円仁が唐から持ち帰ったものとされるが原本は残存しない。
  3. ^ ナティエ論文への言及かは定かでない。
  4. ^ 新規に石経が発見されたということではなく、以前から保管されていた石経を鑑定した結果らしいが、後報、詳報は未見である。
  5. ^ この小本は漢文からの重訳ではなく、ほぼサンスクリット直訳に近い翻訳である。[25]
  6. ^ 河口慧海将来本、トク・パレス本がこれに属する[27]
  7. ^ リタン・復刻ジャン版、デルゲ版、北京版、チョネ版などがこれに属する[27]
  8. ^ ラサ版がこれに属する。[27]
  9. ^ こばやし しょうせい (1876 - 1937年)茨城県古川市出身。明治~昭和前期の真言宗僧侶。
  10. ^ 「na vidyā」。この句は玄奘訳やチベット語訳にはない。
  11. ^ 「na vidyākṣayo」。この句は玄奘訳やチベット語訳にはない。
  12. ^ 涅槃は、川の流れ(四暴流)に打ち勝って向こう側(彼岸)に渡ることに喩えられた。
  13. ^ 立川武蔵は2001年の著作『般若心経の新しい読み方』でこの伝統的な空思想で捉える従来の立場を踏襲している[31]
  14. ^ 原田は、この解釈は「法相宗『般若波羅蜜多心経幽賛』に端を発し、華厳宗澄観の手で定着化されたようだ」と見ている[32]
  15. ^ 佐保田鶴治ヒンドゥー哲学ハタヨーガ実践者としての体験から自説を展開している[33]
  16. ^ 福井文雅は、般若心経の核心部は心呪の効能を説く後半部と真言自体であるとし[34]、般若心経ほどの短い経文の中に空観を前提として般若波羅蜜多(咒)の功徳を併せ説き、それを唱えれば「能く一切の苦を除く」と強調している経典は他に無く、それを般若心経が後世にまで人々を引きつけた理由だと主張している[35]
  17. ^ 宮坂宥洪は般若心経は心の在りようを説いたものではなく具体的なマントラ実践の教説であると論を展開している[36]
  18. ^ 「ガテー」を√gamの過去分詞であり、プラークリット文法により男性・複数・対格で、文脈により「~し始めた」という意味に捉えるべきだとしている。すなわち「行き始めたものたち」(√gamし始めた)である。そしてこれらは船に喩えられているという[42]。しかも、ボーディは√budh(目覚める)ではなく√bhū(存在する)とし、ヴェーダ語文法により二人称のアオリスト命令法であり、さらに「スヴァーハー」の原義をヴェーダ語文法からsu+√vāh+ā、つまり「よく運ぶ」の具格と理解するという新解釈を提示し[43]、全体的に「「行き始めた〔船たち〕を率いてください」という意味だとする[42]
  19. ^ 阿(ほとり)は同論文で、「ガテー」の解釈を6通り挙げている[45]
  20. ^ この経は654年訳出となっているが[47]、玄奘の心経訳出(649年)より後である。

出典

  1. ^ 中村&紀野 1960, p. 162.
  2. ^ 渡辺 2015, p. 23.
  3. ^ 大正新脩大蔵経データベース(T0251_.08.0848c04 - c23)
  4. ^ 荒見 2018, pp. 1–18.
  5. ^ 梵本心経および尊勝陀羅尼 - 梵本心経および尊勝陀羅尼 e国宝
  6. ^ 金岡 2001, p. 138.
  7. ^ 金岡 2001, pp. 141–147.
  8. ^ 金岡 2001, pp. 151–152, 155–156.
  9. ^ Nattier 1992, pp. 153–223.
  10. ^ 産経新聞平成6年7月6日「般若心経 インド製か中国製か」
  11. ^ 工藤 1995, pp. 20–21.
  12. ^ 大和 1996, pp. 6–8.
  13. ^ 福井 1994, p. 81.
  14. ^ 原田 2002, pp. 17–62.
  15. ^ 工藤&吹田 2006, pp. 17–83.
  16. ^ 石井 2015, pp. 499–492.
  17. ^ 「房山石経『心経』、現存する最古の版に」「中国網日本語版(チャイナネット)」2016年9月26日
  18. ^ 金岡 2001, p. 158.
  19. ^ 渡辺 1990, pp. 54–58.
  20. ^ 開元釈教録 卷第八に「般若波羅蜜多心經一卷見内典録第二出與摩訶般若大明呪經等同本貞觀二十三年五月二十四日於終南山翠微宮譯沙門知仁筆受」とある。(T2154_.55.0555c03-04)
  21. ^ 原田 2002, pp. 17–18.
  22. ^ あかぎたかゆき 1970年生 日本高麗浪漫学会理事
  23. ^ 『玄奘訳「般若心経」の伝来と流布』史觀 172 1-21, 2015 pdf p.7上段
  24. ^ 上山 1965, p. 782.
  25. ^ 上山 1965, p. 780.
  26. ^ 川崎 2000, pp. 455.
  27. ^ a b c d e 川崎 2000, pp. 456–455.
  28. ^ 金岡 1973, p. 149.
  29. ^ T0251_.08.0848c04 - c23
  30. ^ 大崎 正瑠「サンスクリット原文で『般若心経』を読む」『総合文化研究』第19巻第1-2号、2013年12月、41-59頁、NAID 40021301742 
  31. ^ 原田 2002, pp. 28–19.
  32. ^ 原田 2002, p. 61.
  33. ^ 『般若心経の真実』1982年 人文書院 ISBN 978-4409410073
  34. ^ 福井 1987, pp. 24–25.
  35. ^ 福井 1987, p. 28.
  36. ^ 『般若心経の新世界:インド仏教実践論の基調』1994年 人文書院ISBN 978-4409410578[要ページ番号] 、この基調は2004年出版の一般向け書籍『真釈般若心経』ISBN 978-4043760015[要ページ番号] にも一貫している。
  37. ^ 竹中智泰(たけなかちたい、1945年生)『般若心経の陀羅尼』「臨済宗の陪羅尼」1982年 東方出版 所収 p.137-146、(初出 1977年7月「臨済会報」108号)p.143-146
  38. ^ 中村元・紀野一義訳 註『般若心経・金剛般若経』p.37 。
  39. ^ 渡辺照宏『般若心経真言の正解(下)』中外日報1975年12月3日、神崎照恵『般若心経講話』1971年 成田山新勝寺p.167
  40. ^ 田久保周誉『般若心経解説』1973年 山喜房仏書林 p51,p90-91
  41. ^ 阿 2008, pp. 873–870.
  42. ^ a b 阿 2008, pp. 871–870.
  43. ^ 阿 2008, pp. 872–871.
  44. ^ 阿 2008, p. 870.
  45. ^ 阿 2008, p. 872.
  46. ^ 大正新脩大藏經 佛説陀羅尼集經卷第三 大唐天竺三藏阿地瞿多譯 般若波羅蜜多大心經(印有十三呪有九) 般若大心陀羅尼第十六 「般若大心陀羅尼第十六呪曰 跢姪他(一)掲帝掲帝(二)波羅掲帝(三)波囉僧掲帝(四)菩提(五)莎訶(六) 是大心呪。」( T0901_.18.0807b19 - 21 )。
  47. ^ 佐々木 2003, p. 139.
  48. ^ T33-535b
  49. ^ 石井 2015, p. 495.
  50. ^ 『大谷光瑞猊下述 般若波羅密多心經講話』 1922年 大乗社 影印
  51. ^ http://www.nicovideo.jp/watch/sm11982230
  52. ^ 【ネット番記者】ポップな「般若心経」 - MSN産経ニュース - ウェイバックマシン(2010年10月6日アーカイブ分)
  53. ^ http://otakei.otakuma.net/archives/2014021803.html
  54. ^ 食べる般若心経!? 群馬「新田乃庄」のほうとうが謎すぎてネット騒然! 2017年11月28日 更新」2021年1月4日閲覧






般若心経と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「般若心経」の関連用語

般若心経のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



般若心経のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの般若心経 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS