般若心経 内容と解釈

般若心経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/31 04:44 UTC 版)

内容と解釈

現在までに漢訳、チベット語訳、サンスクリットにおいて、大本、小本の2系統のテキストが残存している。大本は小本の前後に序と結びの部分を加筆したもの[28]ともいわれている。鳩摩羅什訳および玄奘訳は、小本である。

代表的なテキスト

現在最も流布しているのは玄奘三蔵訳とされる小本系の漢訳であり、『般若心経』といえばこれを指すことが多い。

以下は、代表的な流布テキストである。

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩深般若波羅蜜多時照見五蘊度一切苦厄
舎利子不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法眼界乃至無意識界無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得
以無所得故菩提薩埵依般若波羅蜜多故心無罣礙無罣礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提
故知般若波羅蜜多是大神呪是大明呪是無上呪是無等等呪能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多呪
即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶
般若心経

—  玄奘三蔵注:原文テキストは”小林正盛[注 9] 編『真言宗聖典』, 森江書店, 大正15, p.114”。旧字体を新字体に改める。呪と咒の表記揺れはすべて呪に統一した。また、句読点を除去した。

また、玄奘訳とされるテキストには版本によって、例えば下記の箇所のように、字句の異同が十数箇所存在する。

  • 空即是色受想行識亦復如是(大正蔵
  • 空即是色受想行識亦復如是(法隆寺本等法相宗系)
  • 大蔵経所収の玄奘訳・般若波羅蜜多心経には流布本における「遠離一切顛倒夢想」部分の『一切』の二字がない[29]

代表的なサンスクリットテキストの翻訳

なお、以下では教学用語に対する言及をわかりやすくするために注を加えた[30]

一切智者に敬礼きょうらいする
観自在菩薩は、深遠なる「智慧の完成」の修行を行じていたとき、五つの要素(五蘊)がある、と見られた。そしてそれらは本性が空であると見抜かれた。

シャーリプトラよ、この世界では、物質ルーパとは空性シューニャターであり、空性とは物質にほかならない。物質と空性は別々のものではなく、空性は物質と別々のものではない。
物質であるもの、それは空性であり、空性であるもの、それは物質である。
感受作用()・概念作用()・意志作用()・認識作用()(=五蘊)も同様である。
この世界では、あらゆる現象は空性を特徴とするものであり、生ずることもなく、滅することもない(=不生不滅)。汚れることもなく、汚れを離れることもない。欠けることもなく満ちることもない。

シャーリプトラよ、それゆえに空性にあっては、物質はなく、感受作用、概念作用、意志作用、認識作用はない(=五蘊はない)。
眼耳鼻舌身意の六つの認識器官もなく、色声香味触法の六つの認識対象もない(=十二処はない)。
眼に映る世界はない。さらに心の認識する世界もない(=六根六境六識十八界はない)。
知識は存在しない[注 10]、迷いや煩悩もない(=十二因縁の順観はない)。
知識が消滅することはなく[注 11]、迷いや煩悩の消滅もない(=十二因縁の逆観もない)。
苦・集・滅・道(=四聖諦)はない。
(真理を)知るということもなく、(悟りを)獲得するということもない。

それゆえ、(悟りを)獲得するということがないので、菩薩(たち)の「智慧の完成」を頼りとして、(菩薩は)心を覆うものなく(安住して)過ごしている。
心を覆うものは何もないので、恐れがない。顛倒(した見解)から離れており、(無住処)涅槃に住している。
(過去・現在・未来の)三世の全ての覚者(仏)たちは「智慧の完成」を頼りとして、無上正覚の悟りを得ている。

それゆえに知るべきである。「智慧の完成」は大いなる真言(mantro)であり、大いなる明らかな智慧の真言であり、この上ない真言であり、すべての苦しみを鎮める。
それは、並ぶもののない真言であり、誤つことなきがゆえに真実である。「智慧の完成」において、真言が誦される。
すなわち(tadyathā)、

gate gate pāragate pārasaṃgate bodhi svāhā!
(行った、行った、向こうの岸に行った[注 12]。向こうの岸に完全に至った。悟りよ、幸いあれ!)

と。

心経の諸解釈

般若心経の解釈には、(1)空思想をコンパクトにまとめた正統的な般若経典とする立場と、(2)真言をその主要部分と見て、他の部分は真言を引き立てるための従属部分とする密教的解釈の二つの立場がある。

一般に般若心経も思想を主題とする般若経典の一篇であり、その核心部は「色即是空・空即是色」等を説く散文部にあるという説が常識とされている。[注 13][注 14]

一方、真言の威力と功徳を説くことが般若心経の核心であるという主張もある。末尾の真言(マントラ)を散文部分への付記と見るのではなく、空観を説く前半部分は後半部分への伏線、前提になっていると見なすべきであるということである。[注 15][注 16][注 17]

真言の諸解釈

末尾の真言(マントラ)については、その位置づけや意味について、仏教学者渡辺照宏説、中村元説、宮坂宥洪説など、様々な解釈が示されてきたが、竹中智泰は、『般若心経』の陀羅尼に関する文献学的解釈は下記の4つにつきるのではないかと述べている[37]

  1. 「ガテー(gate)」を女性名詞「ガター(gatā)」の単数・呼格と理解し、「ボーディ(bodhi)」もそれと同格に単数・呼格とする解釈。中村元紀野一義訳註『般若心経・金剛般若経』1960年 岩波文庫 ISBN 978-4003330319 p.36-37 。
  2. 「ガテー」を「ガム(√gam)」の過去分詞「ガタ」の男性・単数・処格に理解し、「ボーディ」を単数・主格とする解釈。[38]
  3. 全般的に仏教混交梵語と解して、「ガテー」を「ガム(√gam)」の過去分詞「ガタ」の男性・単数・主格に理解し、「ボーディ」を対格とする解釈。[39]
  4. 「ガテー」を「道」を意味する女性名詞「ガティ(gati)」の単数・呼格と理解し、「ボーディ」を1と同じく俗語形に基づく女性・単数・呼格とする解釈。[40]

阿理生(ほとりりしょう)は、仏教混交梵語ヴェーダ語文法を混在させた独自の解釈を主張している[41][注 18]。ヴェーダ語文法とプラークリット文法を混在させて解釈するのは、両者に近縁性があることがリヒャルト・ピシェルにより指摘されているからだという[44][注 19]

なお、心経の真言は『陀羅尼集経』にみられる「般若大心陀羅尼」の第十六呪と同一である。[46][注 20]


注釈

  1. ^ 唐代の 7 世紀後半頃から広く用いられた名称。[4]
  2. ^ 最澄円仁が唐から持ち帰ったものとされるが原本は残存しない。
  3. ^ ナティエ論文への言及かは定かでない。
  4. ^ 新規に石経が発見されたということではなく、以前から保管されていた石経を鑑定した結果らしいが、後報、詳報は未見である。
  5. ^ この小本は漢文からの重訳ではなく、ほぼサンスクリット直訳に近い翻訳である。[25]
  6. ^ 河口慧海将来本、トク・パレス本がこれに属する[27]
  7. ^ リタン・復刻ジャン版、デルゲ版、北京版、チョネ版などがこれに属する[27]
  8. ^ ラサ版がこれに属する。[27]
  9. ^ こばやし しょうせい (1876 - 1937年)茨城県古川市出身。明治~昭和前期の真言宗僧侶。
  10. ^ 「na vidyā」。この句は玄奘訳やチベット語訳にはない。
  11. ^ 「na vidyākṣayo」。この句は玄奘訳やチベット語訳にはない。
  12. ^ 涅槃は、川の流れ(四暴流)に打ち勝って向こう側(彼岸)に渡ることに喩えられた。
  13. ^ 立川武蔵は2001年の著作『般若心経の新しい読み方』でこの伝統的な空思想で捉える従来の立場を踏襲している[31]
  14. ^ 原田は、この解釈は「法相宗『般若波羅蜜多心経幽賛』に端を発し、華厳宗澄観の手で定着化されたようだ」と見ている[32]
  15. ^ 佐保田鶴治ヒンドゥー哲学ハタヨーガ実践者としての体験から自説を展開している[33]
  16. ^ 福井文雅は、般若心経の核心部は心呪の効能を説く後半部と真言自体であるとし[34]、般若心経ほどの短い経文の中に空観を前提として般若波羅蜜多(咒)の功徳を併せ説き、それを唱えれば「能く一切の苦を除く」と強調している経典は他に無く、それを般若心経が後世にまで人々を引きつけた理由だと主張している[35]
  17. ^ 宮坂宥洪は般若心経は心の在りようを説いたものではなく具体的なマントラ実践の教説であると論を展開している[36]
  18. ^ 「ガテー」を√gamの過去分詞であり、プラークリット文法により男性・複数・対格で、文脈により「~し始めた」という意味に捉えるべきだとしている。すなわち「行き始めたものたち」(√gamし始めた)である。そしてこれらは船に喩えられているという[42]。しかも、ボーディは√budh(目覚める)ではなく√bhū(存在する)とし、ヴェーダ語文法により二人称のアオリスト命令法であり、さらに「スヴァーハー」の原義をヴェーダ語文法からsu+√vāh+ā、つまり「よく運ぶ」の具格と理解するという新解釈を提示し[43]、全体的に「「行き始めた〔船たち〕を率いてください」という意味だとする[42]
  19. ^ 阿(ほとり)は同論文で、「ガテー」の解釈を6通り挙げている[45]
  20. ^ この経は654年訳出となっているが[47]、玄奘の心経訳出(649年)より後である。

出典

  1. ^ 中村&紀野 1960, p. 162.
  2. ^ 渡辺 2015, p. 23.
  3. ^ 大正新脩大蔵経データベース(T0251_.08.0848c04 - c23)
  4. ^ 荒見 2018, pp. 1–18.
  5. ^ 梵本心経および尊勝陀羅尼 - 梵本心経および尊勝陀羅尼 e国宝
  6. ^ 金岡 2001, p. 138.
  7. ^ 金岡 2001, pp. 141–147.
  8. ^ 金岡 2001, pp. 151–152, 155–156.
  9. ^ Nattier 1992, pp. 153–223.
  10. ^ 産経新聞平成6年7月6日「般若心経 インド製か中国製か」
  11. ^ 工藤 1995, pp. 20–21.
  12. ^ 大和 1996, pp. 6–8.
  13. ^ 福井 1994, p. 81.
  14. ^ 原田 2002, pp. 17–62.
  15. ^ 工藤&吹田 2006, pp. 17–83.
  16. ^ 石井 2015, pp. 499–492.
  17. ^ 「房山石経『心経』、現存する最古の版に」「中国網日本語版(チャイナネット)」2016年9月26日
  18. ^ 金岡 2001, p. 158.
  19. ^ 渡辺 1990, pp. 54–58.
  20. ^ 開元釈教録 卷第八に「般若波羅蜜多心經一卷見内典録第二出與摩訶般若大明呪經等同本貞觀二十三年五月二十四日於終南山翠微宮譯沙門知仁筆受」とある。(T2154_.55.0555c03-04)
  21. ^ 原田 2002, pp. 17–18.
  22. ^ あかぎたかゆき 1970年生 日本高麗浪漫学会理事
  23. ^ 『玄奘訳「般若心経」の伝来と流布』史觀 172 1-21, 2015 pdf p.7上段
  24. ^ 上山 1965, p. 782.
  25. ^ 上山 1965, p. 780.
  26. ^ 川崎 2000, pp. 455.
  27. ^ a b c d e 川崎 2000, pp. 456–455.
  28. ^ 金岡 1973, p. 149.
  29. ^ T0251_.08.0848c04 - c23
  30. ^ 大崎 正瑠「サンスクリット原文で『般若心経』を読む」『総合文化研究』第19巻第1-2号、2013年12月、41-59頁、NAID 40021301742 
  31. ^ 原田 2002, pp. 28–19.
  32. ^ 原田 2002, p. 61.
  33. ^ 『般若心経の真実』1982年 人文書院 ISBN 978-4409410073
  34. ^ 福井 1987, pp. 24–25.
  35. ^ 福井 1987, p. 28.
  36. ^ 『般若心経の新世界:インド仏教実践論の基調』1994年 人文書院ISBN 978-4409410578[要ページ番号] 、この基調は2004年出版の一般向け書籍『真釈般若心経』ISBN 978-4043760015[要ページ番号] にも一貫している。
  37. ^ 竹中智泰(たけなかちたい、1945年生)『般若心経の陀羅尼』「臨済宗の陪羅尼」1982年 東方出版 所収 p.137-146、(初出 1977年7月「臨済会報」108号)p.143-146
  38. ^ 中村元・紀野一義訳 註『般若心経・金剛般若経』p.37 。
  39. ^ 渡辺照宏『般若心経真言の正解(下)』中外日報1975年12月3日、神崎照恵『般若心経講話』1971年 成田山新勝寺p.167
  40. ^ 田久保周誉『般若心経解説』1973年 山喜房仏書林 p51,p90-91
  41. ^ 阿 2008, pp. 873–870.
  42. ^ a b 阿 2008, pp. 871–870.
  43. ^ 阿 2008, pp. 872–871.
  44. ^ 阿 2008, p. 870.
  45. ^ 阿 2008, p. 872.
  46. ^ 大正新脩大藏經 佛説陀羅尼集經卷第三 大唐天竺三藏阿地瞿多譯 般若波羅蜜多大心經(印有十三呪有九) 般若大心陀羅尼第十六 「般若大心陀羅尼第十六呪曰 跢姪他(一)掲帝掲帝(二)波羅掲帝(三)波囉僧掲帝(四)菩提(五)莎訶(六) 是大心呪。」( T0901_.18.0807b19 - 21 )。
  47. ^ 佐々木 2003, p. 139.
  48. ^ T33-535b
  49. ^ 石井 2015, p. 495.
  50. ^ 『大谷光瑞猊下述 般若波羅密多心經講話』 1922年 大乗社 影印
  51. ^ http://www.nicovideo.jp/watch/sm11982230
  52. ^ 【ネット番記者】ポップな「般若心経」 - MSN産経ニュース - ウェイバックマシン(2010年10月6日アーカイブ分)
  53. ^ http://otakei.otakuma.net/archives/2014021803.html
  54. ^ 食べる般若心経!? 群馬「新田乃庄」のほうとうが謎すぎてネット騒然! 2017年11月28日 更新」2021年1月4日閲覧






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