深井英五 家族関係

深井英五

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/24 22:55 UTC 版)

家族関係

妻はるは北信政財界の第一人者として知られた小坂善之助の次女にあたる[4][5]。 故に善之助の長男で政治家実業家として活躍した小坂順造は深井の義兄にあたる[4][5]。また順造の三男ではるの甥にあたる小坂徳三郎三井十一家の一つである本村町家2代目・三井弁蔵の長女と結婚したので[4][6]、深井家は小坂家を通じて三井財閥の創業者一族である三井家と姻戚関係で結ばれているといえる[4][7]

深井英五・はる夫妻の長女・結子は日本を代表する天文学者萩原雄祐に嫁いだ[4][8]。萩原雄祐・結子夫妻は3男1女をもうけたが、雄祐の次男・道雄は深井の養嗣子となり[4][9]、日銀勤務を経て日本長期信用銀行の監査役を務めた。また、日本テレビ放送網社長や日本テレビフットボールクラブ(Jリーグ・東京ヴェルディの運営会社)会長兼社長等を歴任した萩原敏雄は雄祐の三男で深井の孫にあたる[4][9]。なおよみうりテレビ萩原章嘉札幌テレビ放送社員(元アナウンサー)の萩原隆雄は深井の曾孫である。

年譜

外遊中の深井英五(左)と徳富蘇峰(右)
  • 明治24年(1891年) 同志社普通学校(現:同志社大学)を卒業し、国民新聞社に入社
  • 明治27年(1894年) 日清戦争に従軍記者として参加。帰国後外報部長に昇進
  • 明治29年(1896年) 徳富蘇峰とともに海外視察の旅に出る
  • 明治33年(1900年) 松方正義に請われ、大蔵大臣秘書官となる
  • 明治34年(1901年) 蘇峰と松方の斡旋により日本銀行調査役となる
  • 明治35年(1902年) 松方公の欧米巡遊に随行
  • 明治37年(1904年)〜明治40年 高橋是清副総裁の日露戦争外債募集に随行。唯一の随行者であった。
  • 大正02年(1913年) 日本銀行営業局長に就任
  • 大正07年(1918年) 日本銀行理事に就任
  • 昭和03年(1928年) 日本銀行副総裁に昇進
  • 昭和10年(1935年) 日本銀行総裁に就任。しかし、直後に二・二六事件が発生し、後見人の高橋是清が殺害されたため辞任
  • 昭和12年(1937年) 1月12日、貴族院議員となる[10](-1938年12月9日[11]研究会所属[1])。
  • 昭和13年(1938年) 枢密顧問官に就任

栄典

位階
勲章等
外国勲章佩用允許

  1. ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』157頁。
  2. ^ 『蘇峰自伝』305頁。
  3. ^ 元日銀総裁・枢密院顧問官、死去(昭和20年10月22日 朝日新聞)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p713 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  4. ^ a b c d e f g 『財界家系譜大観』、第6版 - 第8版
  5. ^ a b 『閨閥』320-321頁、325頁。
  6. ^ 『閨閥』320-321頁、324頁。
  7. ^ 『閨閥』320-321頁、324-325頁。
  8. ^ 『閨閥』320-321頁、326頁。
  9. ^ a b 『閨閥』320-321頁。
  10. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、45頁。
  11. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、46頁。
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 深井英五」 アジア歴史資料センター Ref.A06051182200 
  13. ^ 『官報』第7337号「叙任及辞令」1907年12月11日。
  14. ^ 『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。
  15. ^ 『官報』第2431号「授爵・叙任及辞令」1920年9月8日。
  16. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。


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