浜島町塩屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/21 16:29 UTC 版)
地理
志摩市西部に位置する。隣接する浜島町桧山路によって地区は2つに分断されており、浜島町塩屋の本村と飛び地から成る。中心集落は英虞湾沿岸、清水川の河口付近[3]にあたる塩屋の南部に集中している。
- 川:清水川、田杭川
北と東は浜島町迫子(はまじまちょうはざこ)、西は浜島町桧山路と接する。飛び地については、北は浜島町桧山路、南は浜島町浜島、西は浜島町南張に接し、東は英虞湾に面する。
歴史
古代には漁業は盛んではなかったが、塩屋の出郷と伝えられる迫子や桧山路では白魚を獲っていた[4]。
江戸時代には志摩国英虞郡鵜方組に属し、鳥羽藩の配下にあった。江戸時代を通して村高は111石余だった[3]。漁業はほとんど行わず、真珠貝を必要に応じて上納する程度であった[5]。
明治と平成の2度の大合併を経験し、現在まで大字として存続している。1948年(昭和23年)8月15日に浜島町議会は塩屋飛び地の田杭浦を埋め立て、浜島町立浜島中学校の敷地を造成することを決議、1950年(昭和25年)2月2日から浜島町のすべての中学生が新校舎への通学を開始した[6]。また、浜島中学校近くの「宮シ作りの丘」は1970年(昭和45年)から330戸の宅地が造成され、汐見成(しおみなり)と名付けられた[7]。汐見成は宅地開発後、浜島町塩屋から浜島町浜島へ所属地区が変更となった。
沿革
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、英虞郡浜島村大字塩屋となる。
- 1896年(明治29年)3月29日 - 英虞郡が答志郡と合併し、志摩郡浜島村大字塩屋となる。
- 1919年(大正8年)10月1日 - 浜島村が町制を施行し、志摩郡浜島町大字塩屋となる。
- 2004年(平成16年)10月1日 - 浜島町が志摩郡4町と合併し、志摩市浜島町塩屋となる。(公式の住所から「大字」表記がなくなる。)
地名の由来
塩屋地区にある、小字釜向(かまむけ)・倉本(くらもと)の浜で製塩が行われていたことにちなむ[3]。製塩は明治の初期まで行われ、伊勢国山田(現在の伊勢市中心部)等に売りに行く商人がいた[5]。
世帯数と人口
2019年(令和元年)7月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[WEB 1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
浜島町塩屋 | 57世帯 | 131人 |
人口の変遷
1746年以降の人口の推移。なお、2005年以後は国勢調査による推移。
1746年(延享3年) | 207人 | [3] | |
1880年(明治13年) | 380人 | [5] | |
1908年(明治41年) | 229人 | [8] | |
1980年(昭和55年) | 233人 | [2] | |
2005年(平成17年) | 180人 | [WEB 5] | |
2010年(平成22年) | 158人 | [WEB 6] | |
2015年(平成27年) | 129人 | [WEB 7] |
世帯数の変遷
1746年以降の世帯数の推移。なお、2005年以後は国勢調査による推移。
1746年(延享3年) | 47戸 | [3] | |
1880年(明治13年) | 34戸 | [5] | |
1908年(明治41年) | 38戸 | [8] | |
1980年(昭和55年) | 65世帯 | [2] | |
2005年(平成17年) | 65世帯 | [WEB 5] | |
2010年(平成22年) | 62世帯 | [WEB 6] | |
2015年(平成27年) | 53世帯 | [WEB 7] |
WEB
- ^ a b “志摩市の人口について”. 志摩市 (2019年7月31日). 2019年8月28日閲覧。
- ^ a b “浜島町塩屋の郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月15日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ “住所コード検索”. 自動車登録関係コード検索システム. 国土交通省. 2015年9月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月30日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ “学校通学区”. 志摩市. 2019年8月28日閲覧。
- ^ 三重県農水商工部水産経営室漁協グループ"三重県農水商工部水産経営室/漁協合併"平成22年5月1日.(2011年6月22日閲覧。)
- ^ “伊勢志摩 きらり千選 202.塩屋浅間と塩屋千曳山”. 伊勢志摩きらり千選実行グループ. 2023年3月1日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2018年度版” (PDF). 日本郵便. 2019年6月10日閲覧。
文献
- ^ a b 浜島町史編さん委員会編 1989, p. 3.
- ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1429.
- ^ a b c d e f g h 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 540.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 1427.
- ^ a b c d 平凡社地方資料センター 1983, p. 697.
- ^ 浜島町史編さん委員会編 1989.
- ^ 志摩市小学校社会科副読本編集委員会 編(2009):151ページ
- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1983, p. 541.
- ^ a b c d e f 浜島町史編さん委員会編 1989, p. 438.
- ^ 浜島町史編さん委員会編 1983, p. 438.
- ^ a b c 浜島町史編さん委員会編 1989, p. 439.
- ^ 浜島町史編さん委員会編 1989, p. 87.
- ^ a b c d 曽我部 1911, p. 241.
- ^ a b 三重県神職会編 1926, pp. 260–262.
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