府藩県三治制 名称と管轄区域

府藩県三治制

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/25 21:03 UTC 版)

名称と管轄区域

各府県および知藩事任命後の藩は、いくつかの例外を除いて、それぞれの府藩県庁所在地名によって「大阪府」「品川県」「山口藩」などと呼ぶのを原則としていた。しかし、府藩県の中には府藩県庁所在地を中心とする一まとまりの区域の外に遠隔地に飛地を持つものが少なくなかった。

たとえば、伊豆国韮山(現:伊豆の国市)に県庁を置いた韮山県は、伊豆国内だけでなく、相模国武蔵国甲斐国内にあった旧幕府直轄領(天領)や旗本支配地なども管轄していた。反対に、相模国(現:神奈川県)には国内に藩庁を置く小田原藩荻野山中藩、あるいは近隣の神奈川県六浦藩(武蔵国)、韮山県(伊豆国)だけでなく、下野国(現:栃木県)の烏山藩三河国(現:愛知県)の西大平藩などが管轄区域を持っていた。特に旧幕府領や旗本支配地、藩領が錯綜する関東地方や近畿地方にこのような例が多い。

政府は、各府藩県の管轄区域を交換、整理統合して支配の合理化を図ろうとしたが、廃藩置県までに実現したのは部分的なものにとどまり、管轄区域の錯綜はほとんど解消されなかった。を単位とした一円的な管轄区域が確立するのは、廃藩置県後の明治4年10月末 - 11月(1871年12月)の全国的な府県再編を経て以降のことである。

参考文献

関連項目

外部リンク


  1. ^ 千田稔松尾正人『明治維新研究序説-維新政権の直轄地-』(開明書院、1978年)をもとに一部修正。
  2. ^ a b 改称の日付は『法令全書』の記述による。『太政官日誌』では、久保田藩、柴山藩がそれぞれ秋田藩、松尾藩に改称したのは明治4年1月12日(1871年3月2日)のこととされている。


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