川越市の歴史 現代

川越市の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/03 05:13 UTC 版)

現代

戦後、「農工併進」を掲げた川越市は、周辺の農地の確保を必要としていた[76]。そのため、かねてより川越市と密接な関係があった農村部の9ヶ村と合併し[76]、現在の市域となった。1950年代に入ると初雁橋、開平橋上江橋、落合橋など荒川入間川を渡る橋梁が順次完成し、川越市を取り巻く交通が大きく変化した。

1956年の首都圏整備法施行によって、川越市も衛星都市に位置づけられる[72]。川越市も一部地域を都市開発区域に指定させ、1960年には旧9ヶ村を含む市域に川越市総合都市計画案を策定。西武新宿線沿線部には川越狭山工業団地などの工業団地が、東武東上線沿線部には住宅街が広がった[77]。東上線沿線はまず東京に近い新河岸駅周辺に家が建ち始めたが、昭和40年代には霞ヶ関地区に角栄団地・東急団地・住友団地が、50年代には川鶴団地が、60年代には伊勢原団地が開発された[72]。また川越駅と本川越駅を結ぶ所沢街道沿いの商店街(後のクレアモール)が栄え、丸広百貨店1964年に一番街から移転したのを皮切りに銀行なども移転したが、一方で古くからの市街地だった一番街は寂れていった[72]1990年にはアトレマルヒロが川越駅東口に開業。一方でかつて川越少年刑務所があった西口周辺も刑務所の移転に伴う再開発でオフィス街へと変貌した[78]

一方で、鉄道空白地帯であった市北部は市街化が遅れていたが、1974年から川越工業団地を造成、1981年に完成した。

工業都市として

1922年の市制施行当時は繊維産業(綿織物生糸)が中心で、次いで食料品産業(日本酒菓子)、特産品の箪笥と続き、川越市の工業は極めて出遅れたものであった。

昭和に入り東洋護膜化学[注釈 9]川越工場、日清紡績川越工場、新報国製鉄川越工場、帝国火工品製品[注釈 10]川越工場が操業を開始した[81]

戦後も昭和40年代までは繊維・食料品・木材の軽工業が中心であったが、1970年代から比率を減らし、1985年には15%まで低下[81]。2018年時点ではさらに低下している[82]

代わって化学工業や業務用機械器具の比率が増え、1985年には精密機械が最も多く33.9%、金属系の15.9%となり[81]、2018年には化学工業が最も多く32.9%、次いで業務用機械器具の17.8%となっている[83]

工業団地の形成

また時を同じくして工業団地も多く形成された。首都圏整備法成立の翌年の1957年には当時、日本一の面積であった[84]川越狭山工業団地が形成され、次いで的場工業団地、富士見工業団地川越工業団地が形成された[81]

蔵造りへの再評価、観光都市として

1971年大沢家住宅重要文化財に指定されると、川越市内でも文化財保護への機運が高まり、1981年には蔵造り商家17軒が市指定文化財に指定される[85]1983年にはNPO法人の「川越蔵の会」が発足し、蔵造りの保存だけではなく、まちづくり活動への支援も目的とし、活動を行った[86]1989年には川越市都市景観条例が施行され、1992年には電線地中化が完成、また歴史的地区環境整備街路事業(歴みち)によって、一番街周辺の細い街路の石畳化が進められた[87]。一方で、川越市が一番街を伝建地区へと指定しようとしたことに対して自治体側が強く反発[87]。このことについて自治会長の発案により、旧城下町地区の12自治会で議論を行う場として「十ヶ町会」が発足した[87]。その後、1997年に十ヶ町会側から改めて川越市に要望書を提出し、1998年に伝統的建造物群保存地区保存条例を施行、1999年には国の重要伝統的建造物群保存地区として選定された[88]


注釈

  1. ^ 大道寺氏の変遷についてははっきりしない部分が多く、川越大事典 1988, 大道寺政繁には「重時→重興→政繁」とあり、また「大寺」という表記になっている。また『新編武蔵風土記稿』では北条綱成を玉縄に返し、河越に大道寺直繁を置いたとあるが、『大道寺家譜』では駿河守(大道寺)は玉縄城におり、河越夜戦後北条綱成と入れ替わりで河越に入城したとある(川越の歴史 1982, pp. 138–139)の孫引き。
  2. ^ 『榎本弥左衛門覚書』に、「一、拾四ツ之時、正月廿八日の朝(後略)」とある[26]
  3. ^ 固有名詞のため[2]、「ヶ」を使っている。
  4. ^ 現在の石原町・宮元町・神明町及び大字山田の一部。
  5. ^ 多賀町は川越町分10箇町の中心に位置していたため、鐘の音が四方に釣合よく聞こえたと言われている[32]
  6. ^ しかし、元舟問屋の斎藤貞夫によると下新河岸のほうが早く、すでに1648年慶安元年)の検地帳に載っているということである[36]
  7. ^ 現在の川越市域まで広げても、田面沢・今成から1名ずつ出ているのみ[68]
  8. ^ 現在の狭山市
  9. ^ 現東洋クオリティワン[79]
  10. ^ 日油技研工業[80]
  11. ^ アイシングループの埼玉工業株式会社とは無関係。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 川越大事典編纂会 1988, 歴史.
  2. ^ a b c d e f g h i 川越大事典編纂会 1988, 商業.
  3. ^ a b 山野 & 松尾 2019, p. 303.
  4. ^ a b c d e 小泉 & 齋藤 1982, p. 13.
  5. ^ 川越市 1982, p. 21.
  6. ^ 川越市 1982, p. 12.
  7. ^ a b 小泉 & 齋藤 1982, p. 14.
  8. ^ 川越市 1982, p. 19.
  9. ^ a b c d e f g 小泉 & 齋藤 1982, p. 15.
  10. ^ 小泉 & 齋藤 1982, p. 27.
  11. ^ 中院の歴史”. 中院. 2020年1月10日閲覧。
  12. ^ 川越大事典編纂会 1988, 中院.
  13. ^ 「川越市史(本編)第二巻 中世編」より
  14. ^ a b 小泉 & 齋藤 1982, p. 16.
  15. ^ 川越大事典編纂会 1988, 河越氏.
  16. ^ 川越市 1982, p. 99.
  17. ^ 川越市 1982, p. 114.
  18. ^ 川越大事典編纂会 1988, 河越夜戦.
  19. ^ a b 川越大事典編纂会 1988, 大道寺政繁.
  20. ^ 川越市 1982, p. 139.
  21. ^ 川越市 1982, p. 166.
  22. ^ a b 川越大事典編纂会 1988, 天海.
  23. ^ a b 川越市 1982, p. 167.
  24. ^ 川越市 1982, p. 169-170.
  25. ^ 川越市 1982, p. 2.
  26. ^ a b 川越大事典編纂会 1988, 寛永の川越大火.
  27. ^ a b c d 川越大事典編纂会 1988, 松平信綱.
  28. ^ 山野 & 松尾 2019, p. 19.
  29. ^ 川越大事典編纂会 1988, 工業.
  30. ^ 山野 & 松尾 2019, pp. 19–21.
  31. ^ 山野 & 松尾 2019, p. 21.
  32. ^ a b 川越大事典編纂会 1988, 時の鐘.
  33. ^ 川越市 1982, pp. 208–209.
  34. ^ 川越大事典編纂会 1988, 農産物.
  35. ^ 川越市 1982, pp. 180–181.
  36. ^ a b 川越市 1982, pp. 182–183.
  37. ^ 川越市 1982, p. 215.
  38. ^ 川越市 1982, p. 216.
  39. ^ 川越市 1982, pp. 217–219.
  40. ^ 川越市 1982, p. 220.
  41. ^ 川越市 1982, pp. 255–256.
  42. ^ 川越市 1982, p. 258.
  43. ^ 川越市 1982, p. 266.
  44. ^ a b 川越市 1982, p. 267.
  45. ^ a b 川越市 1982, p. 271.
  46. ^ 川越市 1982, pp. 272–273.
  47. ^ a b 川越市 1982, p. 273.
  48. ^ a b 川越市 1982, p. 275.
  49. ^ 川越市 1982, p. 276.
  50. ^ 川越市 1982, pp. 276–277.
  51. ^ 広島へ投下された兵器の正体を国内でいち早く「原子爆弾」と訳し政府に報告したのは、川越市で海外放送を傍受した通信社だった(朝日新聞。2010年8月9日)[リンク切れ]
  52. ^ a b c d 川越市 1982, p. 296.
  53. ^ 川越大事典編纂会 1988, 明治二六年の川越大火.
  54. ^ 山野 & 松尾 2019, p. 307.
  55. ^ a b c 川越市 1982, p. 305.
  56. ^ 川越市 1982, p. 306.
  57. ^ 川越市 1982, p. 307.
  58. ^ a b c 川越市 1982, p. 321.
  59. ^ 川越市 1982, p. 322.
  60. ^ 川越市 1982, p. 278.
  61. ^ 川越市 1982, p. 277.
  62. ^ 川越市 1982, p. 281.
  63. ^ a b c 川越市 1982, p. 282.
  64. ^ a b c d e 川越市 1982, p. 283.
  65. ^ 川越市 1982, pp. 284–288.
  66. ^ 川越市 1982, p. 301.
  67. ^ 川越市 1982, p. 303.
  68. ^ a b c 川越市 1982, p. 309.
  69. ^ 川越市 1982, pp. 309–310.
  70. ^ a b 川越市 1982, p. 310.
  71. ^ 川越市 1982, pp. 310–311.
  72. ^ a b c d 山野 & 松尾 2019, p. 304.
  73. ^ 川越市 1982, p. 327.
  74. ^ 山野 & 松尾 2019, p. 305.
  75. ^ 川越市 1982, pp. 311–312.
  76. ^ a b 川越市 1982, p. 330.
  77. ^ 川越市 1982, pp. 348–349.
  78. ^ 山野 & 松尾 2019, pp. 304–305.
  79. ^ 沿革”. 東洋クオリティワン. 2020年1月15日閲覧。
  80. ^ 沿革”. 日油技研工業. 2020年1月15日閲覧。
  81. ^ a b c d 川越大事典編纂会 1988, 工業団地.
  82. ^ 工業(平成30年版統計かわごえ)”. 川越市 (2019年5月31日). 2020年1月15日閲覧。
  83. ^ 産業(川越市の紹介)”. 川越市 (2019年5月31日). 2020年1月15日閲覧。
  84. ^ 会長挨拶”. 川越狭山工業会. 2012年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月15日閲覧。
  85. ^ 山野 & 松尾 2019, pp. 309–310.
  86. ^ 山野 & 松尾 2019, p. 311.
  87. ^ a b c 山野 & 松尾 2019, p. 312.
  88. ^ 山野 & 松尾 2019, pp. 312–313.
  89. ^ a b 川越市 1982, p. 231.
  90. ^ a b 川越大事典編纂会 1988, 川越祭り.
  91. ^ 川越市 1982, p. 232.
  92. ^ 川越市 1982, p. 233.
  93. ^ 川越大事典編纂会 1988, イモ.
  94. ^ 狭山茶の歴史”. お茶の博物館(入間市博物館). 2020年1月12日閲覧。





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