高階村の別珍製造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 20:18 UTC 版)
明治末期から戦前にかけて、川越街道沿いの高階村周辺では別珍とコール天を主とした織物産業で栄えた。川越市域でのコール天製造は1906年に川越町の中沢伊八郎によって始められたが、同時期、高階村の尾崎芳太郎・有山市之助が合資で「有尾織布工場」を設立、後にこの企業が埼玉工業となった。 高階村内の機屋は20余りの工場・300台から、1931年には30余りの工場・700台にまで成長し、埼玉県の「別珍村」と称されるまでに至ったが、その後の日中・太平洋戦争で材料が入らなくなり多くが廃業した。
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