寄田町 寄田町の概要

寄田町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/29 09:06 UTC 版)

寄田町
寄田簡易郵便局
北緯31度48分30.5秒 東経130度11分9.5秒 / 北緯31.808472度 東経130.185972度 / 31.808472; 130.185972
日本
都道府県 鹿児島県
市町村 薩摩川内市
地域 川内地域
人口
2020年10月1日現在)
 • 合計 209人
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
895-0133
市外局番 0996
ナンバープレート 鹿児島
運輸局住所コード 46514-0592[1]

地理

寄田町の断崖

薩摩川内市のうち甑島列島を除いた本土側の西端部に位置しており、西方には東シナ海に面している。字域の北方には薩摩川内市久見崎町、南方にはいちき串木野市羽島、東方には薩摩川内市高江町がそれぞれ接している。町域のほぼ中央部を鹿児島県道43号川内串木野線が南北に通る。

寄田-青山林道における露頭

北方・南方いずれの道も峠になっており、比較的人為的な影響を受けづらい立地であるため、地理学をはじめ多くの研究者が訪れる[6]

轟川河口付近の地形は等高線の学習資料として測量士補の参考書にも地図が掲載されている[7]

南西部には天保12年頃(1841年)に築造された溜池が多く所在しており、奈良町溜池、権助池、東池、西池、お寺池、白岩溜池、松茶ヶ原溜池がある[8]

植物化石の産地として知られている。1915年(大正4年)ごろにできた東シナ海を見渡せる棚田があることでも知られている[9]

地名の読み

薩摩藩が江戸時代後期にまとめた「列朝制度 巻之六」において、火立番所の所在地の寄田の部分に「よした」のかなが振られている。

寄田の読み方は明治時代中期頃まで「よした」と呼称されており、現在でも住民は「よした」と呼称する[8][10]。周辺地域からも「よした」と呼称される場合が多い。一方で以下のような呼称も確認される。

山岳

  • 笠山[10]
  • 柳山からの眺望
    柳山[10]

河川

轟川河口と寄田浜

海岸

  • 寄田海岸は川内川北側の唐浜砂丘と対をなす寄田砂丘を形成している。
  • ウミガメの産卵地であるほか、通称「原発サーフ」と呼ばれる川内原子力発電所付近では、大型のロウニンアジやヒラメなどの魚影が濃く、県内外からルアーマンを集めている。
  • サーフィンの穴場としても知られ、いちき串木野市の江口浜と並んで九州全域からサーファーがやってくる。

湖沼

  • みやま池
    町域の北端部にある池である。池の南半分が寄田町に属し北半分が久見崎町に属している。竜の伝説がある。
  • 小比良池
    町域の北部にある池である[10]オニバスの自生地であり、1955年(昭和30年)1月14日に鹿児島県指定文化財に指定された[13]

小字

寄田町の小字は、小比良、吹揚、笠平、水ヶ段、汐ヶ平、平川原、上蕨野、上俣、笠元、蕨野、北面、十原、崎佐山、大十郎、三光、上馬込、馬込、薗山、西池、東池、仏ノ尾、山ノ口、小床、北山中、南山中、西山中、向七ツ枝、中棚、鴨ノ尾、小山口、三枝、沖薗、南仮屋園、北仮屋園、脇田、淵頭、平田、落平、片蓋、蟹浜、白石、大辻、村下、上、中平、鬼石、平山、平迫、下松茶ヶ原、上松茶ヶ原、荒平、暖水、西池ノ段、丸羽山、小瀬戸野、並松、前平、草木山、猿内、池ノ段、供木迫、下山、中堀、又四郎、野平、鎌塚、鞍掛、松ヶ尾、赤仁田、大山口、荒平、小牟礼、長尾、椨木渡、萇元、蛇山、枯木ヶ尾がある[14]

歴史

先史時代

寄田町の西部(神園)にある台地上から縄文時代後期のものとみられる寄田遺跡があり、軽石製石器と市来式土器が出土している[10][15]。また、沖之園および南仮屋園地区に寄田貝塚がある[16]

寄田の成立と中世

寄田という地名は鎌倉時代より見え名田名であり、薩摩国薩摩郡のうちであった[10]。資料上の初見は建久4年(1193年)の「薩摩国諸郡注文」において薩摩郡の分として「是枝名・光富名・成枝名・永利名・寄田名・時吉名」と記載されており、これが寄田という地名の初見であるされている[10][8]

南北朝期に寄田氏の所領となったとみられる[17]

貞治7年(1365年)3月、島津師久により新田神社の執印氏(もともと新田神社の官職で、新田八幡社の印を司る)に「寄田野牧」が預けられる。

至徳4年(1387年)、延時竹前守、本拠地隈之城のほか、永利、寄田、羽島、串木野を所領[17]

中世頃は寄田名の一部が冠岳にある西山寺の寺領となっていた[10]

戦国時代末期には入来院氏の勢力下にあったが、天正1年(1573年)8月に入来院重豊が島津氏への謀反を疑われ、潔白の証として、寄田は清色(かつての入来町)・山田(現在の永利町)・天辰(現在の天辰町)・田崎(現在の田崎町)と共に入来院重豊から島津義久に進上しようとしたが、寄田についてのみ「海辺を少被持候ハてハとて被下在所」として収公しなかった[8]

近世の寄田

寄田海岸

江戸時代には薩摩国薩摩郡高江郷(外城)のうちであった[10]村高は「天保郷帳」では152石余[10]、「郡村高辻帳」では152石余[8]、「三州御治世要覧」では186石余[8]、「旧高旧領取調帳」では240石余であった[10]

安永7年(1778年)には村内を流れる轟川に石造りの井堰が建設され、流域の棚田を灌漑した[8]。江戸時代の測量家である伊能忠敬が著した「九州東海辺沿海村順」には「寄田(ヨシタ)村 家数59軒、内13軒上川」と記されている[18]

1886年(明治19年)には甑島列島からの入植者が多数入植し、上野や池ノ段といった集落が形成された[19]

町村制施行以降

1889年(明治22年)4月1日町村制が施行されたのに伴い高江郷にあたる高江村、久見崎村、寄田村の区域より薩摩郡高江村が成立した[20]。それに伴い、それまでの寄田村は高江村の大字寄田」となった[10]

寄田町の四里塚

1890年(明治23年)、国道3号全線開通に伴い、県道川内・串木野線と前向自治会入口の丁字路に「向田ヨリ四里」と彫った石柱が埋設された。道路標識としては最も古いものとなる[21]

日清戦争後の1900年(明治33年)、ロシアのバルチック艦隊の行動を監視するため、大日本帝国海軍により望楼台(天狗鼻海軍望楼台)が設けられた[22]

1945年(昭和20)年5月13日、空母ベニントンから飛来したF6F(機体番号72448)が川内川河口に墜落。長崎県大村基地を発進した第343海軍航空隊の市村吾郎中尉操縦の紫電改によって撃墜された。Philip PERABO Jr.海軍中尉が海上に降下、海岸に泳ぎ着いて捕虜となった[23]

1956年(昭和31年)9月30日には高江村薩摩郡永利村と共に川内市に編入された[24]。同年の10月19日に鹿児島県公報に掲載された「 市村の廃置分合に伴う大字の廃止及び町の新設」(鹿児島県告示)により9月30日付で旧高江村大字寄田の区域を以て新たに川内市の町「寄田町」が設置された[3][10]

2004年(平成16年)10月12日川内市東郷町入来町祁答院町樋脇町下甑村上甑村鹿島村里村が新設合併し薩摩川内市が設置された[25]。この市町村合併に伴い設置された法定合併協議会において川内市の町・字については「現行通りとする。」と協定されたため、名称の変更は行われずに薩摩川内市の町となった[26]

2011年(平成23年)4月から2017年(平成29年)3月にかけて、旧寄田中学校跡地に九州電力が設置した薩摩川内試験場において、高品質・高信頼度の電力供給が維持できるよう、将来のスマートグリッド構築に向けた技術的な課題解決のため、 太陽光発電設備や蓄電池などの試験設備を用いた実証試験が実施された[27]

2012年(平成24年)10月より、九州おひさま発電株式会社が運営する寄田発電所が運転を開始した。この発電所は建設敷地面積2万2000平方メートルに京都セラミック製の太陽光パネル4,564枚が設置されている。最大出力は約1.1メガワットで、約300世帯へ供給できる発電能力を備えている[28]

2017年(平成29年)3月、鹿児島市に本社を置く今別府産業の「川内寄田発電所」が完成、第1・第2・第3発電所が発電を開始した。太陽光パネル総枚数6,000枚、電力容量1644KWのメガソーラーとなる[29]。この後、株式会社バローズによる「ソーラーファーム寄田」も完成する[30]

2019年(令和元年)9月、日本風力エネルギー株式会社(VenaEnergy)が、寄田町を中心とした薩摩川内市・いちき串木野市において「いちき串木野市及び薩摩川内市における風力発電事業」について発表。最大出力72,000kW程度の風力発電装置20基を建設する計画を公表した[31]

2023年(令和5年)2月21日、甑島地域ドローン物流コンソーシアム(株式会社プロドローン等で構成)が「甑島地域ドローン物流実証実験」を行った。寄田町の轟川河口から甑島の里港へドローンで医薬品を輸送する実証実験であり、天候は晴れ、離発着地点においてしばしば8m/sの風速を観測する悪環境であったが、離陸重量20kgのドローン2機による片道約26kmのフライトに成功した[32][33]




注釈

  1. ^ 2011年までは薩摩川内市立寄田小学校の校区であった。土川地区では2009年度までいちき串木野市立土川小学校に通っていた。

出典

  1. ^ 自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2021年4月26日閲覧。
  2. ^ 本市の町名一覧について”. 薩摩川内市. 2020年8月8日閲覧。
  3. ^ a b 市村の廃置分合に伴う大字の廃止及び町の新設(昭和31年鹿児島県告示第762号、昭和31年10月19日付鹿児島県公報第4070号、 原文
  4. ^ 鹿児島県薩摩川内市寄田町の郵便番号”. 日本郵便. 2021年7月1日閲覧。
  5. ^ a b 国勢調査 令和2年国勢調査小地域集計 (主な内容:基本単位区別,町丁・字別人口など)46:鹿児島県”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月10日閲覧。
  6. ^ 一例として(是枝伶旺, 古𣘺龍星, 山下龍之丞, 本村浩之「九州南部と屋久島から採集された分布南限を更新するナガミミズハゼ種群未同定種2Luciogobius sp. 16 sensu Shibukawa et al. (2019) の記録」『Ichthy, Natural History of Fishes of Japan』第25巻、国立大学法人 鹿児島大学総合研究博物館、2022年10月、13-26頁、CRID 1390575263319810048doi:10.34583/ichthy.25.0_13ISSN 2435-7715 )など。
  7. ^ 『いちばんわかりやすい!測量士補 テキスト&問題集+予想模試』成美堂出版、2021年4月1日、222頁。 
  8. ^ a b c d e f g 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 434.
  9. ^ 寄田の棚田”. 鹿児島県. 2022年1月15日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 658.
  11. ^ 入来院家文書”. 東京大学史料編纂所. 2021年12月22日閲覧。
  12. ^ 古事類苑データベース 地部三十四 2 薩摩國 村里/名邑 1224ページ”. 国文学研究資料館. 2022年1月11日閲覧。
  13. ^ オニバス自生地”. 鹿児島県. 2021年7月1日閲覧。
  14. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 1106-1107.
  15. ^ 川内郷土史編さん委員会 1975, p. 88.
  16. ^ 寄田貝塚”. 鹿児島県立埋蔵文化財センター. 2021年12月20日閲覧。
  17. ^ a b 『千台48号』薩摩川内市郷土史研究会、令和2年3月31日。 
  18. ^ 川内郷土史編さん委員会 1975, p. 916.
  19. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 764.
  20. ^ 川内郷土史編さん委員会 1980, p. 156.
  21. ^ 『千台48号』薩摩川内市郷土史研究会、令和2年3月31日、202頁。 
  22. ^ 天狗鼻海軍望楼台”. 2021年12月16日閲覧。
  23. ^ 本土空襲の墜落米軍機と捕虜飛行士”. POW研究会(本資料の引用についてはPOW研究会の許可のもと使用している). 2022年9月6日閲覧。
  24. ^ 市村の廃置分合(昭和31年総理府告示第802号、昭和31年9月30日付官報号外第40号所収、 原文
  25. ^ 市町村の廃置分合(平成16年総務省告示第590号、 原文
  26. ^ 町名・字名の取り扱いについて”. 川薩地区法定合併協議会. 2020年8月8日閲覧。
  27. ^ スマートグリッドへの取り組み”. 九州電力. 2022年1月12日閲覧。
  28. ^ 九州おひさま発電 寄田発電所”. 薩摩川内市. 2022年1月12日閲覧。
  29. ^ 川内寄田発電所”. 今別府産業. 2023年3月12日閲覧。
  30. ^ ソーラーファーム寄田”. 株式会社クリムト. 2023年3月12日閲覧。
  31. ^ (仮称)いちき串木野市及び薩摩川内市における風力発電事業(改定版)環境影響評価方法書の縦覧、並びに住民説明会の実施について”. VENA ENERGY. 2022年4月1日閲覧。
  32. ^ 坂口 けんた ブログ 【甑島地域ドローン物流実証実験&質問通告】”. 坂口 けんた. 2023/3/9閲覧閲覧。
  33. ^ 片道26km!ドローンによる医薬品運搬を、鹿児島薩摩川内で実施”. プロドローン. 2023年3月9日閲覧。
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  35. ^ 国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年7月1日閲覧。
  36. ^ 国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年7月1日閲覧。
  37. ^ 国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年7月1日閲覧。
  38. ^ 国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2021年7月1日閲覧。
  39. ^ 薩摩川内市教育委員会 2021, p. 76.
  40. ^ 新田神社の御田植祭に伴う芸能(奴踊,棒踊)”. 鹿児島県教育委員会. 2021年12月17日閲覧。
  41. ^ 薩摩川内市教育委員会 2021, p. 80.
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  49. ^ 『鹿児島県文化財調査報告書 第12集』鹿児島県教育委員会、1965年3月31日、352頁。 
  50. ^ 『千台48号』薩摩川内市郷土史研究会、令和2年3月31日、202-203頁。 
  51. ^ 『鹿児島県畜産史』九州聯合第二回馬匹第一回畜産共進会協賛会、1913年、90頁。 
  52. ^ 『南九州の伝統文化』南方新社、2005年2月、160-164頁。 
  53. ^ 『薩藩の教育と財政並軍備』鹿児島市役所、1939年2月20日。 
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  55. ^ 立川京一「旧軍における捕虜の取扱い:太平洋戦争の状況を中心に」『防衛研究所紀要』第10巻第1号、防衛省防衛研究所、2007年9月、117頁、CRID 1521980704641629952ISSN 13441116NAID 40015704719 
  56. ^ “それでも村人はイチゴを食べさせた~追跡 祈りの山に墜ちたB29”. https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220826/k10013787001000.html. (2022年8月26日) 
  57. ^ 『源田の剣 改訂増補版 米軍が見た「紫電改」戦闘機隊全記録』双葉社、2014年7月16日。 
  58. ^ 12.28 ✒️ Phil “Bo” Perabo, Letter Home, 1945”. https://www.rice.edu/.+2022年11月15日閲覧。
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  61. ^ American Legion dedicating room to World War II hero Puckett”. https://www.djournal.com/.+2022年11月15日閲覧。
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  63. ^ 公共施設案内~地区コミュニティセンター”. 薩摩川内市. 2021年7月1日閲覧。
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  75. ^ 漁港種別一覧”. 鹿児島県. 2021年7月1日閲覧。


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