十島村 歴史

十島村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 03:40 UTC 版)

歴史

第二次世界大戦まで

元々薩摩国川辺郡に属した吐噶喇列島の7島(口之島・中之島・平島・諏訪之瀬島・悪石島・宝島(小宝島は宝島の属島とされた)・臥蛇島。総称で下七島とも)と上三島竹島硫黄島黒島およびそれらの属島)は合わせて「川辺郡十島(川辺十島)」と呼ばれていた(1897年薩摩国川辺郡から大隅国大島郡に移管)。

1908年4月1日島嶼町村制制度施行に伴い、それまで町村制が敷かれていなかった川辺十島の区域に大島郡十島村(じっとうそん)が発足、村役場は中之島に置かれた。

アメリカ合衆国の占領下

第二次世界大戦の敗戦により、連合国最高司令官によって出された覚書「若干の外かく地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」(SCAPIN677)によって、1946年2月2日以降、北緯30度線以南の南西諸島(島内に北緯30度線が通る口之島を含む)がアメリカ合衆国の占領下に置かれることとなった[6]

これにより十島村(じっとうそん)は、役場のある中之島を含む下七島はアメリカ占領下に、上三島は日本側にそれぞれ分断されたため、事実上上三島のみの領域に限られることとなった日本側の十島村(じっとうそん)は仮の役場を鹿児島市に設置した。

アメリカ合衆国の占領下におかれた十島村は、米国海軍軍政府によって同年4月24日に公布された命令である「大島支庁の行政権」により、北緯30度以南の大日本帝国政府及び鹿児島県の行政権を継承した大島支庁に属し、同年10月からは臨時北部南西諸島政庁、1950年8月からは奄美群島政府に属した。

本土復帰と村の設置

昭和二十六年十二月五日附連合国最高司令官覚書「若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」に伴う鹿兒島県大島郡十島村に関する暫定措置に関する政令の御署名原本国立公文書館所蔵)
地図中の黒い線は1946年までの十島村の区域であり、赤線が北緯30度線である。政令によって北緯30度以南の区域を以て新たに十島村が設置された。

1951年昭和26年)12月5日に連合国最高司令官によって出された覚書若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」(SCAPIN677/1)により、北緯29度以北の吐噶喇列島(下七島)の区域について日本の政治上・行政上の権利が回復されることが決まった。[8]

本土復帰にあたって、日本国政府が公布したポツダム命令である「昭和二十六年十二月五日附連合国最高司令官覚書「若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」に伴う鹿兒島県大島郡十島村に関する暫定措置に関する政令」(昭和26年政令第380号、のちに「鹿児島県大島郡十島村の区域に適用されるべき法令の暫定措置に関する政令」へ改題)が1951年12月21日に即日施行された。

同政令の第1項の規定により、当分の間政令で特別の定めをするものを除き、従前十島村の区域に適用されていた法令のみを適用するものと定められ、これらの法令の実施上、従前琉球諸島民政府又はその下位機関に属していた権限については、政令で定めるもの及び国会、裁判所の権限にあるものを除き、鹿児島県知事が行うものと定められた。また、同政令の規定により暫定措置として公職選挙法学校教育法等の法令が同政令を根拠として公布される政令の規定により、段階的に適用されることとなった。

1952年2月4日に下七島が日本へ復帰。下七島がアメリカ統治下にあった間に成立していた地方自治法は、「鹿兒島県大島郡十島村に関する地方自治法の適用及びこれに伴う経過措置に関する政令」が施行された2月10日より下七島にも適用されることとなった。ただし上三島としての十島村(じっとうそん)は行政機構として既に完成されつつあり、元々上三島と下七島との間にかなりの距離がある事もあって、上三島と下七島で事実上の分村の措置をとる事となった[9]

既に地方自治法下の村に移行していた十島村(じっとうそん)は、「鹿児島県告示第74号(大島郡十島村の境界)」により2月10日から村域を上三島のみに変更し、同日施行の「鹿児島県告示第75号(大島郡十島村を三島村に変更する条例の許可)」によって村名を三島村に改称した[10]。一方下七島の区域には十島村(としまむら)が新設された。十島村の設置根拠となる同政令第1項の条文が以下のとおりである。

鹿兒島県大島郡十島村の区域で北緯二十九度から北緯三十度までの間にあるもの(口之島を含む。)に地方自治法(昭和二十二年法律第六十七号)及びこれに基く命令を適用する。この場合において、この政令施行の際現にその区域に適用されている法令の規定によりその区域に置かれている村は、その区域をもつて、地方自治法の規定による鹿兒島県大島郡十島村となるものとする。 —  鹿兒島県大島郡十島村に関する地方自治法の適用及びこれに伴う経過措置に関する政令第1項

1952年(昭和27年)4月1日には、「昭和二十六年十二月五日附連合国最高司令官覚書「若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」に伴う鹿兒島県大島郡十島村に関する暫定措置に関する政令」によって当分の間政令で特別の定めをするものを除き、従前の法令を適用すると定められていたが、鹿児島県大島郡十島村の区域に関する法令の適用に関する政令の施行により、同政令に規定する一部の法令を除き全ての本邦の法令が適用されることとなった。更に適用されないとされた法令も、順次施行された。

年表

臥蛇島と小臥蛇島

遷移表

明治22年4月1日 明治22年 - 明治45年 大正1年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和27年 昭和27年 - 昭和40年 昭和40年 - 現在 現在
川辺郡十島
(町村制未施行)
明治30年4月1日
大島郡
明治41年4月1日
(島嶼町村制施行)
大島郡十島村
大正9年
(島嶼指定解除)
大島郡十島村
(上三島)
大島郡十島村
昭和22年5月3日
(地方自治法施行)
大島郡十島村
昭和27年2月10日
(境界変更・改称)
大島郡三島村
昭和48年4月1日
鹿児島郡三島村
鹿児島郡三島村
昭和21年2月2日
(アメリカ合衆国統治下)
十島村
昭和27年2月4日
(本土復帰・町村制)
大島郡十島村
昭和27年2月10日
(地方自治法適用)
大島郡十島村
昭和48年4月1日
鹿児島郡十島村
鹿児島郡十島村

  1. ^ 羽原清雅「トカラ・十島村の「格差」と地域の政治 - どうなる 七つに分散する離島村の闘い (PDF) 」 帝京社会学第21 号(2008年3月)、p.32
  2. ^ News Letter 2017年夏号”. 公益財団法人国土地理協会. 2021年11月5日閲覧。
  3. ^ 「鹿児島県大島郡十島村に関する地方自治法の適用及びこれに伴う経過措置に関する政令」(1952年(昭和27年)2月4日政令第13号)、1952年(昭和27年)5月14日総理府告示第132号
  4. ^ かごしまの日本一 - 鹿児島県、2015年4月27日閲覧。
  5. ^ 十島村の概要 > 人口および世帯数(2018年3月31日 現在)”. 十島村. 2019年10月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月12日閲覧。
  6. ^ a b なおこの定義によればトカラ平瀬[1]北緯30度2分32.26秒 東経130度3分0.29秒 / 北緯30.0422944度 東経130.0500806度 / 30.0422944; 130.0500806 (Kuchinoshima)(灯台瀬))は対象外となるが、委細経緯は不詳である。灯台瀬には灯台が設置されている。
  7. ^ 中之島 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2024年4月16日閲覧。
  8. ^ この定義によると横当島北緯28度49分56秒 東経129度0分03秒 / 北緯28.83222度 東経129.00083度 / 28.83222; 129.00083 (Kaminonejima))、上ノ根島北緯28度47分57秒 東経128度59分20秒 / 北緯28.79917度 東経128.98889度 / 28.79917; 128.98889 (Yokoate-jima))は対象外となるが、委細不詳。なお2島とも有史以来定住者の無い無人島である。
  9. ^ a b 鹿児島県 1967, p. 110.
  10. ^ 十島村略年表 - 十島村、2014年6月10日閲覧。
  11. ^ a b 十島村誌編集委員会 1995, p. 1129.
  12. ^ 鹿児島県 1967, p. 112.
  13. ^ 十島村誌編集委員会 1995, p. 767.
  14. ^ 十島村誌編集委員会 1995, p. 1123.
  15. ^ a b 法令普及会 1952, p. 12.
  16. ^  若干の外かく地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書 (SCAPIN677/1)』連合国最高司令官総司令部、1951年12月5日。ウィキソースより閲覧。 
  17. ^ 吐噶喇列島の日本復帰”. 鹿児島県. 2022年6月19日閲覧。
  18. ^ 十島村誌編集委員会 1995, p. 774.
  19. ^ 十島村略年表”. 十島村. 2022年6月19日閲覧。
  20. ^ 三島村誌編纂委員会 1990, p. 328.
  21. ^ 十島村誌編集委員会 1995, p. 1124.
  22. ^  村の境界変更』総理府、1952年5月14日。ウィキソースより閲覧。 
  23. ^ 郡の区域変更(昭和47年自治省告示第298号、昭和47年11月29日付官報第13780号所収)
  24. ^ 日航機SOS傍受 諏訪之瀬島 山津波で死傷多数『朝日新聞』1976年(昭和51年)9月13日朝刊、13版、23面
  25. ^ a b 十島村誌追録版編集委員会 2019, p. 242.
  26. ^ 十島村誌編集委員会 1995, p. 1145.
  27. ^ 十島村誌編集委員会 1995, p. 770.
  28. ^ 観光・定住希望の方へ|十島村観光案内”. www.tokara.jp. 2019年1月19日閲覧。
  29. ^ 最新の全国的な人口動態と田園回帰の可能性”. 一般社団法人 持続可能な地域社会総合研究所. 2019年1月19日閲覧。
  30. ^ 【ランキング】人口増加率TOP20・平成27年国勢調査確定値【市区町村】”. 2019年1月19日閲覧。
  31. ^ なぜ、東京から20時間の「絶海の孤島」に移住者が殺到するのか?|人口増加率は全国2位!”. 2019年1月19日閲覧。
  32. ^ レンタサイクル【セルフ式】の利用鹿児島県十島村
  33. ^ 令和5年度 離島への石油製品の安定・効率的な供給体制の構築支援事業」に係る補助事業者を公募します。日本能率協会総合研究所
  34. ^ 南西諸島地域離島振興計画鹿児島県
  35. ^ トカラ皆既日食情報[リンク切れ]
  36. ^ ツアー外、こっそり入島者 日食の十島村「出て行って」 - asahi.com(朝日新聞社)[リンク切れ]
  37. ^ 日食見上げる人また人、天体の神秘に各地で歓声 : 皆既日食2009(自然・環境 : 九州発) - YOMIURI ONLINE(読売新聞)[リンク切れ]






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