レオナルド・ダ・ヴィンチ 手稿

レオナルド・ダ・ヴィンチ

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手稿

ウィトルウィウス的人体図』、1485年頃、アカデミア美術館(ヴェネツィア)

ルネサンス人文主義では、科学と芸術をかけ離れた両極端なものとは見なしてはいなかった。レオナルドが残した科学や工学に関する研究も、その芸術作品と同じく印象深い革新的なものだった[19]。これらの研究は13,000ページに及ぶ手稿にドローイングと共に記されており、現代科学の先駆ともいえる、芸術と自然哲学が融合したものである。手稿には日々の暮らしや旅行先でレオナルドが興味を惹かれた事柄が記録されており、レオナルドは自身を取り巻く世界への観察眼を終生持ち続けた[19]

レオナルドの手跡はほとんどが草書体の鏡文字で記されている。この理由としてレオナルドの秘密主義によるものだとする説もあるが、単にレオナルドが書きやすかっただけだとする説もある。レオナルドは左利きであり、右から左へと文字を書くほうが楽だったと思われる[注釈 26]

子宮内の胎児が描かれた手稿。1510年頃、ロイヤル・コレクションウィンザー城

レオナルドの手稿とそのドローイングには、レオナルドが興味と関心を持ったあらゆる分野の事象が書かれている。食料品店や自身の召使いの一覧といった日常的なものから、翼や水上歩行用の靴の研究にいたるまで、極めて幅広いジャンルにまたがっている。そのほか、絵画の構成案、詳細表現や衣服の習作を始め、顔、感情表現、動物、乳児、解剖、植物の習作や研究、岩石の組成、川の渦巻き、兵器、ヘリコプター、建築の研究などが手稿に書かれている。さまざまな種類、大きさの紙に記されたこれらの手稿はレオナルドの死後に散逸し、現在ではウィンザー城ロイヤル・コレクションルーヴル美術館スペイン国立図書館ヴィクトリア&アルバート博物館などに所蔵されている。また、アンブロジアーナ図書館には12巻の「アトランティコ手稿英語版」が、大英博物館には「アランデル手稿英語版」がそれぞれ所蔵されている[93]ビル・ゲイツが所蔵する「レスター手稿」は科学に関する研究が多く記された手稿で、毎年1度、1カ国、1カ所のみで展示されている。

レオナルドの手稿は、最終的には出版することを目的として書かれたものだと考えられている。これは多くの手稿で様式や順番が整理されているためである。1枚の手稿にひとつの事柄について記されているものが多い。例えば人間の心臓や胎児について書かれた手稿には、詳細な説明とドローイングが1枚の紙に記されている[94]。しかしながら、レオナルドの存命中にこれらの手稿が出版されなかった理由は分かっていない[19]

科学に関する手稿

ルカ・パチョーリの『神聖比率』の挿絵。レオナルドが描いたドローイングを版画にしたもの。

レオナルドの科学への取り組み方も観察によるものだった。ある事象を理解するために詳細な記述と画像化を繰り返し、実験や理論は重視していなかった。レオナルドはラテン語数学の正式な教育を受けておらず、独力でラテン語を習得したものの、当時の多くの学者からは科学者であるとは見なされていなかった。レオナルドは1495年に修道士・数学者のルカ・パチョーリの数学書『スムマ』を購入しており、1496年にはパチョーリとミラノで出会い、彼のもとで数学を学ぶ。1509年に出版されることになるパチョーリの著書『神聖比率英語版』の挿絵に使用する版画の下絵として、正多面体骨格モデルのドローイングを複数描いている[19][95]。残された手稿の内容から判断すると、レオナルドはさまざまな主題を扱った科学論文集を出版する予定だったと考えられる。平易な文章で書かれた解剖学を扱った手稿は、枢機卿ルイ・ダラゴンの秘書官がフランスを訪れていた1517年に実施された解剖を、レオナルドが見学した体験から書かれているといわれている[96]。弟子のフランチェスコ・メルツィが編纂した解剖学、光や風景の表現手法に関するレオナルドの手稿が、1651年にフランスとイタリアで絵画論イタリア語版ウルビーノ手稿英語版とも呼ばれる)として出版された。1724年にはドイツでも出版されている[97]。『絵画論』がフランスで出版後50年間で62版まで版を重ねたこともあって、レオナルドは「フランス芸術学教育者の始祖」と見なされるようになっていった[19]。科学分野でレオナルドが行った実験は当時の科学理論に適ったものだったが、物理学者フリッチョフ・カプラのようにレオナルドを徹底的に追求した研究者たちは、後世のガリレオ・ガリレイアイザック・ニュートンといった科学者たちと比べると、レオナルドは本質的に全く別種の研究者であるとし、レオナルドの科学的理論と仮説は芸術、とくに絵画と一体化したものだったと主張している[98]

解剖学に関する手稿

腕骨格の研究手稿、1510年頃。

レオナルドが人体解剖学の正式な教育を受け始めたのは、ヴェロッキオの徒弟時代のことで、これは師のヴェロッキオが弟子全員に解剖学の知識の習得を勧めたためである。レオナルドはすぐに画家にとって必要とされる局所解剖学の知識を身につけ、筋肉など、人体の内部構造を描いた多くのドローイングを残している。その中にはセックスを行っている男女の断面図も含まれる[99]

著名な芸術家だったレオナルドは、フィレンツェのサンタ・マリーア・ヌオーヴァ病院英語版での遺体解剖の立会いを許可されており、さらに後にはミラノとローマの病院でも同様の立会いを許されている。レオナルドは1510年から1511年にかけてパドヴァ大学解剖学教授マルカントニオ・デッラ・トッレ英語版とともに共同研究を行った。レオナルドは200枚以上の紙にドローイングを描き、それらの多くに解剖学に関する覚書を記している。レオナルドの死後、これらの手稿を受け継いだ弟子のフランチェスコ・メルツィが出版しようとしたが、手稿の言及範囲の広さとレオナルド独特の筆記法のために作業は困難を極めた[100]。結局メルツィの存命中には出版することができず、メルツィの死後50年以上にわたって作業は放置されてしまった。結局、1651年に出版された『絵画論』にも含まれることになる、解剖学に関する僅かな手稿のみが、フランスで1632年に出版されただけとなった[19][100]。メルツィはレオナルドの手稿を出版するにあたってその編纂を任されていた時期に、多数の解剖学者や芸術家たちがレオナルドの手稿を研究しており、画家のヴァザーリ、チェッリーニデューラーらが、この手稿の挿絵をもとにした多くのドローイングを描いている[100]

レオナルドは筋肉や腱などと同じく、人体骨格を扱った手稿も多数制作している。骨格と筋肉の機能に関するこれらの研究は、現代科学でいうバイオメカニクスの初歩にも適用可能な先駆的研究ともいわれている[101]。レオナルドは心臓や循環器性器臓器などの手稿も残しており、胎児を描いた最初期の科学的なドローイングを描いている[90]。芸術家としてのレオナルドは綿密な観察によって、加齢による影響、生理学的観点からみた感情表出を記録し、とくに激しい感情が人間に及ぼす影響について研究した。また、顔部に奇形や罹病跡をもつ人物のドローイングも多数描いている[19][90]

レオナルドは人間だけではなく、解剖に付されたウシ、鳥、サル、クマ、カエルといった動物の解剖画も手稿に描いており、人間との内部構造の違いを比較している。また、ウマに関する手稿も多く残している。

工学と創案に関する手稿

オーニソプターの概念図、1488年頃、フランス学士院

存命時のレオナルドは工学技術者としても評価されていた。ミラノ公ルドヴィーコ・スフォルツァに宛てた書簡で、レオナルドは自らのことを都市防衛、都市攻略に用いるあらゆる兵器を作ることができると書いている。1499年にフランス軍に敗れたミラノ公国からヴェネツィアへと避難したレオナルドは、当地で工学技術者の職を得て、都市防衛のための移動要塞を考案している。また、ニッコロ・マキャヴェッリも参画していたアルノ川流路変更計画にも、土木技術者として加わった[102][103]。レオナルドの手稿には、数多くの現実的あるいは非現実的な創案があり、楽器ヴィオラ・オルガニスタ英語版、水圧ポンプ、迫撃砲、蒸気砲などの創案が含まれている[13][19]

1502年にレオナルドは、オスマン帝国スルタンバヤズィト2世が構想した土木工事計画のために長さ200メートルにおよぶ橋の設計図を制作している。この橋はボスポラス海峡入り江の金角湾に架けられる予定だった。しかしながらバヤズィト2世はこのような大規模な土木工事は不可能だとして、この工事計画を承認しなかった。このときレオナルドがデザインした橋は、2001年にノルウェーで実施されたレオナルド・ブリッジ・プロジェクト英語版で実際に建設された[104][105]

レオナルドはその生涯を通じて空を飛ぶことを夢見ていた。1505年ごろの『鳥の飛翔に関する手稿英語版』などで鳥の飛翔を研究し、ハンググライダーヘリコプターのような飛行器具の概念図を制作している[19]。イギリスのテレビ局チャンネル4は2003年のドキュメンタリー番組『レオナルドが夢見た機械』(Leonardo's Dream Machines)で、レオナルドの手稿に残る設計どおりにさまざまな器具を製作した[106]。設計どおりに動作したものもあれば、全く役に立たないものまでさまざまな結果となった。1506年にレオナルドと彼の友人でもあり、共同研究者でもあるトマス・マシニ英語版フィレンツェ共和国チェチェリ山で飛行実験を行うも失敗した[107][108][109][注釈 27]




注釈

  1. ^ 作品全体、あるいは作品の大部分をレオナルドが描いたと、ほとんどの美術史家に認められている現存するレオナルドの絵画作品は15点である。その多くが木の板に描かれた板絵だが、壁画、大規模なドローイング、そして絵画制作の下準備として描かれた下絵2点も、絵画作品15点の中に含まれている。絵画以外でレオナルド自身の手によるとされている作品は数多い。
  2. ^ レオナルドの構想に必要とされる金属工学や科学技術は、ルネサンス時代にはほとんど存在していなかった。
  3. ^ レオナルドが構想した実用的アイディアの多くが、ヴィンチのレオナルド博物館で展示されている。
  4. ^ レオナルドの出生は、父方の祖父セル・アントーニオの日記に「4月15日土曜日の、日が暮れてから3時間後に孫が生まれた」と記録されている(Angela Ottino della Chiesa in Leonardo da Vinci, and Reynal & Co., Leonardo da Vinci (William Morrow and Company, 1956))。この日記に記されている日付はユリウス暦によるものである。この時期のフィレンツェの日没は午後6時40分で、日没後3時間は午後9時40分ごろということになる。当時の一日の概念は日没から翌日の日没までだったため、日記に記されている4月15日という日付は、夜中の12時を日付の境界とする考え方では4月14日ということになる。この日付を現在のグレゴリオ暦に換算すると、レオナルドの誕生日は4月23日である[9]
  5. ^ レオナルドの母親カテリーナは、中東あるいは「地中海沿岸地方」の出身の農奴階級だといわれることがある。ヴィンチのレオナルド博物館館長アレッサンドロ・ヴェゾーシは、レオナルドの父親ピエロがカテリーナという名前の、中東出身の農奴を所有していた証拠の存在を指摘している。レオナルドが中東の血を引いているという説は、レオナルドの指紋をその作品から復元することに成功したマルタ・ファルコーニが支持している[12]。ファルコーニは、中東に起源を持つ人々の60%に見られる渦巻状の指紋のパターンが、レオナルドの指紋にも存在すると主張している。ただし、このレオナルドが中東人種の血を引いているという説を否定する研究者も存在する。カリフォルニア大学アーヴァイン校の犯罪社会学准教授サイモン・コールは「わずか1本の指から採取された指紋で、その人物の人種を推測することは不可能だ」としている。
  6. ^ ヴェロッキオが絵画制作を中止したこととレオナルドは無関係で、単にヴェロッキオが彫刻作品に専念するためだったという説もある。
  7. ^ 1472年以前からレオナルドがこの聖ルカ組合に所属していたことは、現存する1472年から1520年のかけてのギルドの支払記録からもほぼ確実視されている[11]
  8. ^ このドローイングは、マドリードウフィツィ美術館が所蔵している。Drawing No. 8P.
  9. ^ ルネサンス期のフィレンツェでは、同性愛は法的に禁止されていた。
  10. ^ ヴェロッキオの『バルトロメーオ・コッレオーニ騎馬像』が鋳造されたのは1488年で、ヴェロッキオが死去した後のことである。レオナルドがフランチェスコ・スフォルツァの巨大な騎馬像の制作を開始したのは、『バルトロメーオ・コッレオーニ騎馬像』の完成よりも前ということになる。
  11. ^ 2005年になって、軍事地理学部局として100年にわたって使用されていた建物の修復中に、レオナルドが使用していたこの工房が発見されたOwen, Richard (2005年1月12日). “Found: the studio where Leonardo met Mona Lisa”. London: The Times. http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/article411195.ece 2010年1月5日閲覧。 
  12. ^ 『アンギアーリの戦い』も『カッシーナの戦い』も未完に終わり現存していない。ミケランジェロが描いた『カッシーナの戦い』の全体像は、1542年にアリストトーレ・ダ・サンガッロの模写によって知られている[33]。レオナルドが描いた『アンギアーリの戦い』は、下絵に描かれたスケッチと作品中央部分ののみを描いた数点の模写でしか知られていない。模写の中でおそらくもっとも精密に描かれているのはピーテル・パウル・ルーベンスの手によるものである[34]
  13. ^ 『ダヴィデ像』の設置場所を決定する委員会は、レオナルド、ボッティチェッリら多くの芸術家も参加した、総勢30名のフィレンツェ市民で構成されていた[36]
  14. ^ マルコ・ドッジョーノは『最後の晩餐』の模写でも知られている。
  15. ^ この絡繰仕掛けのライオンがいつ制作されたのかは不明だが、フランソワ1世のリヨン入城時に、フランソワ1世と教皇レオ10世の和平交渉の仲立ちとして使用されたと考えられている。ライオンはラテン語でレオであり、ローマ教皇レオ10世の、フランス王の紋章であるユリはフランス王フランソワ1世の象徴である。このライオンは復元されて、現在ボローニャの博物館で展示されている[41]
  16. ^ クルーの館は、現在博物館として使用されている。
  17. ^ レオナルドが死去した日に、クルーの館から旅程で二日間かかるサン=ジェルマン=アン=レーから王令が出されている。このことが、フランソワ1世がレオナルドの最期を看取っていないという証拠となっている。ただし、ホワイトの『最初の科学者レオナルド』(Leonardo: The First Scientist)では、この布告にフランソワ1世の署名がないことを指摘している。
  18. ^ レオナルドの遺言どおりに、会葬者として参列した60名の貧者全員に、レオナルドの遺産から施しが与えられた。
  19. ^ 上質の素材が使用されていたこの黒いマントは既製品だったが、豪華な毛皮の縁飾りは別途追加されたものだった。この黒のマントが遺贈されたのは、この女性がレオナルドの葬式に着用する喪服に困らないように配慮する意図もあった。
  20. ^ 1498年にスフォルツァ城で開催された公開討論会では、パチョーリとダ・ヴィンチは同席した。討論会のテーマは、芸術を学問と呼べるかについてであり、レオナルドは芸術が数学にもとづき科学的根拠を持つと主張した[56]
  21. ^ イギリス人美術史家マイケル・バクサンドールは、伝統的な絵画に描かれた「受胎告知」で、聖母マリアの「賞賛に値する態度」あるいは反応を、動揺、沈思、問いかけ、服従、賞賛の5つに大別している。しかしながら、レオナルドの『受胎告知』のマリアは、これら伝統的な描写と合致してはいない[73]
  22. ^ 『荒野の聖ヒエロニムス』は18世紀に女流画家アンゲリカ・カウフマンが所有していたが、後に裁断されてしまった。後世になって主要な2枚の断片が屑屋と靴屋で見つかり、修復されて現在に至っている[74]。ただし、作品の外周部は失われたものとみなされている。
  23. ^ ヴァザーリが『モナ・リザ』を直接目にしたことがあるかどうかについては議論となっている。未見であるとする説の根拠は、ヴァザーリが『モナ・リザ』の眉毛に言及していることが主となっている。ダニエル・アラッセは著書『レオナルド・ダ・ヴィンチ』で、レオナルドは『モナ・リザ』に眉毛を描いていたが、後世に除去された可能性について述べている。16世紀半ばでは眉毛を抜くことが一般的だったという説もある[19]。『モナ・リザ』を高解像度カメラで解析したパスカル・コットは、オリジナルの『モナ・リザ』には眉毛とまつげが存在していたが、徐々に消えていってしまったと主張している[84]
  24. ^ ジャック・ワッサーマンは「比類ない画肌処理」と呼んでいる[85]
  25. ^ 「ギリシア人風の横顔」には額から高い鼻先までまっすぐにつながった横顔を持つ少年が描かれている。これは古代ギリシア彫刻に多くみられる特徴となっている。
  26. ^ 左利きで先割れの羽ペンを使用する場合、左から右へと文字を綴ることは非常に難しい。
  27. ^ 諸説あるが、この時フィエーゾレの街の壁に飛行実験成功を記念する金属製の記念額があったことを証拠にレオナルドらの飛行実験は成功したのではないかと唱える者もいる。これが事実ならば、レオナルドとマシニは人類の歴史に於いて、初の有人飛行を成し遂げた人物となる。

出典

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