計画変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 01:45 UTC 版)
当初は高速給油艦として計画された。設計は前艦型の「大鯨」と同型で変更は給油設備を追加した程度、主機も大鯨と同様にディーゼル4基を装備する予定であった。しかし計画中に友鶴事件が起きたため「大鯨」より全長を短縮、吃水を深くするなどの船体形状や艤装の設計変更がされた上で、第1艦の「剣埼」は1934年(昭和9年)12月起工、翌1935年(昭和10年)6月に進水した。しかしこの年の10月に第4艦隊事件が起き、これにより船体補強工事が必要となって工事日程が更に延びた。このころ日本は軍縮条約の破棄を既に決定しており、「剣埼」は無条約時代になってから竣工することが確実となった。条約に縛られずに空母への艤装をなるべく先行させておくこととし、空母改造時に搭載する予定だったエレベーター2基、追加の主機4基(主機は合計で8基となる)などを搭載することが決まった。これにより補給用重油の搭載量が減少し、給油艦としての能力が低くなったので1938年(昭和13年)には給油艦から潜水母艦に計画を変更して建造を行うことが決定した。 このような紆余曲折があり、「剣埼」は進水後3年以上掛けて1939年(昭和14年)1月に竣工した。
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