テスラ (Tesla, Nicola)
テスラという人は
オーストリアのグラーツ工業大学で工学を学び、23歳のときプラハ大学で学業を終える。 驚くべきスタミナの持ち主で、エジソンの機械工場に勤めていた頃には毎朝十時半から翌朝五時まで働き、これを9ヶ月続けたという。 エジソンに「お前にはとてもかなわない」と言われたという逸話がある。
学生時代の実験で、発電機のブラシと整流子から強烈なアークが出ているのを目撃した。これがブラシや整流子のない発電機を開発したいと思うきっかけになる。 なぜかゲーテのファウストを暗記しており、一節を口ずさんだとき多相システムのヒントがひらめいたらしい。 フランス・エジソン社に勤め、1884年に渡米、ニューヨークのエジソン機械工場に勤める。 悲願であったブラシや整流子のない機器の開発には多相発電機が必要だったが、 当時は直流電力が主流でありエジソンも交流には関心を示さなかった。1年ほどで独立する。
テスラの主な経歴
1887年、2相誘導電動機を発明する。 電機子からスリップリングを介して電力を渡していたものが、固定子で渡せるようになった。 多相を必要としたのは回転磁界を生むためであり、磁界の位相より電機子の位相が遅れることからトルクが生じた。ここに誘導モーターが誕生する。 2相誘導電動機はテスラのほかに、フェラリス、ドブロウォルスキーがそれぞれ独自に発明しており、ドブロウォルスキーは3相機器と3相配電方式を発明していく。
1888年、ウェスチングハウスと特許の将来買取権を含めた契約をする。 1年間ウェスチングハウスの技術陣とともに、市販できる多相電力システムの開発のため働く。ウェスチングハウスではシュミットとスコットだけが彼の味方だったという。 スタンリー同様ウェスチングハウスのもとを離れ、独立した発明家へ戻っていった。
ニコラ・テスラ
多相開発で活躍した後は、無線電力輸送や無線通信といった分野へ乗り出していく。
磁束密度の単位・テスラ
固有名詞の分類
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